機械仕掛けに恋を失え

尚乃

リハーサル3651日目

 天井の照明は切れて部屋は真っ暗だ。部屋とは家を仕切った空間を指すので、械奈かいなが今いるのは、正確に言えば地下倉庫の片隅だ。地上への出口は3651日前に閉鎖されている。械奈はずっとここでいた。正確に言うと少し違う。械奈は人形アンドロイドであるので人間のように食事をしたりお風呂に入ったりすることもないし、眠りの中で現実には起こり得ない現象を体験する――夢を見るということもない。

 

 械奈は、ただ一つの作業を繰り返している。

 

 コンセントに歪んだプラグを差し込もうとする機械の手、甲のプラスチックは割れている。

ぱっと移動式舞台の灯りがついた。演壇に形が似ているけど、額縁のようなものが上に乗って、枠で仕切られた窓がある。台の上に乗せられた窓枠のようなものを覆う幕に械奈(かいな)は手を伸ばす。


「リハーサル開始します。ナンバー3651」


 小さな声で言ってから、移動式舞台の幕を開けた。


「その国には季節がありません。いつも冬なのです。村人たちは自分たちが過ごす季節が「冬」と呼ぶことを旅人から聞いて知り、また「冬」が忘れ去られるまで時が経ちました」


 械奈の落ち着いた声のナレーションでショウが始まった。

 語り手と、彼女が右手に付けた山猫のパペット(ネルー)のやり取りで劇は進んでゆく。

 械奈は声を自在に変化させることができる。といっても別人の声を出すわけではない。声真似の上手な人が声音を変えて話すように械奈は自分の声を調整している。舞台に登場する村人たちの姿はなく、様々な声だけである。

 

「あの娘はどの村の者か? 聞いてこい、ネルー」

「そんな情けない命令をなさるとは、王子は正気でございますか」

「近づくだけで息がつまる。話をするなんて国を継ぐ者がいなくなるぞ」

「つくづく運のない国でございますな。ともかく、それは恋ですね」

「聞かせよ」

「王子は国の安寧と、あの娘の命を天秤にかけるとすればどちらを選ぶおつもりで」

「今ここで判断すべきことか」

「左様でございます」


 子どもたちは喜んでくれる。明日かもしれないし、明後日の可能性もある。

 いつも最後のリハーサルを械奈は繰り返している。今日で3651回目のことだ。

  

 急な振動を検知する。大きく天井揺れている。械奈は逃げて壁に寄った。

 明日には、子どもたちが自分の劇を楽しみにしているのだ。

 ひびが入ったのが見えた瞬間に天井は落ちて倉庫は粉に煙る。

 直撃した移動式舞台が破壊された姿は粉じんに隠れてしまった。


 落ちたはずの天井から眩い照明が灯る。残骸となった舞台が現れる。強い光の束は移動して械奈を照らす。



「発見しました。旧式アンドロイドです」



 自分が発したのではない声が天井から響く。


 どこに連れてゆくんですか。

 子どものところへですか。私は械奈です。


 ずっと歩いていなかった足部のアクチュエータが異常音を立てる。

 そう察知した途端、瓦礫の上に放り出すように身体は転がった。


 担架で運ばれながら、械奈は人に言った。


「足は壊れましたが明日の舞台を行うのに問題はありません」


 3651回のリハーサルで分かっている。可動部位は摩耗が激しい。

 パペットを使う手は2031回目から手首の回転がうまくいかない。

 明日の公演に備えなければならない。


 完全に壊れるまでに行うことができるのは1度きりかもしれない。


「子どもたちのところへ連れて行ってください」

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