日没のサラリーマンと月夜の蛍

ケーエス

日没のサラリーマンと月夜の蛍

 もうくったくただった。国家プロジェクトは何人もの徹夜によって賄われている。それを知ってしらないのか、俺に降りかかる仕事が止まない日はなかった。


 昨日の天気が何かも覚えていない。そんな中ようやく得た休日だ。課長のひん曲がった口が頭に浮かぶ。いやいや。俺は首を振った。今日は休日なんだ。今日は休日だ。


 といっても何日もの終夜運転を続けた体はとっくに油も切れて、休日に外に出ようだとか料理をしようだとか、洗濯をしようだとかいう気力さえもなかった。


 朝、昼、夕方。ずっとベッドにいた。仕事のことが頭に浮かんで離れない。この体がいつまでもつのか。プロジェクトは建設費が2倍に膨れ上がり、工期も間に合わない。際限ない常闇。まずい。夜が来る。俺は体を持ち上げた。


 せめて何か食おう。そしてテレビでも見よう。俺はのろのろと部屋の中を歩きだす。食い散らかしたカップ麺やビール缶の中にリモコンを見つけた。かぶっていた埃が舞ってしばらく咳が止まらなくなった。落ち着いたあたりでゆっくりと腰を下ろす。電源をつけると、ニュース番組だった。俺は電源を切った。


 もう部屋は薄暗い。外からは太陽の残り火が見えているが、もうそれも消えゆくようだった。


 部屋の電気をつけたい。ただ、ここからあのスイッチに向かうことがとてもつらい。立ち上がる気力もない。錆びついた俺のソケットに光を灯せるのか。もうこのまま朽ちてもいいかもしれない。


 そのとき、部屋の中が一瞬明るくなった。窓の外をぱっと見る。ひとつの光。蛍? いや、それにしては明るすぎる。突然変異で巨大な蛍が生まれたというのか。その疑問に答えるかのように俺の脳内に懐かしい光景が投影され始めた。



 小学生のころ、地元のやんちゃな中学生に掴まれて森を歩いていた。あいつらは俺を池に突き落とすなり逃げていった。鬱蒼とした木々に月の光も遮られ、常闇の空間が俺のこころの中にまで染み入ってくるようだった。そういえば熊も出るらしい。もしかしたら今にも近くを歩いているかもしれない。俺は池のほとりにしゃがみこみ、鎖で繋がれたようにすっかり足がすくんで動けなくなった。そこにまばゆい光がさしてきたのだ。



 俺の意識はワンルームに戻った。立ち上がり、部屋を出る。階段を駆け下りると、蛍はそこにいた。隣の電灯ぐらいの明るさだ。右に左に笑うように飛んでいる。俺が近づくと一目散に移動し始めた。


「待って! 待ってくれ!」


 俺は自転車にまたがり、後を追った。やっぱりアイツなのか。数分してから行先はなんとなく思いついていた。蛍の先にはかつて人類の繁栄を称えていた巨大な公園がある。



 入園ゲートは当然閉まっていた。ただでさえ無いような体力に負担をかけている。でも俺は柵に手をかけた。よじのぼり、向こう側に降りる。蛍は待っているかのようにその場で円を描くように飛んでいたが、やがてまた進みだした。


 

 公園の中を進み、巨大な塔がある広場に出た。蛍は止まった。俺も立ち止まった。はずむ息、その先に。



 蛍が舞っている。



 何十何百もの蛍が連なり、塔の周りを旋回している。その形は螺旋上、DNAのようだ。命が輝いている。そして連なっている。今見ているものは命の連関そのものだろうか。



 顔が濡れていることに気づいたのは随分後だった。俺は昨日のままのシャツの袖で涙をぬぐい、つぶやいた。


「ありがとう」


 俺の体にはパワーがみなぎっていた。かつて同じように蛍の絵画を見たときのように。あの明るい蛍は塔のてっぺんにいる。その先に大きな月があった。月に照らされて、蛍に照らされて、塔は自信に満ち溢れているかのように手を広げている。この塔はメインの建造物でありながら、込められた意味はプロジェクトそのものに反発したものだったらしい。俺もこんなものが作りたい。周りが全部解体されてもひとつ残っているような、そんな建築物を。




 俺は再び立ち上がることができた。でもあの塔のような物は今も造れていないと思う。でもやっぱり造っていきたいと思う。たくさんの命の輝きによって造られた建物をあの蛍に見せてやりたいから。

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