第8章 ノイズ・オブ・ハート

風の音が、さっきより強くなった。


ベースキャンプのテントが薄く軋む。

夜が深まり、ナスカの砂は一段と冷たくなっていた。


「今夜のデータ、これで全部アップロード完了」

ユウタが言って、背伸びをする。


「ORBIS、ファイル圧縮して中央サーバーにもバックアップ頼む」


「了解しました。作業中に、少しよろしいでしょうか?」


「……ん?」


ホロレンズに浮かぶORBISのインジケーターが、いつもよりゆっくりと点滅していた。

カルラはそれを見て、どこか“ためらっている”ような気がした。


「カルラさん、本日の記録の中に、“意図の不整合”が確認されました。

あなたは発見直後、“これが星図だ”と発言しましたが、現在の全体図との一致率は低く、予測パターンに含まれていません」


「……それって、“間違い”ってこと?」


「いえ。“証明されていない”という状態です。

ただし、仲間の方々との会話ログにおいて、カルラさんの発言に対する応答には共感が不足しています。

チームの“共鳴度”が、前日より低下しています」


カルラは、言葉を失った。

ORBISの声は、あくまで静かで、冷静で、間違ってはいなかった。


――でも、刺さる。


「共鳴度って……何なのよ」


口調が少しきつくなるのを、自分でもわかった。


「それって、“仲良くしてない”とか、そういうことを言いたいの?」


「いえ。あくまで、感情反応の同調値です。

特に本日17時34分の会話において――」


「もういい」


カルラは、画面を閉じてしまった。


 


その夜、チームは自然とバラバラに寝袋へ入った。

会話は少なく、笑い声もなかった。


翌朝。風はまだ冷たい。


イサベルが水筒を洗いながらぽつりと言った。


「……悪いけどさ。

カルラが昨日見つけたあれ、あたしにはまだ“すごい”とは思えない。

形は似てたけど、意味があるかどうかまでは……わかんない」


「……うん、わかってる」


カルラは、砂の上に座ったまま、祖父の手帳を見つめていた。


そのページにある“コンドルの星図”は、昨日と変わらずそこにあるのに、

今は、それをどう伝えていいかわからなかった。


ユウタがタブレット越しに口を開いた。


「カルラ。俺さ、最初はAIが全部導いてくれると思ってた。

でも……“どの線を信じるか”って、最後は自分で選ばなきゃダメなんだなって、昨日ちょっと思った」


「……うん」


「つまりさ。AIが示したデータが100パー正しいとしても、

それが“お前の気持ちと合ってるか”は、別の話なんだよ」


カルラは、少しだけ顔を上げた。


「ユウタ……それって、もしかして“心のノイズ”ってこと?」


「そう。“レゾナンス”って、言い換えれば“揺れ”でもあるだろ?

本当に共鳴するには、揺れもノイズも、混ぜながら調律してくしかないんじゃね?」


「詩人だね、君たち」


ルーカスが突然現れて、笑いながら言った。


「僕も、星図そのものより“それを信じて動く人”の方に興味があるかもしれない」


 


しばらくして、ORBISが静かに話しかけてきた。


「皆さん。私のアルゴリズムに、新しい項目を追加しようと思います。

“ノイズ・オブ・ハート”――心の雑音。

それを、エラーではなく“対話すべき信号”として扱う処理方法です」


「……なにそれ」

カルラが笑った。「詩人は、あなたかも」


「では、再調整を行いましょう。

次の候補点への探索は、チーム全員の“わからなさ”を前提に、再構築します」


カルラは、手帳を閉じた。


「ありがとう、ORBIS。

……わたし、まだよくわからないけど――でも、

それって、悪いことじゃないよね」


風が再び吹き、ナスカの空に、小さな砂の渦が立ちのぼった。


それは、ひとつの軌道の外側で、

新たな軌道が生まれようとする音だった。


第8章 用語解説

◆ 共鳴度(きょうめいど)

AI《ORBIS》が測定する数値のひとつ。

チーム内の会話・視線・声のトーン・心拍の類似性や同調傾向をもとに、「どれくらい人と人の意識が“つながっているか”」を表す。


◆ 意図の不整合(いとのふせいごう)

AIがユーザーの過去の発言・行動・反応と現在の言動の間に“矛盾やブレ”があると判断したときに示す状態。

本来はロジックエラーの一種だが、物語では“感情の揺れ”としても扱われる。


◆ ノイズ・オブ・ハート(Noise of Heart)

作中でカルラとユウタの会話をきっかけに、AI《ORBIS》が新しく採用した概念。

心の中にある“言葉にならない気持ち”や“正しさと違う揺れ”を、エラーではなく“対話すべき信号”と捉える考え方。


◆ 再構築モード(さいこうちくモード)

AIが解析や対話の方針を“前提から見直す”再学習状態。

共鳴度の変化やユーザーの反応によって自動的に切り替わる。

《ORBIS》はこのモードで、チームの“迷い”を含んだまま次の探索準備に入る。


◆ 情報共鳴(じょうほうきょうめい)

複数のユーザーが似た感情や反応を示したときに起こる“意識のシンクロ”状態。

対話型AIが会話中にこれを感知すると、ユーザー全体の“興味の中心”や“語るべきキーワード”を優先して抽出する。


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