五月への応援コメント
平和ボケしたこの国に、必要な声だと思いました。
子どものように、純粋で、変だと思うことを変だと思う、その宝のような感覚は、ロボットのような大人たちに欠けている最重要のものだと思います。
作者からの返信
加賀倉さん、読みに来てくださってありがとうございます。
必要な声と言っていただけて嬉しいです。
ロボットのような大人たち。
私は、その大人たちもロボットの殻を剥いでみれば、きっといろいろな感情や臓器がうごめいているのではないかと思います。
大人だから、大人でいなくてはならない。そんな使命感が蓋をしているのかも。
でも本気でロボットだった人もいるのかしら。
宝のような感覚、失わずにいたいものです。
五月への応援コメント
戦争を体験していない私たちは、この場面は想像するしかないことは確かです。でも、確実に言えること。この「おにいさん」は死ににゆく。そして、見送る人々もそれを知っている。そして同時に見送る人々は「そのことを思ってはいけない」という事実です。人が死ぬことが分かっていても、それを思ってはいけない。これは紛れもなく命への冒瀆です。こんなことを二度と繰り返してはいけません。
作者からの返信
ふみそのさん、読んでくださりありがとうございます。
「人が死ぬことが分かっていても、それを思ってはいけない。これは紛れもなく命への冒瀆です。」
このお言葉にはっと気づかされました。
たくさんの人が死んだとかそういうことの前に、尊ばれるべき「命」というものがある。
それを踏みにじるようなことは、起こってほしくないです。
五月への応援コメント
きっとこういう光景が色々なところで見られたんだろうなと思います。
時代と共に『当たり前』の価値観って変わりますが、その当時はこれが『当たり前』で。
今の『当たり前』で照らし合わせてこの状況を「ひどい」とか「悲惨」とか言うのは個人的には当時の人々の生き方や在り方に対して失礼なことだと思うので、私はこの国を守ろうとしてくださったことに対して感謝の気持ちと鎮魂の想いで接するようにしています。賛美するとか美化するとかそういう気は全くなく、時代とはそういうものだという感じというか。
なので、今の世の中の動きとかを見ていると、追い詰められればまたこういう光景が復活しないとも限らないなぁとかうっすら思っています……。
作者からの返信
ももさん、読んでくださってありがとうございます。
『当たり前』の価値観。
その発想はありませんでした。新鮮です。
その当時にも、この『当たり前』を「悲惨」だと思う人がたくさんいたかもしれません。
『当たり前』って誰が作るもの? 国家? 民衆? 責任を負うべきは誰?
あのとき、いったいどこで道を「間違えた」のか、と言うことも失礼にあたるでしょうか。
亡くなった方々の安らぎと、繰り返されないことを祈るばかりです。
五月への応援コメント
ああ、こゆさん、これはいいな。
こゆさんのような若い人がどうか、というのはチラと思ったけれど、それは戦時体験のないわたくしも一緒だから、そこは想像するしかないわけで、でも、こゆさんがその場面にきちんと立ち会って、観察して、描写している様子が伝わってきました。
これはいい作品です。
たのまれなくてもお星さまパラパラしてしまいます。
それではまた。
作者からの返信
小田島さん、読んでくださってありがとうございます。いい作品と言っていただけて嬉しいです。
私は若輩ですし、このような場面は朝ドラの一場面で見たり本で読んだりしかしていないので、その場にいた方々の心の深いところは推し量ることができません。
(だから子どもの視点で書いたというのもあります……。)
でもきっととてつもない矛盾がそこにはあったんだろうなと思います。
どうか、この気持ちを再び知るようなことがありませんように。
五月への応援コメント
きっと、国から「赤紙」が、送られてきたのでしょう。行かずにはいられない、みんながみんな、バンザイと言って、送り出す。ここで、お兄さんの見る最後かもしれない光景。この作品は、見事に描かれています。子供の視点から、描かれている。温かい目線。最後の温かさ。お兄さんの無事の帰還を、みんな、心で祈っている。
作者からの返信
トシキ障害者文人さん、読みに来てくださってありがとうございます。見事と言っていただけて嬉しいです。
「温かい目線」「お兄さんの無事の帰還を、みんな、心で祈っている。」
はたして本当にそれだけなのか。
明るく見える景色の中に、ちらりと暗い陰が見えるといいなと思って書きました。