雨が降る日は、君を忘れたい ― 静けさに沈む夜

 夜は、不思議だ。

 昼間は忘れていられることが、闇のなかでふいに浮かび上がってくる。

 今日もそうだった。

 風が止んで、部屋の灯りを消したとたん、記憶の波がそっと寄せてくる。


 君と過ごした日の会話。

 何気なく渡してくれた飴玉。

 教科書の余白に書いた落書き。

 あのときの私は、まだ何も知らなかった。

 「好きになる」ということの、甘さと苦さを。


 でも今なら言える。

 **私はちゃんと、君を好きだった。**


 それだけは、誇ってもいい気がする。

 たとえ報われなくても。

 たとえ、君がもう誰かの隣にいても。

 「好きだった」ことは、誰にも壊せない。


 こうして、思い出を静かに撫でている夜が、私は少しだけ好きだった。

 涙は出ない。

 泣くほどの痛みは、もう遠くにある。

 でも心のどこかに、小さな灯りが点いているような気がする。

 誰にも見えない、小さな光。


 それはたぶん、私のなかの「やさしさ」なんだと思う。

 悲しみが残した、やさしさ。


 月の光が、窓から差し込んでいる。

 何も言わず、ただそこにある光。

 君の声を思い出させない、静かな時間。

 そういう夜に、私は救われていた。


 何も起きない、ただ静かな夜。

 でも、そこには確かに、私がいる。

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