蔭郷長の娘

 カタッと背後で音が響いた。

 俺は反射的に振り向く。

 そこには、首のないイン郷長キョウチョウの骸骨だけがあった。

 しかし、その姿は先ほどと違い、赤黒い靄が骸骨を包み込んでいる。

 カタカタカタと指先が痙攣するかのように動き、ゆっくりと土間から剣を引き抜いた。


「呪が歓喜している……。すまない……」


 その言葉が最後となり、王たちの声は消えた。


 イン郷長キョウチョウが剣を乱雑に大振りする。

 まるで戦いを知らぬ者の動き。

 無駄に大振りし、力だけを頼る未熟な剣捌き。

 

龍剣ロンジエン龍梅ロンメイ。私がやる」


 お父は、そういうと刀を構え、郷長へと鋭く一太刀を振り下ろした。

 ガシャンと音と共に骸骨がバラバラに崩れ落ちるが、すぐに元に戻る。


「やはり、この赤黒い靄をなんとかしないと!」


「私がやってみるわ!」


 龍梅ロンメイが「ごめんなさい」と言い剣を抜刀する。

 光を纏っている剣をそのまま肋骨に差し込むと赤黒い靄が逃げるように消えていく。

 やはりこの剣、龍神閃リュウジンセンが赤黒い靄を絶ち切る力があるらしい。

 靄が消えると同時に、蔭郷長は崩れ落ち、微動だにしなくなった。


「この……くそじじい! 死んでからも!」


龍剣ロンジエン! 落ち着け!」


龍剣ロンジエン! 駄目よ!」


「こいつが、龍梅を酷い目にあわせたんだ!」


 12歳の頃、龍梅はキョウの子供たちに騙されて湖畔に連れ出され、「穢れを浄化する」と称して集団で暴行を受けた。

 その暴挙を煽ったのは、蔭郷長だった。

 大人の「これでキョウが救われる」という言葉が、子供たちの狂気を正当化した。

 俺が異変に気づき駆けつけたが、湖に沈められ、溺れていた龍梅。

 俺が手を伸ばしたときには、すでに遅かった。

 龍梅は意識を失い、それから数日間、目を覚ますことはなかった。

 この事件後、龍梅は〖男の格好をしているおかしな女〗となり、他人との接触を極力避けるようになった。

 俺がもっとしっかりしてたらーー。

 だから俺は龍梅を絶対に守ると誓ったんだ。


「私はもう大丈夫よ。龍剣ありがとうーー」


 龍梅が俺をそっと包み込む。


「その女は誰? 誰? 誰? 誰? 誰? 誰? 誰? 誰? 誰?誰? 誰? 誰? 誰? 誰? また、浮気なの!? いいわ! 邪魔な女は排除するだけだからぁぁぁ!!!!!!」


 突然響き渡る狂気の叫び。

 大広間の奥からこちらをジッと見つめる郷長の娘の姿があった。

 いつも遠くから俺を見つめ、時折不気味な笑みを浮かべていた女が

 。

 祭壇の光が揺らめく中、リウの記憶が断片的に蘇る。 

 前世で「その女は誰? 誰? 誰? 誰? 誰? 誰? 誰? 誰? 誰?誰? 誰? 誰? 誰? 誰? 浮気なの!? うそ? どうして? 許せないぃぃぃいぃぃ!!!!!!」と狂気じみた叫び声を上げた女。

 瞳はぎらぎらと焦点が定まらず、息を荒げていた女。

 そして、姉貴を車道に突き飛ばした女。


「お前ーー! まさか、あのストーカー!?」

「龍剣さま……ずっと一緒にいましょうね……」


 ニタリと笑い、俺の言葉を肯定しているようだった。

 その「ずっと一緒に」という言葉が、俺の中で繰り返される。

 女の執着は、無邪気なものではなく底知れぬ狂気がそこにあった。


「私たちの国を作りましょう? 私は龍剣さまの伴侶、王妃になるの!! 二人だけの国……」


 女の目は赤く発光していた、名無し郷にたどり着いた郷民キョウミンと同じではあったが血はながしていなかった。

 発狂はしていない。


「父上は、祭壇の前にあった巻物をとても大事にしていた」


 俺たちが先ほど読んでいた巻物を指す。


「酔った時に話してくれたのは、その巻物も剣も私たちの一族のものではないということ。私たちは山岳王国の高官だったそうよ。どうでもいいことだけど!」


「山岳王国……の高官……」


 先ほど山岳王国の王家の末裔と言われたばかりでにわかに信じられないのに、また〖山岳王国〗。


「この地を支配するのは私たちではないと。でも、奪うことはできると。そして、宝! 財宝があれば、贅沢な暮らしができるといつも探していた」


「宝! そうだ、思い出した。郷長はいつも、私に祖父から聞いた伝承はないかと聞いていた。郷の歴史を調べるためとか言っていたが、それは宝を探すためだったのか!」


「そのとおりよ。でも、結局、宝のありかがわからなかった」


 宝は、郷長の考える金銀財宝ではなく〖龍神閃リュウジンセン〗だったのだが、気づいていないのだろう。


「父上は、血統さえ、奪えば全て自分のものになると思ったのね」


 〖古代王族の血統〗が引き継がれれば支配者として認められる。

 時代を重ねるうちにの真実を忘れ、郷の民は古代王族の末裔を〖普通の民〗だと思っていった。

 もちろん、当のお父も。

 

 ある日、郷の古い伝書を見つけ読み解いた郷長はーー支配者は別にいるーーそれを認めることができなかった。

 宝と血統さえあればと、恐ろしい策を考えた。

 お母が亡くなったことを利用し、自分の娘をお父と結婚させ、双子を追い出し、血統を奪い取る。


「でも、血統を奪うだけなら、龍剣さまでもいいでしょう? 私は龍剣さまが良いと言ったのに。父上は認めなかった。双子は私たち一族にとって不幸を呼ぶそうよ」


 郷長の娘は、俺の目をじっと捉えたまま、決して視線を外さない。


「そう、崖から付き落したのは私」


 お父が失踪した15歳を迎えた日のことを、女は語り始めた。


「あの日も私は龍剣さまが出てくるのを朝から待っていた。誕生日の前日だったし、日が変わったら贈り物を渡そうと心に決めていた」


「この龍神閃とあの革嚢カクノウのことか?」


「よくできているでしょう?」


 女の唇がゆっくりと歪む。

 まるで自分の功績を誇るように、薄く笑っていた。

 蔭郷長が先ほどまで持っていた剣を拾い上げた。


「これは模造品。父上は気づかなかったわ。この紋がついた本物の剣は龍剣さまにふさわしいと思ったの。素晴らしい剣を贈れば、あなたの存在はさらに高まり、私にふさわしくなる。そしたら私を選んでくれるでしょう?」


 剣を無造作に振っている

 鋭く風を切る音が響く——その動きには熟練した技術はないが、狂気じみた力が込められていた。


「あの日は嵐でとても寒かった。剣と別に何年も自分で鞣した革で作った革嚢カクノウを渡せると思ったら私の心は高ぶっていた。その時、木戸が開いた。出てきたのは龍剣さまのお父様だった。森の方へ向かっていった。その時私は思いついたの。龍剣さまのお父様がいなくなれば、龍剣さまと婚姻できると! 私の父上は絶対に諦めないから、双子であっても!」


 黒い瞳が虚空を見つめ、まるでそこにあの日の嵐が映し出されているかのようだった。

 言葉を紡ぐ声には陶酔にも似た響きがあり、女は完全に記憶の中に沈んでいた。

 

「簡単だった。龍剣さまのお父様は翡翠蘭を採るために崖に下りていたから、命綱のロープを切るだけだった」


 郷長の娘は郷長の策略を知り、王の血統を利用して自らの欲望を成立しようとしていたのだ。


「これで、龍剣さまと婚姻を結べるはずだった!」


 郷長の説得に成功した1年後、俺は郷長から婚姻を結ぶように詰め寄られたがーー次の日、俺たち二人は郷から逃げた。


「龍剣さまが居なくなってしまった。悲しかったわ。父上は龍剣さまを捜索してくれると約束してくれたのに、ほどなくして郷がおかしくなった。みんな、目から血を流して死んでいくの」


 郷長の娘は「あははははははははははは」と乾いた声で笑う。

 それは、もう正常な人間の笑いではなかった。

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