第2話 桜の文箱と木下家

「家系図ってないのかな?」

歴史好きな高校生、誠の一言で三人の孫による祖父母宅の物置大捜索が始まった。

遊びに来たものの退屈していた三人の孫は、木下家の物置を漁る。

大きな段ボール箱の底から、黒い漆塗りの文箱が出てきた。桜の花があしらわれた美しい箱に三人は浮き立つ。

「何が入ってるんだろう。」

誠はカタカタと箱を振って音を聞いている。

「お兄ちゃん!いいから開けてみて!」

せっかちな美樹はワクワクを隠しきれない。

「宝箱っぽいねぇ。」

末っ子の聡美はおっとりした口調でそういいながら歩み寄る。

箱を開けると、そこには古びた封筒が三通。差出人は木下権蔵。宛名は無かった。

「なぁんだぁ、手紙かぁ。」

聡美はがっかりした様子で、兄と姉に目線をやった。

「いやいや!これは!もしかしたらラブレターなんじゃないの!ちょっとちょっとお兄ちゃん!読んでみようよ!」

興奮する美樹に対して、高校生にしては大人びた誠が言う。

「これはマズいんじゃないか?読んでいいのか?これ。」

箱を振って中身を調べていた無邪気さはどこかに行ってしまった誠は、この手紙をどうするか考えを巡らせていた。

「いいじゃん!いいじゃん!じゃぁ私が読む!」

そう言いながら美樹は誠の手から手紙を一通抜き取り、封筒から便箋を引き出した。

「え!ちょっと!待てって!」

誠の制止を振り切って、美樹は手紙を読み始める。聡美はニヤつきながら美樹について行く。

「ん~、なんて読むのこれ?読めない!いいや!わかるとこだけ読むもん!」

拝啓の漢字が読めなかった中学生の美樹はざっと手紙に目を通す。

「よし!読むよ!さっちゃん!」

隣で待っている妹に美樹は宣言して朗読を始める。

「『高校ご卒業おめでとうございます。その一言だけでも伝えられたらと思い筆を取りました。あなたの前に立つと、僕は僕ではないように話すことなどできないほど取り乱してしまいます。遠目にあなたを見つけると、もっと側に行きたい、たくさん話したいという気持ちが高まるのに、いざあなたの前に立つと正常な息継ぎもできない、愚かな自分を恥じています。あなたの笑顔を見ると、ずっと見ていたいのに胸が苦しくて目を逸らす自分がもどかしい。でも、一人自室であなたを想うと、胸の中に春の陽だまりのような温もりを感じます。』」

「やっぱりおじいちゃん恥ずかしがり屋さんだねぇ。」

聡美は無邪気に笑った。

「ねぇ?本当にシャイだね?こんなんだから手紙渡せなかったのかな?」

妹に笑いかける美樹に誠はため息をついた。

「えーっと、どこまで読んだっけ?さっちゃん!続き読むよ!」

美樹が楽しげに続きを読もうとした瞬間、顔を真っ赤にした権蔵がバタバタとスリッパを鳴らしながら物置の入口にやって来る。

「おい!何しとる!!」

権蔵の聞いたこともない大きな声に驚いた美樹と誠はビクッと肩を震わせて硬直した。

「おじいちゃん…、あ、あの、ごめんなさい。」

美樹は手紙を背中で隠した。

空気が読めない聡美だけが変わらずヘラヘラと笑っていた。

権蔵の大きな声に誘われて他の家族も物置の入口に集まる。

「父さん、どうしたんだ?大きな声なんて出して。」

清司は珍しく顔を赤らめて動揺している様子の権蔵に尋ねた。

権蔵はその問いに答えずに無言で孫達から手紙と文箱を奪い取り、仏間へと向かった。

普段は穏やかな権蔵の怒りを帯びた態度に驚いた誠と美樹は、謝りながら権蔵の後を追う。

「あらあらどうしたの?さっちゃん何があったの?」

様子を見ていた美幸は夫の怒りの理由を孫の聡美に尋ねた。

「あのね、お姉ちゃんが、おじいちゃんのラブレター、声に出して読んじゃったの。」

笑いながら聡美は続ける。

「おじいちゃんの初恋みたいだった。」

「みんなで読んじゃったの?それはおじいちゃんにごめんなさいしないとね?」

美幸は小学生の聡美を優しく諭すように言った。

「もういい!これはもう燃やす!」

仏壇のライターを片手に、文箱を庭へ運ぼうとする権蔵の行く手を阻んで美幸が言う。

「燃やすなんて駄目ですよ。これは私の物でもあるんですから。」

「わしが死ぬまでには燃やすつもりの物だったんだ。今燃やしてもいいだろう。」

目を泳がせながら、恥ずかしさで上気した権蔵の手に、美幸はそっと手を添える。

「燃やさないでください。こんなに素敵なお手紙、私は燃やしたくないです。あの世にも持っていきたい。だから燃やすなら私があの世に行く時に一緒に燃やしてください。」

権蔵は美幸の目を見ては、すぐ目を伏せた。

「なんてことを言うんだ。これは今燃やす。こんな恥ずかしい物、わしの死後まで遺せるものか。」

「あら?どちらが先に逝くかわからないのに。私のお葬式の時にあなたが一緒に燃やしてくれたらいいんですよ?」

権蔵は目を伏せたまま、そんな悲しいこと言うなと呟いた。

なぜか脳裏にはあの頃の美幸の姿が浮かんでいた。

あの頃、まっすぐに見つめることもできなかった自分と、美幸の笑顔が桜の花吹雪に飾られた絵のように思い出されていた。

「じゃぁさ、じゃぁさ!おじいちゃんか、おばあちゃんが天国に行くときに、さっちゃんがパーッとお手紙燃やしてあげる!」

聡美以外の皆が目を丸くして言葉を失った次の瞬間。

「「こら!!!」」

清司と誠の声が同時に響いた。

美幸は優しく微笑んだ。その笑顔は変わらず陽だまりのようだった。

怒りを溶かされた権蔵は、手紙を書いた頃からの二人の歩みを静かに思い返していた。

いつしか添えられた美幸の手を、そっと握り返しながら。

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