第二篇 みぐぜんの轍(六)
慣れないオオトマチック車を操り、ミカサは慎重に獣道を下っていた。
「しゅにらの次はヒュドラときたか……」
しゅにら対ヒュドラ。
「なんですか? しゅにらって」
「守部神社の
石碑にせよ、ヒュドラにせよ。
隠された脇道を見つけられたのは。偶然、あるいは複数の要因がたまたま重なった結果に過ぎない。
やはり、山に隠されたものを見つけろというのは無理がある。
現在の轢死事故の凶器であるかもしれない軍用車両。
それが、まだ何処かに隠されているかも分からないのだ。
RAVはやがて
「なるほど、ここに出るのか」
「知っていなければ、外からは分からないような道ですね」
森林は死角だらけだ。
闇雲に探し回っても、手掛かりは見つからないだろう。
無人の駐車場を横切ったあと、車体を揺らしながら木々の間へと乗り入れる。
斜面の陰、低木に隠れるようなスペースに、ヒュドラをそっと停車させた。
「ここにしとくか」
「えっ、こんな適当な場所に?」
「探そうとでもしなけりゃ、そんなすぐには見つからないさ」
実際、ミカサ自身がそれを証明していた。
それに、ここならすぐに動かせる。犯人が証拠隠滅したいなら、させておけばいい。山の中で燃やされるよりはマシだ。
犯人の逮捕や事件の解決など、ミカサにとって最優先事項ではない。
大事なのは、これ以上の犠牲者を出さないこと。
「結局……轢死事故の犯人も、遺物案件の原因も、分からないままですね」
「もう一度、神社で聞き込みをしてみよう」
二人はヒュドラから降りると、神社へと続く石段を上がっていった。
*
「おう、戻ってきたか。どうだった?」
「原因の特定はまだですが、今はノイズも収まっているみたいですね」
拝殿には
時刻はすでに、昼時を回っている。
「配線屋も金髪姉ちゃんも、なんか食ってけ」
長老の一人がそう言って勧めてくる。
二人は促されるまま、空いている場所に腰を下ろした。
「ひとつ伺いたいんですが。今回のような事故、今までもあったんですか」
「イイルディング以降、ここらはシカがよう出るからのう」
否定しない。つまり、今までも事故はあった。
いや――『事故として処理されてきた』と言うべきか。
「シカによる事故。それは、何件くらいですか」
「五、六件かのう。誰かぁ、覚えちょるか?」
「イイルディングの後は六件じゃろ。ただ、ホトケが出たのは五件だ。一件は
ポスト・イイルデッド昭和に入ってからは、六件。
多いと見るか少ないと見るか。
死因など、きちんと調べればシカか車かは分かりそうなものだが。
当時の国内は混迷を極めており、それどころではなかったのだろう。
御館様――
「御館様は三年前でも七十四歳。正直、その歳でシカに撥ねられてよく助かったと思うぜ。歩けないことを除けば、今でもかなりしっかりした婆さんだからな」
乙松は感心するようにそう言った。
「亡くなられた五名の方は、ダム賛成派でしたか?」
ミカサのその言葉に、空気の流れが止まるような気配が満ちた。
「配線屋――おめえ」
「若いのに、祟りとか信じちょるんか?」
「え……? いや、そういうわけでは」
「まあ、ダム派ばっか死んどったら、みぐぜん様の祟りを疑うのも無理はないがなあ」
「
そうくるのか。
確かに、ダム反対派による殺人などと疑うよりは、平和的な考えだ。
よく分からないもの、
――祟り、か。
神ともなれば、祟りとはむしろ神性の正当な発露とされることもある。
必ずしも、人間に与えられる罰という形で現れるとは限らない。
しかし今ここで語られているのは、そうした抽象ではなく、もっと俗に知られた祟りのほうだろう。
祟りがあるとされる理屈にも、それなりの筋は通っている。
――祟りなんてものは普通、存在しない。……という点を除けばな。
「この神社の由来とか、御祭神についての資料ってありませんか」
「そういうのは、もう残っとらんのう」
やはり、そうなのか。
「あちらにある、あれは?」
昨日に比べ片付けられてはいるが、そこには相変わらず、雑然と資料らしきものが積まれている。
「ありゃあ
亡くなった氏子総代、
長老たちの中で唯一、この神社の歴史を詳しく調べていたということらしい。
拝殿の奥、一段高くなった床の先に、木製の扉が見えた。
古びてはいるが、がっしりとした造りだ。金具には錠が掛けられている。
あれが、奥殿。そう思った瞬間、背後から声が飛ぶ。
「奥殿か? ありゃあ駄目だ、鍵は御館様しか持ってねえ。でも資料の
「御神体、ですか」
山頂で見つけた石碑。あれに書かれてあることが事実であれば――
「どした? 難しい顔して」
さて、どう答えたものか。
「いえ。以前訪れた村で、妙な噂が流行ったものですから。少し思い出してしまいましてね」
「どんな噂だよ」
好奇心に満ちた目で、乙松は訊いてくる。
「くだらない噂ですよ。御神体が夜な夜な歩き回るとかいう」
「ハハハ! それでビビってたのか! ウチのは歩かねえから安心しろい」
「それなら助かります」
ミカサは真面目な顔で答えた。
「なにしろ蛇の御神体だからな。蛇ってのは歩くもんじゃねえ、這うもんだろ? だから動いても『歩いた』ことにはなんねえわな」
「いや、出来れば動かないで欲しいんですが……」
乙松は更に笑った。
「まあワシも実物を直に拝んだことはねえ。例祭のときだけ引っ張り出されるんだが、布を被せてあるからな」
御神体を見せない風習か。それ自体は、別に珍しいものでもない。
「あの御神体、神社よりもずっと古いもんだと、重五郎が言うちょったのう」
「んなこと、言ってたかあ?」
「わしも聞いたぞ。神社はずっと昔、別の場所にあったんじゃないかとか、なんとか……」
「石碑があるから、今の場所に建ったんじゃったか?」
長老たちは、重五郎の思い出を断片的に語り合っていた。
事故の犠牲者の中で――過去を
「重五郎さんの言っていたことは、事実でしょう。この神社の位置は
長老たちの会話が、ぴたりと止まった。
「それは、重五郎が言うちょった……」
「な、なんでそんなことが分かるんじゃ。あんた、ここには来たばかりじゃろうが」
「何故? 表の石碑にそう書いてあるからです」
ミカサはさらりと答えた。
「お前さん……あれが読めるのか?」
「書いてあること自体は、そう難しくないですよ」
「それはそうじゃ、儂らもそんくらいは分かるが……」
「でも、あの石碑はところどころ欠けちょるじゃろ? 断片的すぎて、全体が分かりづらいというか」
それはその通りである。
「確かに。全体像を推測するには、村の外の歴史と当て嵌めていく必要はありますね」
「おめえ……機械工なのになんで、そんなことまで詳しいんだ?」
乙松は、不可解なものを見るような目で訊いた。
「俺のいた旧制高校は、旧軍が裏で人材育成してた予備課程のひとつだったんです。当時、イイルディングの正体については科学じゃどうにもならないってことで、結局オカルトの棚に突っ込まれたんですよ。おかげで、民俗学とか神秘学とか、そんなもんまで叩き込まれましてね」
つまらない出来事を語るように述べたミカサに対し、トゥエルブは興味深げにその話を聴いている。
「そりゃあ災難じゃったな。でもまあ、学んで無駄なものなんてねえよ。なんかの役には立つさ」
「こうして村の由来の解読には役立っちょるしのお」
「重五郎がお前さんと会ってりゃなあ……。一日の差じゃったか」
長老の一人が、ふと思い付いたように訊く。
「なあ、配線屋。お前さんならひょっとして、重五郎が死ななきゃならなかった理由も分かるんか?」
「信心深いし、ダムにも反対しちょったのにの。祟りに巻き込まれるのはのう……」
轢死事故が人為的なものであるならば。
その理由こそ、容疑者を絞る鍵たり得るものだ。
「そもそも重五郎さんは、何故ダム工事に反対していたんです?」
その問いに答えるのは、乙松。
「あいつがダムに反対してたのはなあ……。まあ、村に対する心情的な部分が無いとは言わねえよ。でも、それよりはっきりしたワケがあってな。この神社が理由なのよ」
「祟り、ですか?」
「いんや。あいつはそういうの、一切信じちゃいなかった。でも、この神社を沈めちまうのには反対してたな」
「神社も移設対象ではあるんですよね?」
普通はそのはずだ。
「まあな。なんでも重五郎が言うには、『ここから移設しちまったら、
長老たちは顔を見合わせた。
「なんじゃ。あいつもそんなこと言うちょったんか」
「そんで祟られたのか?」
「でも、全部分かる前なら反対なんじゃろ? なら未遂というか……」
ミカサはそこで
「なるほど、よく分かりました。重五郎さんは、『それ』を解き明かしてしまったんですね」
再び、拝殿の空気が静まり返る。
長老たちは恐る恐る、ミカサに言葉の真意を尋ねた。
「じゃああいつ、それで祟られちまったんか?」
「あんた、あいつが解き明かしたのが何なのか、分かるのか?」
ここに居る者たちは、誰も重五郎から『それ』を聞いていない。
「重五郎さんが村の歴史、神社の由来などを解き明かしたとして。その事実を最初に伝える相手は誰ですか」
「そりゃあおめえ、
ミカサは数瞬、考えるそぶりを見せて。
「皆さん、明日の例祭なんですが。もしかしたら、俺もお邪魔させて頂くかもしれません」
長老たちは、その言葉を受けて口々に言う。
「おめえも例祭に出たいってのか?」
「村ん中でも、わしら代表しか出れないもんなのじゃがのう……」
「なあに、別に若い衆が出たがるわけでもねえじゃろ」
「配線屋に石碑の説法でもしてもらったほうが、盛り上がるのと違うか?」
*
ミカサとトゥエルブは神社を辞して、駐車場への石段を降りている。
「普通は自治体の権力者や高齢者ほど、地域への思い入れは強いだろうな」
「でも……乙松氏も長老さんたちも、そんな感じには見えません」
トゥエルブは見たままの印象を語っているに過ぎない。
しかし考えの起点として、その印象は軽視できない。
「彼らはダムへの強い賛否があるわけではなく、ダム工事を仕方のないこととして、受け入れているのかもしれない。なら他に、村を留めることに強く拘る者は――」
「
二人は御館家に向かうべく、 つづら折りの向こう――
夏の日差しに照らされた、峠道の先を見据えた。
御神体、年々の祈に供し、御姿を仰ぐを常とす。
これは村の守り、曇りなき証しなり。
神前に連りて祈るを以て、御心に通ずるものと……
(以下、石碑破損により判読不能)
――中原神社旧碑「社鎮始記」
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