第一篇 しゅにら様の祠(四)
聞き込みで浮上した人物の中では、
とはいえ、それも『彼が若い男だから』という頼りない根拠に過ぎない。
イスミが事件の中心だとするなら――たとえば、虐待のような過去があったのかもしれないが。
それすらも今となっては、ただの憶測でしかない。
その、イスミについてだが。
――『イスミは……まあ、見ようによっては可哀想な子だったからね』
美優はそう言っていた。
玄蔵の家にあった資料。それによって当たりは付いた。
恐らくイスミは、両手両足が義肢だったはず。
事情を知らなければ可哀想な子にも見えただろう。
「駄目だ、通じてねえな」
駐在所に戻ってラヂオを確認したところ、完全に沈黙していた。
受信できないということは、当然こちらからのデータ送信も不可能。
国家地方警察にはこれまでにも何度か応援を要請してきたそうだが、それを急かす術すら今はない。
この一帯では、つい先日サンドワアムが電話線を引きちぎったらしい。
地上の回線はいまだに復旧していないという。
ラヂオが使えない以上、サンドワアムの出現を予測する害獣予報すら聴けない状態だ。
「動け……頼むから、動いてくれよ」
加納は、手をかけたラヂオ機のダイヤルを微かに揺らしながら、そう懇願する。
その背中には、今までにないほどの焦燥が滲んでいた。
それは――祈りにも似ていた。
*
当てもなく村を歩く。
玄蔵が殺されたのは、ミカサの余計な聞き込みが原因なのではないだろうか。
そんな考えが頭をよぎる。
例えばあの気難しそうな善二が犯人だとしたら。
警告を無視して聞き込みを続けたことで、彼に刺激を与え次の被害者を生んでしまった。
ということは考えられないだろうか。
そう思うとこれ以上、何かをすることすら
肩に掛けたショルダアバッグの重みが、妙に恨めしい。
「古文書……」
その重みで思い出した。
古文書を読むだけなら、誰に迷惑が掛かるわけでもない。
万一、御神体の隠し場所が分かってしまったとしても。
国警の応援が来るまで、そっとしておけばいい。
ミカサは辺りを見回した。
昨日寄った駄菓子屋が目に入る。
駄菓子屋の暖簾をくぐると、奥からおばあちゃんが顔を出した。
「今日はどうしたんだい」
「これ、ください」
棚の隅にあった『かりんとう』をひと袋。
代金を渡し、ショルダアバッグの脇にねじ込むと、ミカサは再び陽射しの中へ戻った。
店先の軒下、木のベンチに腰を下ろす。
そのまま鞄から古文書を取り出し、膝の上にそっと置いた。
――読む前に、少しだけ腹に入れておくか。
そう思い、紙袋から黒糖の香りが立ちのぼるかりんとうをひとつ取り出す。
開封しても手が汚れにくく、鞄の中で潰れる心配もない。終末後の世界を生きる者にとっては、立派な保存食だ。
ひとつ口に運び、ポリ、と静かに噛んだ。
古びた和綴じの表紙には、焦げ茶の文字がかすれて残っている。
――『守部………主神縁起』
表紙の文字は、それしか読み取れない。
それなりに厚みのある書ではある、が。
読むのに時間がかかる。
大した時間もかからず、ペエジをぱらぱらと捲って全てに目を通す。
そして、ぱたりと書を閉じた。
御神体の隠し場所など、さっぱり分からなかった。
それについては何の手掛かりもない。
しかし、だ。
「……そうなると、犯人は誰だ?」
思わず声に出ていた。
今。ミカサの中では再び、有力な犯人像として航平が浮上しつつある。
だがやはり。それは彼が『若い男』であるというだけの、決め手に欠ける根拠しかないことに変わりはない。
――『きっと、イスミに
あの証言……。
犯人はイスミに対して、並々ならぬ思い入れを持つ人物。
安直ではあるが――ミカサはそれを証言通り、『恋愛感情』だと推測する。
玄蔵が犯人であれば、あるいは『親の情』という可能性もあったが、その線は絶たれた。
それどころか、玄蔵はむしろ――
「配線屋さん!」
コツコツという下駄の音が、道の向こうから近づいてくる。
声の主――千鳥の姿は、少し前から視界に入っていた。
やがて彼女は、ミカサの膝に置かれた古文書に視線を落とし、小首をかしげる。
「どうです? 何か分かりました?」
「それは――」
「あ、ちょっと待っててくださいね」
そう言って、千鳥は駄菓子屋の暖簾をくぐった。
おばあちゃんと軽く言葉を交わし、すぐに戻ってくる。
手には、開栓されたラムネ瓶が二本――。
炭酸の泡が、口もとでかすかに弾けていた。
「はいこれ。差し入れです」
「あ、ああ……ありがとう」
依頼人の娘に奢られるというのは、どうにも落ち着かない。
とはいえ彼女は当主家の娘であり、財布の中身に困っている様子は微塵もない。
まあ、甘えておくべきだろうか。
瓶の口に唇を当て、そっと傾ける。
まず舌先をかすめたのは、冷たさだった。
そのすぐあと、炭酸の小さな泡が舌を突き、喉の奥へ弾けて駆け抜けていく。
思ったより甘さは控えめで、素朴な砂糖の風味が口の中にじんわり広がる。
そのあとにふっと遅れてやってくる微かな苦みもまた、味わい深い。
砂糖菓子の甘さだけでは終わらない、どこか奥行きのある飲み口。
終末後の世にしては、よく出来た嗜好品だ。
ミカサは喉を鳴らし、静かに瓶を置いた。
炭酸の泡が、まだかすかに唇の裏で弾けていた。
「
若い男の声がした。
裏手のほうから来たのか、気付かぬうちに近付いていた。
「
千鳥の声色には、僅かな警戒が滲んでいるように思えた。
いや、警戒しているのはミカサ自身だ。
だから、千鳥の声もそのように聞こえるのかもしれない。
「そろそろ、祭りの時間だよ」
「二十歳未満の人間は村に居ないし、御神体も消えたのよ。だったらお祭りなんて、出来るはずがないでしょう?」
「それなら心配ないよ。五年に一度のお祭り、開催しないわけにはいかないからね」
祭り。
古文書にも記されていた、
今のミカサには、彼らが何の話をしているのか、半分は理解できる。
――『供物たる者は、年未だ二十に至らざるをもって適ふべし』
供物は、『二十歳未満の者』でなければならない。
それがあの古文書に記されていた、守部村の真実の一端。
この村で最年少の千鳥ですら二十歳。
だから、大丈夫なはずだ。
悲劇が繰り返されることはない。
――『半分は正解だ、ミカサくん』
美優の声が、記憶の底から反響した。
何かが足りない。
事件の全貌を解明するには、何か決定的なピイスが足りないのだ。
「昭和二十二年、民法改正によって、事実上の民法全面改正が行われた。その中には、年齢関連規定も改正対象として含まれている。……君にこんな話をしても分からないか。配線屋さんは分かりますか?」
居ない者のように扱われていると思ったら、航平から唐突に話を振られた。
「成年年齢の維持、結婚可能年齢の男女差の維持、婚姻による成年擬制の維持、親権制度の改革による未成年者保護の強化……」
「半分だけ正解です、配線屋さん。残る半分は、『数え年から満年齢への統一』だ」
ミカサは、氷の手で心臓を掴まれたような感覚を味わった。
――ま、まさかコイツ……!
「明治三十一年の戸籍法制定以来、戸籍実務上は満年齢計算を採用しています。しかしこの村ではどういうわけか、いまだに『数え年基準』で扱っていたらしい。つまり……。千鳥、君の本当の年齢は――十九歳なんだよ」
その言葉に対する、千鳥の反応を見ることは叶わなかった。
意識が、急激に遠退く感触。
――なんだ? 何を……され……た。
ミカサの世界は、闇に包まれた。
*
暗い。
しかし、真っ暗闇というわけではなかった。
視界の片隅で、ぼんやりと緑がかった光が揺れている。
ミカサは、額にじっとりと浮いた汗を感じながら、ゆっくりと上半身を起こした。
背中が冷たい。畳だ――それも、かなり古びたものだ。
まず目に飛び込んできたのは、天井近くの壁際に滲む、朧げな光の帯。
――あれは……蓄光塗料……。
終末期に生産された、古い蛍光塗料。
光を蓄え数時間だけ弱く自発光するという代物で、イイルディング中は防空壕や地下施設に多用されたものだった。
生産コストも安全性も低いが、停電時には重宝されたらしい。
この光の弱さと色調、おそらく硫化亜鉛系の旧式だ。
夜目にやっと慣れる程度の、ごくかすかな光。
だからこそ、『牢の外』は何も見えなかった。
――ここは、座敷牢?
手を伸ばせば届く距離に、うっすらと格子が見える。
その隙間からは、微かな湿気と、僅かに立ち上る土の匂いが漂ってくる。
地下だ。あるいは半地下。
「薬を盛られたのか……睡眠薬か?」
いつ。どこで。
薬効から推測するに、直前に口にしたもの。
駄菓子屋で買った『かりんとう』、それとも――千鳥に手渡された『ラムネ』か。
かりんとうは、店に並んでいたものから無造作に選んだ。
そもそもミカサの知識では、かりんとうに仕込める毒の種類が思い付かない。
――なら、ラムネはどうだ?
瓶ラムネほどの量に溶かせて、即効性がある薬。
しかも、炭酸との併用で作用が強くなる薬。
旧軍の治療現場で、何度も目にしたことがある。
フェノバルビタール――
鎮静と昏睡を引き起こす薬。
特徴的な苦みは、液体に溶かせばそれなりに緩和される。
ということは。
ミカサはラムネを飲んだ時の感想を思い出した。
――『素朴な砂糖の風味が口の中にじんわり広がる』
思い出すにつれ……じわじわと、自身に対する怒りが込み上げてくる。
――『遅れてやってくる微かな苦みもまた、味わい深い』
「味わい深い――じゃねえよ! アホか俺は。完全に毒の味じゃねえか!」
では、千鳥がミカサに薬を盛ったというのか。
何のために――などとは、もはや訊く気にもなれない。
この村では、誰が何をしても不思議ではないのだ。
だが、それでも。動機は推測しておいて損はない。
こうして生かされているところを見ると、殺害が目的ではないのだろうか。
しかし、ミカサを捕らえたのは千鳥ではなく航平と考えるのが自然。
皮肉なことに、航平が現われていなければ。逆に今頃、ミカサがどうなっていたのか知れたものではない。
千鳥がミカサに対し殺意――いや、それもおかしいか。
駄菓子屋の前で人が倒れたりしたら目立ちすぎる。
となると、排除の目的はあくまで『遠ざけること』か。
思い当たるのは事件の聞き込みくらい。
千鳥が連続殺人事件に関わっているとしたら、その動機はなんだ。
今のミカサが一番に思いつくのはやはり、これまで散々検討してきた痴情のもつれ。
すなわち、恋愛感情――
――『年寄りだって恋くらいするだろ?』
容疑者の動機ついて、初めて駐在所で話したとき。
加納から言われたことだ。
「俺は……なんでこんな単純なことに気付かなかったんだ?」
イスミに想いを寄せたのが『男』だと、誰が決めた?
可能性は低いが、それ以外の線も考えておくべきだったのだ。
――いや、もっと言うなら。
ミカサはイスミの性別すら、勝手に決めつけていた節がある。
村人たちは知っているのだろう。
それはそうだ。彼らが知らないわけはない。
彼らはイスミを――
殺した上に喰っている、のだから。
そのとき、どこかで――
ギィィィィ――
扉の、開くような音がした。
そして――
きぃ……
錆びついた蝶番が、長い眠りから目覚めるような音。
ぴたり、とミカサの耳が凍る。
格子の向こう側、その先にある『外』から――何かが、聴こえる。
きい……
きい……
第一の殺人が起きたとき、
ただ……きい……きい……と、何かが軋むような音を聴いた者はいたという。
歩く、御神体――
――今さらか?
今さら出てくるというのか。
そのことにいったい、何の意味があるというのだ。
きい……
きい……
それは、明らかにこちらへ向かってくる。
乾いた軋みは、足音のように、地を伝って近づいてくる。
きい……きい……
次の音が鳴ったとき、それはもう――
格子の、すぐ向こうだった。
きい……
暗闇の中から格子の隙間に、何かが這うように捩じ込まれてくる。
何かが――
座敷牢の中へと侵入してくる。
きいぃぃ……
ぬうと、格子の向こうから出てきた『それ』は。
この暗闇の中にあってさえ。
妙に存在感を主張する――
鮮やかな水色の、包み紙。
ミカサは瞬きした。見間違いかと思った。
それは。
あの駄菓子屋で見た、ソオダアイスの袋だった。
「なんだ……これは」
「差し入れです」
場に似つかわしくない、なんとも間抜けな声が響いた。
まるで、ソオダアイスが喋っているみたいだった。
「差し入れ? ふざけてんのか!?」
このタイミングで差し入れ、というのも意味が分からないが。
よりによって、そこでソオダアイスを選ぶのはどんな酔狂だ。
――いや、ちょっと待て。
これは、誰の声だ?
守部村の中に、こんな声の持ち主が居るか?
村人の全員に会ったわけではないが、このような声の持ち主は多分あり得ない。
「おかしいですね……囚人には差し入れをするものと記録にはありますが」
「いや、囚人って」
――それはもしかしてアレか? 刑務所の受刑者への差し入れとか。
確かにミカサは牢の中に居るわけだが。
バカにされているのだろうか?
「んなことより、ここから出せ!」
「あ……そっちをご所望でしたか」
暗闇から手が――
――何をする気だ。
手のようなものが、格子を掴んだ。
――いや……なんだこの手は?
バキィッ――!
乾いた破裂音が闇を裂く。
格子は悲鳴のようにみしみしときしみ、節目から裂け、鈍い音を立てて砕けた。
まるで朽ちた古木を、素手でへし折るように。
破片がぱらぱらと床に散り、沈黙が戻る。
そしてミカサは――
ソオダアイスの向こうに『神』を見た。
《ラヂオネット》――
ラヂオネットは、音をつかって じょうほうを とどける しくみです。
とくべつな音を ラヂオで おくると、きかいが そのいみを よみとります。
カセットに 音を のこしておけば、あとで また つかえます。
てがみや電話の かわりになる、新しい つうしんの かたちです。
――學務堂刊『小學生理科』附録「きかいのひみつ」より
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