9
俺は、寒さにだか不穏な空気にだか自分でも分からないまま、ぶるりと肩を震わせた。草平は、動かない。ただ、じっと立ち尽くして桜の枝を眺めている。
「……草平?」
恐る恐る、名前を呼んだ。なんだか、俺一人だけが取り残されているような気がした。草平はすぐ隣に立っているのに。草平は俺の方を見ないまま、ぽつんと、呟くように俺を呼んだ。
「守也。」
草平に名前を呼ばれるのは、いつぶりだろうか。ここ何年か、いつも会うときは二人きりだったし、草平は俺の名前なんか必要としないで、おい、と呼びかければ事足りていたのだ。だから俺は、草平の口から出た俺の名前に一瞬ぼうっと意識を持っていかれた。
草平は、黙ってしまった俺にも視線を向けることなく、無表情のまま桜の枝を見ている。俺は、あ、本気かも、と思った。今回ばかりは草平も、本気で死にに来たのかもしれない。
そう思ったとき、俺の心にわいてきたのは、はじめて道行に誘われた時と同じような、じんわりとした喜びだった。草平が、俺を選んだ。菜乃花さんと生きることよりも、俺と死ぬことを選んだ。それは確かな優越感だった。死への恐怖が、ないわけではない。でも、それは現実味がないくらい胸の奥深くで、じりじりと季節外れの蝉みたいに弱弱しく鳴いているだけだ。
俺は、腕をからませていた草平の浴衣他の腕を、きつく胸に抱き直した。
渡したくない。
その気持ちを強く認識したのは、はじめてのことだった。
勝てるわけない。俺は男で、菜乃花さんはおんな。
そう思って、これまでは、ずっと胸の中にあったその感情に、重い蓋をしてきた。仕方がないことだ、これ以上惨めにはなりたくない、と。
俺に強く腕を抱かれた草平は、ようやくこちらに目を落とした。暗い、いつもの瞳。
俺はそのままの体勢で、草平の言葉を待った。なにか言って。俺に、なにか言って。そう、言ってほしい言葉は、ただひとつ。一緒に死のう、と。
俺を見下す草平と、草平を見上げる俺と、視線ははっきりと絡まっていた。こんなふうに目と目を見つめ合うのは、知り合って長いけれど、はじめてのことだった。これまで常に、俺は一方的に草平を見つめてきたから。
奪えるかもしれない。永遠に、菜乃花さんから、草平を。
俺がそう思って、さあ、早く、一緒に死のうと言ってくれ、と、草平の目を必死で見上げていると、草平は、ふらりと口を開いた。
「……戻るか。」
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