第一篇 しゅにら様の祠(了)
信仰心を否定され、人殺し、人喰いと糾弾され恐慌する村人たち。
両手両膝を地に突いて、汚物を吐き出す
その手に、儀式用の剣が握られていると気付いたときには、もう遅かった。
ずぶり――
肉を裂き、骨を掠める生々しい手応えが、千鳥の手元へと返っていく。
その剣で、供物を切り刻むはずだった男は――
逆にその刃を、自分の背中に深々と突き立てられていた。
「ち、千鳥……いったい何を!」
千鳥はぶるぶると震えている。
それは、底しれぬほど深い闇より湧き上がる憤怒だった。
「ふざけるなっ! 何を今さら罪を感じているっ! お前らはイスミを――お前らは、鬼畜だろうがあぁっ!!!」
その声に応じるように、ミカサが怒鳴る。
「それ以上はよせ、千鳥さん! 村の人たちへの断罪は、もう済んでいる!」
「もう……手遅れなのよ、全部……」
まるで、それが合図であったかのように――
轟音と、続いて激しい震動が上から降ってきた。
地鳴りのような、腹の底を叩く衝撃音が何度も響き、石床が波打つように振動した。天井の梁がみしみしと軋む。
「な、なんだあっ!?」
善二の叫びだけでなく、何人かの村人がはっと正気に戻る。
それほどの凄まじい音と衝撃だった。
シミュラ様は地下拝殿の天井を見上げ、神託を下すかの如く告げる。
「ミカサ、今のは爆発音です。音響分析および地上スキャンにより、爆破対象はRAVフォー・ドラクスと特定。時限式炸薬使用。現在、地上拝殿は延焼中。推定二十秒以内に正面ルートは遮断されます」
「なんだと!」
――貴重なブイハチエンジンが!
喉まで出掛かった言葉を飲み込み、状況を把握すべく思考を回転させる。
――村長の車を爆発させて、村人の退路を断つ計画だったのか。
それはつまり、千鳥自身も。
「そう。私がどうなっていようと同じこと。お前らは全員ここで死ぬ」
「ち、千鳥……お前……」
「ごめん……。叔父さんのこと誤解してたよ。もっと早く分かっていれば、巻き添えにはしなかったのに……」
仮に善二の助けが入らず、自分自身が喰われてしまったとしても。
千鳥は――始めから村の者を皆殺しにするつもりだったのだ。
時限式炸薬――そんなものを用意できるのは
千鳥と玄蔵は協力関係にあった。
門扉に書かれた血文字に用いられたATF、睡眠薬フェノバルビタール――
全て、玄蔵を経由して入手したのだろう。
もちろん千鳥にとっては玄蔵も標的の一人だが。
脅迫――あるいは、何か別の方法で言う事を聞かせていたのだろう。
それについては語るまい。
「だ、駄目だ! 階段の上まで火が来ている」
正気に戻った村人の一人が、すぐに上から引き返してきた。
「
そう叫ぶミカサの横にはシミュラ様が。
近くに居た善二もすぐに駆け寄り、祠の内部を覗き込む。
地上と地下の拝殿、その奥の壁にぴたりと設置されている祠。
それは本来、御神体を納める目的で建てられたものではなかった。
弾圧時代や過去の迫害から村人を守るための、隠し脱出路。
更に何人かが駆け寄ろうとしたが、先頭の男がいきなり倒れた。
千鳥が血に塗れた剣を手に立ち尽くしている。
村人たちが後退り、更に祠から離れた。
「もうやめろ! 早く来い、千鳥!」
「配線屋さん……」
「これ以上はミカサも危険です。下がってください」
その瞬間、天井が焼け落ち、梁が祠の前に落ちてきた。
炎の中で振り向いた千鳥は、全身に返り血を浴び、その目からも血の涙を滴らせていた。
*
千鳥は、そこまで冷酷な殺人鬼だったとは思えない。
――『犯人は、手強い人間から順に殺している』
あの、
本来ならば、真っ先に殺すべきは当主と村長。
そうならなかったのは。
自分の家族を直接手に掛ける気には、なれなかったからなのではないか。
そうとでも思わなければ、どうにもやりきれない。
守部村の人口は二名となった。
生き残ったのは、善二と
「廃村だな……これは……」
進駐軍が燃え落ちた神社を調べる光景を眺めながら、ミカサは呟いた。
その横では、加納がゆるりと煙草を吹かす。
「本官はまた再配置だな」
「今度はサンドワアム、少ない所だといいですね」
加納は立ち上がると、手をひらひらとさせながら持ち場へと戻っていった。
それを見送って、横に置いたラムネ瓶に手を付ける。
苦みのような後味は、もう無い。
「配線屋……」
加納と入れ替わるようにしてやって来たのは、善二だった。
「本当に世話になったな。あんたには、どれだけ礼を言っても足りん」
「充分ですよ。礼はRAVの修理代だけで結構です」
その修理したRAVは、木っ端微塵になったわけだが。
「それなんだが……」
「ん?」
「金は全く無い。無一文だ。土地ならあるが、要るか?」
そう。
爆薬が余ったのか知らないが、千鳥の奴は実家まで消し炭にしていたのだ。
相続人の善二は、本人の申告通り無一文になった。
「廃村の土地とか、どうしろっていうんですか」
「だよな……」
二人で溜息を吐いた。
「そんなお二人に、ご提案があります」
「うおっ!?」
突如響いた場違いな声に、善二の肩が跳ねた。
そこに立っていたのは――
染みひとつない癖に、袖と裾だけはボロボロの神事服。
その隙間から覗くのは、クマをも殴り殺せそうな機械義肢。
陽光を反射し煌めく、長い
表情筋の存在を終末時代に置き忘れてきたかのような、眠そうな目。
恐らくは世界にただ一人、
「シミュラ様じゃねえか。なんでまだいんの。進駐軍に『
ナノマシン関節はかつてのような音を立てることもなく、巫女服の衣擦れだけが微かに響く。
「あたしは登録上、故彦右衛門氏の資産だったので。進駐軍の所属ではないです」
「親父の資産? あれ、それって……」
「はい。相続により善二氏が現在のオーナーになります。ミカサへの譲渡契約に合意いただければ、ラジオネット経由で報酬債務との相殺処理が可能です」
妙な話が進行していることに、待ったをかける。
「勝手に決めんなって。お前の主は善二さんだろ?」
「い……いや……。私にはシミュラ様の面倒なんかみれないし、それにその……正直、怖いので……」
――守部神社の巫女だもんなあ……。
それは怖かろう。
「でも、それじゃ俺の取り分が多すぎるだろ。借金はゴメンだぜ」
「価格は売主と買主の合意で、いかようにも変えられますので」
「おいおい……イイス素体って確かゼロ戦並の値段だぞ。俺が請求してるのはRAVの修理費なんだが」
「ゼロ戦なんて、テレヴィヂョンより安いけどな……」
善二も当主家の人間だけあって、金銭感覚がおかしい。
社会人としての経歴はそれなりに長いはずなのだが。
まるで厄介払いのように押し付けられた巫女と共に、村の道を歩く。
どうせ現物支給ならブイハチエンジンが欲しかったが、無いものは仕方がない。
「お腹空きましたね、ミカサ」
「ひょっとして、目覚めてから何も食ってないのか?」
「駄菓子と……あとはお供え物のおまんじゅうしか食べてません……」
「あ……? マンジュウ? お前……あの地下拝殿に供えてあったマンジュウ……食ったの?」
恐らくは、儀式前日の朝に用意されていた供物。
地下拝殿の祭壇に並べられていたあれを――
シミュラ様は何も知らず、ただ空腹のまま、口にしたのだろう。
「我慢できなくて……盗み食いは懲役何年ですか……?」
「いや、あれはしゅにら様への供物だからな。お前が食ったのはむしろ正しいが――」
駄菓子については聞かなかったことにする。
というより、ミカサが受け取ったソオダアイスも盗品だった。
「ま、まさか! 人肉
「ただのマンジュウだから安心しろ」
偽物の巫女は図らずも、守部神社の儀式を正しい形――つまり供物のマンジュウを食うことで実行していた。
神と一体化する儀式。しかも元から神と勘違いされていた存在だ。
考えるとややこしくなるが、どうせ現実には何も起こらない。
ミカサとしては、人身供犠を止めるつもりだったのだが。
巫女の手により、形式的には儀式が完遂されてしまった。
これが守部村の『滅びの確定』か、それとも『救い』なのか。
それは誰にも分かるまい。
村人たちは、全ていなくなった。
そして最後に残ったのは、御神体の亡骸でも、祟りの証でもなく――
傷だらけの巫女装束を着たひとりの少女だった。
それは、山の尾根道を抜けた先――
かつて村人らが花見に使っていたかもしれない、小さな平地にぽつんと停まっていた。
ミカサの愛車、
国産RAVであるこの車は、どこか丸く、頼りなげなボディラインが特徴的だった。
しかし車高は限界までリフトアップされ、その足元を支えるのは、農耕機の流用ともいわれる特注のワイドタイヤ。
派手さはなくとも、確かに走る。
「シミュラ様は助手席な」
「それ、あたしの名前じゃないです」
シミュラ様は不満を表明した。
それを見たミカサは、ふと思い出す。
――こいつがちょいちょい、反抗的だったのって……。
もしかして、呼び名が不満だったのだろうか。
「じゃあイイス」
「
エセ巫女はふんすと胸を張った。
「いやそれ、結局はイイスってことなんじゃ」
「Post-Yielded Simulacrum Emulator」
「なんて?」
アメリカ語が流暢すぎて聞き取れなかった。
「ポストイールデッド・シミュラクラムエミュレータ。略称
「ピイス? そういや聞いたことあった、ような……?」
「型式番号はP.Y.S.E.-V8Eブイハチエミュレータ。通称、《ヤエコ》」
――なんだその、無茶苦茶な型番は?
人類が終末に抗う象徴ともいえる、
それを具現化したような存在たれ――
そんな意味が込められているのだろうか?
その割には初期不良で起動すら出来なかったようだが……。
「今後ともよしなに、ミカサ」
そう言ってヤエコは、機械の両手を顔の横まで上げてダブル・ブイサインを決めた。
進駐軍の文化はよく分からない。
オオタ号に乗り込み、車載ラヂオのスイッチを跳ね上げる。
天気は快晴。今日のラヂオ青梅・害獣予報は『晴れときどきサバクネコ』。
なんだ猫か。
むしろ遭遇したいほうのヤツだ。
助手席にひらりと跳び乗ったヤエコは、無表情ながらも自信に満ちたような顔で。
「配線屋のお仕事もお任せください。あたし、優秀ですので」
廃棄処分で払い下げられたくせによく言う。
「仕事ねえ……。お前、何が出来んの? 運転は?」
「免許持ってません」
「俺も持ってないけど……」
「
無免は見逃してくれるらしい。
「ああ、そのイイス。じゃなくてピイス関係はお前、詳しいか?」
「ピース関連のあらゆる知識がインストールされています」
「んじゃ、それでいくか……」
*
東京都千代田区神田神保町。
ポスト・イイルデッド昭和二十二年に、神田区と麹町区が合併して千代田区が発足した際、従来の神保町から現在の神田神保町へと名前が変更された街。
周囲は砂漠に覆われているものの、ある程度の都市機能が残された、東京でも有数の人類拠点のひとつである。
その中の、とある雑居ビルにて――
看板は古びた針金に留められ、北風を受けてわずかに鳴った。
焼け跡の柱にくくりつけられたブリキ板の文字は、大半が風雨に晒されて薄れていたが。
その下隅に書き足された一行だけは、まだ新しく光っている。
─────────────────
笠三線配
─────────────────
機械修理/電気配線/小規模請負
※RAV & P.Y.S.E. 案件対応可
─────────────────
また、看板の文字列は右書きと左書きとが混在し、いずれが正であるかも定かではない。
「なんで屋号と説明の方向が逆なのですか」
「これが今風なんだよ」
「いまふう……」
「書くほうも読むほうも、全ては自由だ。何が正しいかなんて、決まっちゃいないのさ」
そしてヤエコは。
看板の下隅に書き足された『RAV & P.Y.S.E.』の文字を――
ダブル・ブイサインを決めながら読み上げる。
「ラヴ&ピース」
「変な読み方すんな」
「読み方は自由だったんじゃないのですか」
《
終末存在のひとつであるY.S.E.の素体を拾遺し、
教育プログロラムをインストールした次世代の人工模倣者。
P.Y.S.E.(ピース)三原則を始めとした様々なロック機構により、
安保条約基準をクリアした安心安全のリユニットです。
――《GHQ民間安定局広報課/P.O. Info. Sheet-35》
しゅにら様の祠(了)
《引用文献》
本書の構成にあたり、以下の文献を参照した(順不同)
『幻秘探訪録』扶栄堂書店/特集「山野にひそむもの」
『動態構造学』第十二号(東洋走機工研部)
『守部仁久良主神縁起』(守部神社神職筆録)
『小學生理科』學務堂刊・附録「きかいのひみつ」
GHQ SUPPORT HQ「復興協力の手引き(郡域版)」
Inform.Doc.PX-2/Public Liaison Div.
U.S. ARMY TECHNICAL FILE 9820-A
(イールディング期戦時資料)
GHQ民間安定局広報課「P.O. Info. Sheet-35」
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