第5話 フェイズ・ゼロ
薄暗い監視室に、機器の駆動音とモニターの微かな輝きが満ちていた。
中央の大型スクリーンには、取り調べ室の映像。
矢吹蒼一と、マティアス・ネメチュクの静かな攻防が、無音の字幕つきで映し出されている。
「……あの目だな」
画面をじっと見つめながら、真鍋隼人が呟いた。
「何かを隠してる。だが、嘘はついてない」
「ええ。嘘はついてない。ただし、全部を話しているとも限りません」
椅子に浅く腰掛けていた篠原結衣が応じた。目はモニターから離さない。
「演技に見えるか、自然に見えるか……見極めは難しいけれど、彼は”観察されていること”を意識して動いてる」
「軍の人間だ。常に”想定される監視”がある前提で生きてるんだろうな」
高城誠が腕を組んだまま、目を細めた。
そのとき、沢渡圭吾が静かに立ち上がり、監視室の端にある作業端末へと向かった。
「何をするつもりだ、沢渡」
高城の声が、わずかに低くなった。
「身元を突き止めます。確認できるなら、少しでも早いほうがいい」
沢渡は返答しながら、既に手を動かし始めている。
「ヴェルカスタンの軍サーバにアクセスする気か? 今やれば痕跡が残る。日本政府が“亡命者”の身元確認に不正アクセスしたとなれば、外交問題になりかねん」
高城の声音には、指揮官としての当然の懸念が滲んでいた。
沢渡の手が止まる。
だが、代わりに真鍋が口を開いた。
「……今はやむを得ないだろ」
真鍋は椅子の背にもたれたまま、視線を画面に向けたままだ。
「矢吹さんは一人で張ってる。マティアスの言ってることが全部ホンモノなら、俺たちは数日以内に“後手の対応”を強いられることになる。もし偽モノなら、それを放置した責任がこっちに来る」
一瞬、室内に重い沈黙が落ちた。
高城はわずかに目を閉じて――そして頷いた。
「……五分だけだ。痕跡を残さず、ログも飛ばせ」
沢渡は小さく「了解」と答え、再び指を走らせた。
キーボードを叩く手には、揺らぎがない。
「軍のイントラに入ります。マティアス・ネメチュク、元中佐……経歴、顔認証、通信履歴。可能な限りクロスで検証する」
他の三人は言葉を発さないまま、彼の背中を見つめていた。
そして――。
「高城さん」
沢渡が振り返った。
「軍のイントラからマティアスに関する記録は引き出せました。経歴も合ってますし、写真も顔認証で一致しました」
「つまり本人だってことか?」真鍋が振り返る。
「――いえ。」沢渡は一旦言葉を切り、しばらく画面を見つめ考える。
その間、篠原が無言でホワイトボードに残りのヤグリェン関連メモを追加する。マーカーのキャップをはめる音が、小さく室内に響いた。
そして、沢渡はゆっくりと言葉を継いだ。
「そう、“本人だと見えるように作られている”可能性が高いです」
彼は椅子の背にもたれ、指先でリズムを刻むように机を軽く叩く。
「細部のフォーマットが今のヴェルカスタンと違う。三年前にデータ規格が改定されたはずなんですが……このデータは古い仕様のままです」
「それって……わざと古い記録を使ってるってこと?」篠原が眉をひそめる。
「あるいは、偽装のベースになった記録が、その改定以前のものだったか」
高城が低く答える。
「で、そこに”本物の記録”を”加工して埋め込んだ”……と」真鍋が補足する。
全員が黙った。スクリーンには、依然として淡々と会話を続ける矢吹とマティアスの姿。
その沈黙を破ったのは、高城だった。
「……俺たちが知ってる“ヤグリェン計画”は、五年前に凍結されたはずだった。だが、マティアスの口ぶりは“今、動いている”ような口調だった」
「焦ってるようにも見えましたね」篠原が呟く。
「逆だと思う」
沢渡が、静かに言葉を挟む。
「彼は“計画がすでに最終段階にある”と知っているからこそ、ここへ来た。助けを求めるためじゃない。“止めろ”と伝えるために」
「だとしたら……俺たち、出遅れてるってことか」
真鍋の目が、鋭く細められる。
「――フェイズゼロ、か」
高城が呟いた。
「計画が動く直前の、静かな臨界点。まだ爆発は起きていない。でも……その前兆は、もうすぐそこにある」
スクリーンの中で、矢吹が一枚の写真を机に置いた。マティアスが、その指先でそれをなぞるように触れた。
そして、誰もが息を止めた。
(続く)
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