ハッピーマイエンディング
おうめ
ハッピーマイエンディング
私は、友人のリサから紹介されて、梅田の路地裏に日曜夜だけ現れるという「死の商人」へと会いに行くことにした。御堂筋と曽根崎通の交わる、食べ放題のイタリアンがあるところのあたりだ。代金四万円と、指示された筆記具を持参して、私は向かった。
曽根崎新地二丁目。薄暗いビルの林の中に、その商人は立っていた。
「あの、あなたが……『いつき』さんですか?」
「はい、私が『いつき』ですよ。初めまして。八尾くん……で、合ってるかな?」
「はいっ、初めまして。」
丁重に挨拶を交わした。というのも、「いつき」さんは顔が絵画に描いたというほど美しく、初な私には緊張してしまったのだ。
「ごめんね。信用してない訳じゃないんだけど、ウチは先払いなのよ。お先にお代をちょうだいね。」
「は、はいっ。」
私は、震える手で財布から四万円を取り出した。福沢諭吉の書かれたくしゃくしゃの一万円札が、白くて美しい手へと渡る。
「いち、に、さん、よん、ちょうどね。まいどあり。それじゃ、私についてきてちょうだい。」
そう言うと「いつき」さんは、ビル林のさらに暗い方へと進んで行った。
しばらく歩くと、ほぼ廃ビルのような、少し背の高い雑居ビルが現れた。
「八尾くん、ここよ。三階だから。」
ギギギ……と扉を開けた「いつき」さんは、入るなり付け足すようにこう言った。
「あ、地下は霊安室だから、絶対に入っちゃダメよ。」
「は、はい……!」
私もこれから、地下にいくのか。
「誰であっても、死者の情報は開示してはいけないの。よろしくね。」
やはり、忘れ去られたい人間の為にある施設なのだと再認識させられた。時として人間は、死を社会的インパクトを与える目的で用いることがある(そして、力に弱い人間社会は往々にしてそのパワーに動かされる)。しかし、それを望まない人間もいるのだ。所謂「垢消し」のように、ひっそりと身を滅ぼすことは難しい。「いつき」さんは、そのような人間を救う仕事をしているのだ。
三階に着くと、大きなソファとテーブル、冷凍庫に棺と電子レンジが置いてあった。
「さ、八尾くん座って。」
「分かりました……。」
静かにソファに座ると、「いつき」さんは何かを書くであろう用紙とペンを取り出した。
「はい、じゃあ本人確認するわね。氏名、年齢、住所、電話番号を教えてもらえる? あと身分証。」
「えーっと、八尾志紀、21歳、大阪府堺市…………」
つらつらと個人情報を述べたあと、彼女に免許証を手渡す。
「ふんふん……オッケー、ありがとう。現世退職代行『コノヨムリ』を使うのは初めて……って当たり前よね。」
「は、はい。」
「ふふ。肩の力抜いてよ。そこまで緊張しなくていいのよ?」
「いや、まだちょっと決心がつかないというか……。」
私は、情けなくなって顔を赤らめた。ところが「いつき」さんは、それでも決して嫌な顔をせず、微笑んでくれた。
「あら。どうして決心がつかないのかしら?」
「いや、だって……。」
私は、いくら死にたいといえど、死ぬことそのものへの恐怖は未だ拭えていなかった。それに、シャツの背中側を引っ張って、この先の行動を阻んでくるような存在のことも気がかりだった。
「死ぬの怖いですし、サークルの同期とかバイト先の店長とかに迷惑かけるのも怖くて……」
「ふふふ」
私の弱音に、「いつき」さんは優しく微笑んだ。
「とっても可愛らしいわね。でもあなた、よく考えてみなさい? そもそもあなたは、自分の意志でここに来たのよね。」
「は、はい」
「あなたは、死にたいと思っている。だけど、今あなたがしているのは、死の恐ろしさと他人の話だけ。体の根っこまで、外部に侵食されているわよ? たまには、自分に優しくしなさい。」
「は、はい……。」
「ここに来る方みんな、外部に侵されてばかりなのよ。自我を強く保つことができなくて、押しつぶされてしまうの。一度くらい、自分を第一にしなさいってよね。」
やわらかい表情をしながら、「いつき」さんは愚痴のような、持論のようなものを語り続けた。
「そもそも、あなた一人居なかったからって、何も変わらないわ。あなたを悪く言っているわけじゃないのよ。人間の世は、そういうふうにできているから。むしろ、あなたは普段から迷惑をかけているほうでしょう?」
「そ、そうですね……。」
「人の役に立っている人は、こんなところにこない。人に迷惑をかけまくっているのに気づかない『幸せなバカ』も同じく、ここにはこないわ。あなたは、自分の無能に気づけているの。それだけで立派よ。」
この女性の言葉は、まるでぽかぽかの布団のような心地よさだった。表現が、微妙なところをついている。理解してくれる心地よさと、認めてもらえるうれしさ。この世の人間は、誰一人として認めてくれなかったのに。もしかして、この人はこの世の人間じゃないの?
「私は、きれいごとなんて言うつもりないわ。あなたも、あなたの周りも幸せになる唯一の方法は、死ぬことよ。よく自覚しているかもしれないけど、あなたがこのまま生き続けていても、先に見えるのは無様な景色よ。ひょっとしたら、少しの間悲しんでくれる人がいるかもしれないけど、どうせその人たちも、一週間したら忘れるわ。」
「なるほど、初めてそんなこと言われましたけど、確かにそうですね……。」
この世のものとは思えない女性は、はにかみながらつぶやいた。
「ふふふ。あなたは、『親が悲しむ』とか言わないのね。きっと、親に愛されずに育った子なのね。」
親。世界で一番聞きたくない単語だった。もう、何から話したらいいかわからないほど散々な目にあった記憶しかない。私がよく聴く歌には、こんな一節があった。――「ああ、そんな奴の子に生まれて」――普通の人が見ると馬鹿にされているように思うだろうが、私には妙に安心する言葉に思えた。そう、私にとって親は「そんな奴」なのだ。連中から出てきた精子と卵子の腐ったミックスジュースが、私だ。
「……あら、ごめんなさい。親って単語、いやだったかしら。」
「え、まぁ……。」
「大丈夫よ。その人たちのオナニーに付き合うのも、今日で私が最後にしてあげるから。」
「あ、ありがとうございます。」
ああ、「いつき」さんは、本当に恐ろしいぐらい優しい女性だ。
「……さて、死ぬ気にはなった? どうかしら?」
「は、はい。ぜひ死にたいです。」
「ふふ、その意気よ。」
私は、なぜこの人が赤の他人の死を奨励しているのか分からなかった。けれども、そんなことより今は自分のことだ。
「あ、あの……。」
「ふふ、なにかしら。」
私は、最後だからと思い切ったことを言う。
「あの、えっと……。『いつき』さんって、すごく優しくて、美人さんですよね。」
「あら、この期に及んで、そんなお世辞? 照れるわよ。私も若くないわよ。」
「いえ、本気です……。それで、死ぬときは『いつき』さんに抱きしめられながら、死にたくって……。」
「あらあら。」
「いつき」さんは、可愛らしく少し頬を染めていた。それを見た私は、とっさに謝罪の言葉が出てしまう。
「あ、いやあの、嫌だったら全然いいんで! 気持ち悪いですよね、ごめんなさい……。」
焦る私を前に、『いつき』さんは照れながらも微笑む。
「ふふふ、あなたがそれで幸せに死ねるなら、私はいいの。冷たい言い方しちゃうけど、むしろそういう仕事だから。」
「あ、ありがとうございます……。」
「ふふ。それでね、最後に何か食べる? 最後の晩餐は、サービスなのよ。冷食だけど。」
なるほど。冷蔵庫と電子レンジは、そのためのものか。しかし、最後の晩餐など楽しんでいる暇はない。それに、気が変わりそうで怖かった。私は、一刻も早く死ぬのだ。
丁重に断った後、私は優しい処刑台の前に立った。救いの輪っかの前に、いのちのサイカイアトリストは腕を広げて立っている。私は、首にその輪っかを通す前に、「いつき」さんのことを抱きしめた。私が、生前に感じ取れなかったぬくもりを、そこで初めて(最後に)感じ取ることができた。
「おやすみなさい。安らかに。」
縊鬼(いつき)さんは、そう囁いた。
ハッピーマイエンディング おうめ @westerntokyo
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