第3話
自動運行バスで高山田高校に着いた。
一度、通学と通勤ラッシュのバスに乗ったことがある。
立ったまま、人に押されヘされ、着いたときにはあまり表情の変わらない雪路がめずらしく顔をしかめていた。
それ以来、ラッシュ時にバスや電車は敬遠し、どうしても乗らなければならないとき以外は、時間をずらしている。
だから、少し早めの時間帯のバスから降りる生徒は、まばらだった。
バス停から、校門を過ぎ、校舎へと続くアスファルトを歩いていく。
道の両側にはハナミズキの白い花のつぼみが少し膨らみ、その手前には丸い形のツツジが若い葉を茂らせている。
永は、少し前を歩いていく雪路を見た。
いつものように雪路の体調をチェックする。
触らずとも見方を切り替えれば、サーモグラフィーで見ることができる。
今日は、四月も中旬にさしかかろうかという頃。
風は冷たくとも、手足の末端までは冷えていないようだ。
脈拍と血圧も数値化して見ることごできる。
全身が服などで覆われていると見えないのだが、手首や首といった肌が見えていれば計ることができる。
いつもと変わらない数値に、雪路から視線を外したところへ、後ろから声がした。
「永、はよっ」
肩をたたかれ振り向く。
「喬ちゃん。おはよう」
永はゆたりとほほ笑んで挨拶を返す。
「いつ見ても、眼福、眼福」
満足そうにうなずきながら言うのは、大西喬一。小学校からの同級生だ。
「『眼福』っていうならぼくじゃなくて、雪路の方なんじゃないの?」
「まあ、遠目に見ているだけなら。でも、雪路は永のように、ほんわかーってしないのよ。雪路は刀なの。すっごくきれいなのに、触れればスパッと切れる」
「そんなことないよ」
「永には、冷たくないように見えてるってことで、いいんじゃね。オレは、永を見て癒されとくよ」
「喬、そんなふうに俺を見ていたのか。残念だ。せっかくお願いされたものを作ってきたのに。必要ないな」
「え、もう! 雪路様。どうか、どうかご容赦を」
腕にすがるように、制服をつかんできた喬一を、雪路はパッパと払った。
永は雪路がそんな頼まれごとをされていたのか、そして、なにを作ってきていたのか知らなかった。
首を傾げた永に気づいた雪路が、説明をしてくれた。
「アニマノイドの通訳アプリが欲しいと言ってきたんだ。一般に出回っている動物と話せるアプリを使うと、急に画面が暗くなったり電源が落ちるって言ってな。で、そのアプリを参考にプログラムを組んでみた」
「映画観ようって言ったとき、それを作っていたんだね」
永は、眠そうな雪路と、机の上や床に散乱していた資料を思い出した。
「システムのダウンロード場所は、今送ったから、あとで確認してくれ」
腕につけているタッチウォッチを操作し終え、雪路は言った。
「サンキュ! これで……」
喬一がつぶやいた声は小さく、聞こえなかった。
永と雪路、それに喬一は同じクラスだ。
クラスルームに入ると、区切られた個別デスクが置かれている。
自由席になっていて、固定はされていない。
教壇の後ろは、大きなスクリーンになっていて、すべての机のモニターとつながっている。
雪路は、中学の時から一番後ろに座ることが多い。
永もそのとなりに席を取った。
喬一は、人懐っこさから、他の気の合うクラスメイトを見つけて、一緒に座っていた。
モニターの電源を入れて、入学時に渡された個人パスワードを入力する。
その日の進捗状況は、パスワードを入力すれば、家でも閲覧可能だ。
小学校以来、鉛筆を持つことがほとんどなく、記入もすべて、指かタッチペンでおこなっている。
「えっと、石黒くんだっけ。ちょっといいかな」
声をかけてきた女生徒が、体を横に傾けると、リュックについているキーホルダーの茶色のふわふわしたかわいい犬が見えた。
「ぼく?」
「そう」
声をかけてきたのは、同じクラスの近成奏だった。
二重でくっきりした目に、笑うと片方にだけえくぼができている。
「なに?」
「あのね。っ……」
言いかけた近成は、急に顔をひきつらせた。
(どうしたんだろう?)
近成の首元に見える心拍数が急に上がっている。
彼女の視線を追うと、見ていたのは雪路のようだ。指は立ち上げたモニターと透明パネルでなにやら操作している。
「雪路がどうかした?」
「い、いえ。こ、これを。どうぞ」
四つ折りのメモ紙を机に置くと、脱兎のごとくいなくなってしまった。その後ろ姿を目で追っていくと、教壇がある前の廊下側の席で、女生徒が固まっている。その輪の中へ入っていった。
そして、ときどきこちらを見ては、こそこそと話している。
サーモグラフィで見る彼女たちの体温の上昇がみられた。
永は、はっと気づいた。
「ねえ、雪路。近成さんが急いで行ってしまった理由って、雪路に気があるからじゃない?」
「……永、どう解釈をしたらそうなるんだ」
ちらっと永を見る目は、冷たい。
「ほら、さっきも雪路を見て脈拍が上がってたし。今もこっちを見て楽しそうにしてるよ」
そう言うと、盛大にため息をついた。
「違うだろ。俺じゃない。永だ」
「そうかな」
「試しに、手を振ってみればわかる」
「ふーん」
「ついでに、俺にいつも向ける笑みもつけて」
「あ、……こっち向いた」
永は、笑顔で手を振った。
すると、「きゃー」と言う声と、体温上昇がみられた。
「あれ、ほんとだ」
「近成さんが急いで行ってしまう前、俺と一瞬目が合ったから、彼女は俺がにらんだように思ったんじゃねーの」
「そうかな?」
「人相が悪いんだろ」
「こんなにかわいいのに?」
「……そう思うのは、永だけだろ」
「いや、そんなことない。雪路が告白されていたの知ってるし。雪路がいいやつだってすぐにわかるさ」
「俺は、どーでもいいけどな」
雪路が肩をすくめ、「見なくていいのか?」とメモ紙を指さした。
永はメモ紙を開けてみる。
「リス―タのアドレスだ」
『リス―タ』とは、VR内でよく使うお店だ。
学生たちが集まる店としても有名で、待ち合わせ場所として使われることが多い。
今度は永が肩をすくめ、席を立ち、近成のもとへ行くと丁寧に頭をさげた。
VRを利用できないと説明すると、近成さんは申し訳なさそうになんども謝られ、連絡先を交換した。
席に戻ってくると、雪路が座った永の背を軽くたたいてきた。
なぐさめのつもりだろう。
VRは、ゴーグルをつけてあたかも山なら山の中にいるように見せるというものだ。そして、VRの中で『自分』という感覚がある。手や足が思ったように動かすことができ、視覚、嗅覚、聴覚といった五感も、そして感覚もある。それは、脳と神経をVRと共有できているから。
だが、神経が存在しないクローンヒューマノイドの永は、VR内では、形がたもてず、のぞけても英数字の羅列、つまり情報としてしか見ることができないのだ。
それを知っているのは雪路だけ。
小学校からの友人である喬一も、どうして永がVRの授業になると参加しないのかは、知らない。
だから喬一や永を知るクラスメイトたちは、これまで、なにか事情があるのかと察し、それ以上深くは聞かれることはなかった。
雪路の役に立ちたいのに、永にはできないこと、そして側にいられないことの方が多いように感じていた。
さっきだって、雪路にはげまされた。
嬉しく思う反面、同じクローンヒューマノイドたちは、人に寄り添い手助けをしている。なのに、はげまされるクローンヒューマノイドなんているのだろうか。
そんなふうに考えたらいけないと、両手でほおを軽くパンパンとたたいて気を取り直した。
その日の放課後のことだった。
雪路は東館の実習室棟の掃除に当たっていた。
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