第4話


 アミアは一番最初リュティスにメリクを会わせた時、メリクがごく自然にリュティスを受け入れ慕ってくれたようだったことがひどく嬉しかったのだ。

リュティスはああいう雰囲気を持つ男なので、子供には大体怖がられるのに、メリクにはそういうものが何も無かった。


 もともとサンゴールに無関係なメリクだからこそ、リュティスの【魔眼まがん】に多くを問わないでいてくれないのだと思っている。

 そのことは嬉しかったのに、今はそれを不安に思うなんてあまりに勝手ではないかと彼女は少し自分を責めた。


 メリクはあれでいいのだ。


 彼はただ真っすぐに打算も無く、リュティスの側に行って誉められたり叱られたりしながら育ってほしかった。

 リュティスを子供らしく困らせてればいいのだと。


 ……そう思うのに、何故さっきメリクの手を掴んでいたのだろう。


(心配だったのよ)


 あんなにはっきりと手を挙げられ邪険にされたのに、メリクの中にはリュティスに対する何の恐れも警戒心もない。

 また何の躊躇いも無く、リュティスの元に走り出して行こうとする姿に危惧を覚えたのだ。


 それは、メリクに対してか。

 ――それともリュティスなのだろうか?


 奥館の扉を叩くとすぐに執事が出た。

 老人は女王の姿を見ると少し驚いたようだ。

 とは言うものの、義姉弟になるアミアとリュティスにはある程度プライベートな領域での融通は許された。

「殿下はすでにお休みになっておられますが……」

「いいえ、起きているから会うわよ。お前が咎を受けることはないから安心して通しなさい」

 アミアは老人の脇をずいと強引に通り抜けると、そのまま三階にあるリュティスの部屋まで真っすぐに上って行った。


「リュティス。起きてるんでしょ、入るわよ」


 返事は無かったが、アミアは扉を開く。

 予想通りリュティスは起きていて、まだ朝と同じ姿のままじっと窓辺に腰掛けて外の方を見つめている。

「リュティス。貴方らしくないじゃない?」

 アミアは腕を組んでリュティスの背を睨みつけた。

「私だって何もメリクを優しく育ててあげてって言ってるわけじゃないわ。でも今日のやり方は貴方が理不尽だと思うわよ。子供相手に何故あそこまでするの」

「……」

「貴方が他人と過ごすことに慣れていないのは分かる。でも何故、敵意を向けても無い人間すら拒絶するのよ?」

「……」

 リュティスは無言だった。

 何も言わないその背にアミアは悪い予感を覚える。


「リュティス。私はあの子を手放す気はないわよ」


 それだけは言っておかねばならなかった。


「それは貴様の勝手だ。だが俺は関わらない」


 やっと口を開いたかと思えば、今までの譲歩の余白さえ感じさせない、何もかもを投げ出したような声だった。


「何が気に入らないのよ。メリクを教えること? 

 メリクの将来性に早くも媚びへつらう動きを見せる周りに対して? 

 それともそれを黙認する私にかしら? 

 仮にそうだとしても当たる相手が違うんじゃない? 

 あの子は何も悪くないのよ」


「……。」


「ちゃんと話してくれなきゃ分かんないわよリュティス。

 私はグインエルじゃないんだから!」


 苛立たしげにアミアは声を荒げたが、リュティスはやはり明確な反応を見せなかった。

 アミアは眉根を強く寄せる。

 これだけは聞きたくなかったことだ。

 リュティスはそこで簡単にメリクを切り捨てられても、アミアは明日からもメリクと会い、目を見つめて彼と話すからだ。



「…………あの子が嫌いなの?」



 リュティスが振り返った。

 強い苛立ちを含んだ目でアミアの方を睨みつけて来る。

 言葉にするまでもない肯定だ。


「何故なの?」


 アミアは脱力したように側の椅子に座り込み頭を抱えた。

「ねえ、何故なの? メリクが王家の者でないから?」

「……」

「私が拾った子供だから?」

「……。」

「魔法の才があるから? 無能だったら良かったの? 

 子供らしく愚かだったら、貴方は可愛いと思ってくれた?」

「……。」


「別の人間だったら引き受けてくれたの? リュティス……」


 沈黙は肯定を示しているようで怖かった。

 メリクがメリクであるために疎ましいなど、理不尽極まりなかった。


 何より彼がこれからどれだけでも伸びやかに成長して行ける、そういう時期をまだ迎えてもいない少年だというのに、リュティスはこんなに完全な拒絶を見せている。

 アミアには理解が出来なかった。


「……でもそれは……、貴方が一番嫌うことじゃないの?」


 リュティスも人格など無視され、ただ【魔眼】を持つというだけで警戒され遠ざけられ、否定されて来た人間だ。

 リュティスが良い人間になろうと良い魔法を覚えようと、優れた魔術師になろうと、そんなことでは何も変えられなかった。誰も評価を変えてくれなかった。


 その辛さや悲しみ理不尽さを誰よりも分かっているのが、リュティス自身のはずなのに。


 なのに目の前の男は、サンゴールにも【魔眼】に対する理不尽な不理解……その全てから解き放たれているはずのメリクに、彼自身と同じ思いをさせようとしている。


 それがアミアには許せなかった。


(貴方のしてることは、貴方を追いつめた最低な人間達がしたことと同じじゃない!)


 アミアがもう一度リュティスに挑もうと目を上げた時だった。

 窓辺に座っていたリュティスが額を押さえるように顔を覆っている姿が目に入って来た。

 いつも泰然としているリュティスが、背を丸めて俯く姿にアミアはすぐ異変を感じ取った。


「リュティス?」


 口元が歪み、痛みを堪えるような姿だった。


「リュティス!」


 アミアは駆け寄ってリュティスの背に触れる。


「――触るなッッ!」


 リュティスの片手がアミアの腕を激しく振り払った。

 額に浮かぶ汗の数が、現実に起きているリュティスの体調の異変をアミアに報せていた。

 アミアでさえ、こんなに明らかに苦悶するようなリュティスの姿は初めて見る。


 なにより、一瞬見せたリュティスの瞳。

 魔性に輝いている。

 あれは【魔眼まがん】が開いている状態なのだ。

 アミアは初めてそれを見た。

 凄まじい輝きだった。


 リュティスの兄グインエルは、アミアに対してリュティスを恐れろとは一度も言ったことは無い。


 ……だが【魔眼】にまつわる話、特にその攻撃性に対してのものは、決して謂れの無いでまかせなのだと、【魔眼】はただそういう形であるというだけで無害なのだと、そんな言い方もしなかった。


 現実に二十年以上リュティスはそれに苦しみ、そして人の命すら奪ったこともある。

 それを理解してやらなければならないと。

 普通の人間のように終わらない苦しみを心に抱き、日常生きることがリュティスにとってはとても危険なことなのだと、それは事実なのだと言った。


『周りが見たら、私がリュティスを甘やかしているように見えるかもしれない。

 苦しんでいたらその原因をすぐに取り除いてやるから……。

 けれどアミア、リュティスは本来苦悩というものを表に出さない人間なんだ。

 表に出さずにいられる程度のものはね。

 リュティスが苦しんでいる姿を見せる時、それは決して安易な不満や不安ではない、何度もやり過ごそうとして、それでも消しきれなかったものだけが顕われるんだよ』


 苦悩を取り除く……、それは今回に限っては出来なかった。

 なぜなら取り除けというその対象が、一人の人間だからだ。


 それでもリュティスをこのままには出来なかった。


 こればかりはメリクよりも、【魔眼】を所有するリュティスを優先するしか無かった。

 せめて自分なりにリュティスの負担を軽くしてやれることは何かと考えて……やがてアミアは心を鎮めさせるように、一つ息をゆっくりと吐いた。


 そしてもう一度そっとリュティスの背に手の平を置いた。

 今度は振り払われなかった。


「分かったわ、リュティス。もういい。

 もうあの子に魔術を教えなくていいわ。あの子には私から言っておくから……」


「……。」

「だからもう……、大丈夫よ」


 魔術師になれたことを誰よりもリュティスにまずお礼が言いたい、と嬉しそうに話していたメリクの顔が思い出された。


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