第三象限
おうめ
第三象限
私は、ある繁華街のコンビニエンスストアで店長をしていた。その場所の治安は悪く、泥酔した男が来たかと思えば、面の良い男と腕を組みながら大声で喋る女も来店した。
そんな魑魅魍魎たちに対して、私はただ粛々と最低限の接客を行った。ポイントカードはお持ちですか。袋お付けしますか。お箸は何膳ご利用されますか。こんな、きまったセンテンスをボタン式で選ぶ接客だ。どんな人間が来ようと、私にとっては物珍しいものでは無かったから。私は、傀儡。
ただ、そんな傀儡でも意識の内に留めざるを得ない、無視できない客が稀に来る。
「やっほ〜。」
幼馴染の真莉だ。真莉は、この近くで仕事をしているから、朝飯や昼飯を買いによく来るのだ。
「あ、お疲れ。今日出勤遅いね?」
「そうなの。ちょっと今日の朝は休みたい気分でさ。寝不足で。」
「おうそうか……。無理するな。」
「うん、ありがとっ。ユウキも残業しすぎたらダメだからね。」
「ありがと。じゃあ行ってらっしゃい。」
私は、真莉と「客と店員」とは思えない会話を交わしつつ、品物を袋に詰めて渡し、彼女を見送った。
「またね〜。」
「うん、じゃあまた。お待ちのお客さ……あ。」
私は、彼女の左腕に新しい傷が付いているのを見逃さなかった。
────────
「じゃああと、山下君よろしくね。」
「はい、大丈夫です。お疲れ様でした〜。」
「うん、お疲れ〜。」
私は、退勤するとすぐに真莉とのLINEを開いた。開いて、暫く考え込んでいた。
「やっぱり、何か言ってあげないと。でも、LINEで言って伝わるだろうか。あいつのことだし……。」
先程私は、真莉のことを「無視できない」と言った。でも、私には真莉を構成する要素の一部を「敢えて無視」していた。それは単に、真莉にあまり触れないで欲しいと要請されたから触れていないだけであった。しかし、彼女のあのような姿をもう見ることはできない。20年以上の付き合いがある彼女が、あんな風になっていくのは見ていられなかった。耐えられなかった。
「うーん……。」
悩みに悩んだ末、時期をみて彼女に直接告げることにした。
────────
そう決めてから、何日経っただろうか。それは、ある三月の夜だった。
「やほ〜。」
「あ、お疲れ〜。今帰り?」
「うん。そう。」
長袖の隙間から、また新しい傷が出来ているのが見えた。今は他の客もいないし、このタイミングでキッパリ言ってやらないといけないかな、と考えた。
「真莉……。」
「え、なに?」
一瞬躊躇ったが、意を決して言葉を放った。
「お前もう、……身体売るの、やめろよ。」
「は?」
「辛いんだろ。見ててわかるから。」
真莉の目は、穏やかなものから一瞬にして冷めたものに変わった。
「……それ、触れないでって言ったの覚えてないの?」
「いや、もう見てられない。もう足洗って、俺のところでもいいから普通に働こう。」
私の頭は、半分の善意と半分の正義感から来る快楽で占められていた。
「私だって、納得して働いてるんだけど。だから、触れないでよ。」
こいつは、刃向かうつもりか。少し頭に血が上る。
「はあ? 納得して働いてる奴が、自傷行為なんてするわけも無いしインスタに仕事辛いとか書くわけないんだよ。それに、毎日毎日汚い男抱いて、納得とか意味がわからねえよ!」
私は、錦の御旗を掲げたつもりになってこう怒鳴った。なぜ、こいつは善意を理解しないのか。正義を理解しないのか。もどかしさが募ってますます気が立つ。
「それでも納得してるの、いいって思ってるの! だからこれ以上言わないでよ!」
「いや、俺が理解出来ないね! 言い分を聞かせろよ! どうせすぐ稼げるとか、そういうくだらないもんなんだろ?」
「はぁ?!」
真莉は、こう張り上げてから徐々に顔の熱が冷めていった。みるみるうちにテンションが低くなっていった彼女は、遂に泣き出した。
私は、スイングドアを開けてレジの中から真莉の元へ駆けた。
────────
「ごめん、真莉。泣かせるつもりじゃなかった。」
「うっ、うっ、うう……。」
「本当にごめん。強く言いすぎた。」
「うう……。謝るの、そこじゃないんだけど……。」
「え?」
この時の私は、本当に何が悪いのか理解していなかった。女性特有の気難しい考えの上に泣いているのだろうなどと、馬鹿なことを考えていた。馬鹿なことを考えて、私は、いや、私の「正義感」は、真莉の泣いていることを一蹴さえした。
「ごめん、何が悪かったのか分からない。教えてくれないか。」
私は、間違ったことを言うのが怖かった(という建前のもと、思考を放棄していた)ので、正直に尋ねた。
「はあ……。あんたのそういうところが、本当に嫌い。幼馴染だからって、全部わかったつもりでいるの? それとも、分かってる上でそんなことを言ってるの? だとしたら、相当に性格悪いよね。」
「いや、俺は真莉の為を思って……。」
「だから、そういう所が嫌いなの! 幼馴染だからって全部分かったつもりでいるんでしょ。それでしかも、正義ツラしてるんでしょ。」
私は、「正義ツラ」という言葉に刺された。私のしていることを、偽善だと否定しているのだ。脳の半分を攻撃された私は、すかさず反撃するような言葉を投げつける。
「だから、お前の為を思って言ってんだよ!」
「ああそう! 私の為を思ってるなら、まず私の話を聞きなさいよ! 頭ごなしに否定するのが、あんたの『正義』なわけ?」
「別に、そういう訳じゃないけど……!」
「じゃあ、きちんと話すから聞いてよ。」
────────
私は、高校を卒業してからそのまま女子大に進学したの。桜がまだ咲いているうちは気分が高揚してた。どんな大学生活が始まるんだろうって、すごくワクワクしてた。でも……。どうしても、周りに馴染めなかった。どの授業に出てもみんなグループで固まってて。余り物みたいな扱いされるだけならよかったけど、ついに陰口まで言われるようになって。後期まで耐えられることが出来なくて、中退しちゃった。あんたにも報告したから、覚えてるよね。
そこから何してたか、あんた、知ってる? まず、親に通信制の大学に入れさせて欲しいって必死でお願いしたの。だけど、また金を無駄にする気かって逆に怒られちゃって。だから結局、学士を取ることはできなかった。
それからしばらくの間は、色々なアルバイトをやってみたの。だけど、どこで働いても協調性がないとか仕事覚えられないとか罵られるばっかり。発達障害っぽいから病院行けとまで言われちゃったよ。こうやって罵倒されるのも辛かったけど、他に働いている人が怒ったり、困ったりしている顔をしている方が、もっと辛かった。メンタルもそこまで強い訳じゃない、むしろ弱い質だったから、全部続かなかった。もう八方塞がりになって……。
色々調べに調べ尽くしたんだけど、もう残りの選択肢は身体を売るぐらいしかなかった。五日間だけ住み込みで働く単発みたいなのがあったから、一回だけ、一回だけ……って、思い切って応募しちゃった。
────────
正直、めちゃくちゃ屈辱的で、気持ち悪くて、怖い思いまでした。相手した、あの男たち。あんなの、人間じゃないよ。獣だった。初めて受ける何とも言えない不快感が私のことを襲ったけど、それと同時に……この仕事が「天職」とまで思ってしまった。
やる仕事といえば、スタッフに呼ばれたら店に行って、夜伽をする。それから、暇な時にブログみたいなの更新して、客からくるセクハラじみたメッセージに返信するだけ。そこに、協働なんか全くない。覚えることだって、さほどない。ただただ、私さえ我慢すれば給料が入ってくる仕事だった。そう、私さえ我慢すれば……。
この腕の傷は、私だけが我慢した証拠だよ。私の振り回すナイフが、私にしか刺さらなかった。それだけの話。
────────
「『天職』って言ったけど、私だってこれが理想だったわけじゃないから。ただ、私の様々な要素が交わった場所が、この世の第三象限だったってだけ。」
「はあ……。」
私は、真莉から突然背負わされた重たいものを処理するのに苦労した。私の中での真莉は、全てが溌剌なものだったからだ。だからこそ、袖からこちらを覗いてくる暗い赤色の傷跡が、受け入れ難かったのだ。
「あのね、ユウキ。これだけ心底腹立ったから言わせて欲しいんだけど。」
「えっ、何……?」
「あんたみたいに、何もかもキレイな人だけが世の中にいると思うなよ。」
第三象限 おうめ @westerntokyo
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