転生スローライフは観察日和

ざきる

異世界転生、始まりの観察

 毎朝4時起床、12時間労働、土日も出勤——そんな生活に嫌気が差していた矢先、俺は死んだ。


 野鳥観察員・佐藤陽、35歳。過労死一歩手前の人生に終止符を打ったのは、山での足滑りだった。


 でも、目を開けると——そこには見たこともない青い草原が広がっていた。


 * * *


 野鳥観察員として15年。この仕事に就いてから、佐藤陽は人生の大半を自然の中で過ごしてきた。その日も、珍しい渡り鳥の営巣地を確認するため、人気のない山奥を歩いていた。毎度のことながら、一人きりの観察行だった。


 しかし、夢中でファインダーを覗いていた彼は、足元の地盤が雨で緩んでいることに気づかなかった。


 ——ああ、まだ見たい鳥がたくさんいたのに。データのバックアップも取れていない。


 意識が薄れていく中、最後にそんなことを考えた。


 * * *


 鳥のさえずりで目が覚めた。


「……ん?」


 まず感じたのは、全身を包む柔らかな感触。見たこともない青い草の上に横たわっている自分に気づく。


 慌てて起き上がると、そこは見知らぬ森の中だった。いや、「見知らぬ」では済まされない。明らかに日本の森林とは植生が違う。


「これは……まさか異世界転生パターン?」


 立ち上がろうとして、違和感に気づいた。体が軽い。いつもの関節の軋みもない。恐る恐る自分の手を見ると、35歳のはずの手は、20歳頃の若々しい手に変わっていた。


「なんだこれ……でも悪くない、むしろ最高じゃないか」


 混乱する頭に、突然文字が浮かび上がった。


【ステータス】

■ 名前:ヒナタ・オブザーバー ■ 年齢:20歳

■ 職業:観察者        ■ レベル:1

◆ 固有スキル ◆

『森羅万象の観察眼』 Lv.1

└→ 見るもの全ての本質を理解する力

◆ サブスキル ◆

・独り時間の恩恵(一人でいる時、作業効率3倍)

・野生の友(動物との意思疎通が可能)

・職人の手(観察した技術を即座に習得)


「は? まじで異世界転生パターン? でも悪くない、むしろ最高じゃないか」


 ゲームでよく見る、アレだ。まさか自分の目の前に現れるとは。

 その瞬間、頭の中に膨大な情報が流れ込んできた。この世界のこと、自分が転生したこと、そして与えられた能力のこと。


『森羅万象の観察眼』——それは、見るもの全ての本質を理解する力だった。


 試しに、目の前の木を観察してみる。


【観察結果】

マナオーク(★★★レア素材)

樹齢:約80年 │ 魔力蓄積:中 │ 価値:高

【利用法】

・魔法道具の素材として最適

・建材として使用可能

・樹液→発酵→良質な酒

【特記事項】南側に新芽多数、健康状態良好


「すごい……」


 今まで鳥類図鑑や植物図鑑を駆使して必死に同定していたのが、一瞬で分かる。しかも、利用方法まで。魔力蓄積? この世界には魔法があるのか。


 ピィッ!


 頭上から高い鳴き声が聞こえた。見上げると、青い小鳥が枝に止まっている。


【観察結果】

スカイラーク(★★希少種)

性別:オス │ 年齢:2歳 │ 知能:高

【特徴】

・朝夕に美しくさえずる

・人懐っこい性格

・高い学習能力

【現在の状態】警戒中だが好奇心も強い


「やあ、君も俺を観察してるのかな?」


 そっと手を差し出すと、小鳥は首を傾げた。しばらくじっと見つめ合った後、恐る恐る手の上に乗ってきた。


「よろしく。俺はヒナタ。ここじゃ、まだ右も左も分からない新参者だ」


 ピピッ!


 小鳥は嬉しそうに鳴いた。なんとなく、意思が通じている気がする。


「そうだな……君はフィンって呼んでいい?」


 青い羽を観察していたら、魚のヒレを連想したのだ。フィンは気に入ったらしく、肩に飛び移ってきた。


「さて……」


 辺りを見回す。森は静かで、人の気配はない。前世では満員電車に揺られ、パソコンの前で12時間。そんな毎日にうんざりしていた俺にとって、この静寂は——まさに夢のようだった。


「とりあえず、水と寝床を探さないとな」


 観察眼を使えば、水源も簡単に見つかりそうだ。歩き始めると、フィンが先導するように前を飛んだ。


 10分ほど歩くと、小川のせせらぎが聞こえてきた。


【観察結果】

清流:飲用可能

水温:15度 │ 流速:緩やか

生息魚類:シルバートラウト、クリアミノー


「ありがたい」


 水を手ですくって飲む。冷たくて、ほんのり甘い。都会の水道水とは比べ物にならない美味しさだった。


 川沿いを歩いていると、木々の間に何か人工物が見えた。近づいてみると、それは小さな家——というより小屋だった。


【観察結果】

廃屋:築年数不明(推定50年以上)

構造:木造、魔法強化あり

状態:要修理だが基礎はしっかりしている

前住人:おそらく隠者か研究者


「へえ……」


 蔦に覆われ、屋根も一部崩れているが、構造自体は意外としっかりしていた。前世での経験から、少し手を入れれば住めそうだと判断できる。


 扉を押すと、ギィと音を立てて開いた。中は埃っぽいが、家具がいくつか残っている。暖炉もある。壁には奇妙な図形の刻印がある。


 本棚もあった。中を覗くと、魔法に関する研究書らしきものがいくつか残っている。前の住人は何者だったんだろう。単なる隠者ではなさそうだ。


「ここを拠点にしようか、フィン」


 ピィピィ!


 相棒も賛成のようだ。

 その日の残りは、小屋の掃除と簡単な修理に費やした。観察眼があれば、どの木材が腐っていて、どこを補強すればいいか一目瞭然だった。一人でいる時の作業効率が3倍になるサブスキルも効果抜群だ。


 夕方、川で捕まえた魚を焼いて食べた。調味料はないが、新鮮な魚は塩なしでも十分美味い。


「なあフィン」


 暖炉の前で、肩に止まった相棒に話しかける。


「俺、前の世界じゃ野鳥観察員だったんだ。君たちの仲間を毎日観察してた」


 ピィ?


「でもさ、いつも時間に追われてた。観察記録を急いでまとめて、次の調査地に移動して……ゆっくり観察を楽しむ余裕なんてなかった」


 フィンは黙って聞いている。


「ここなら違う。時間はたっぷりある。好きなだけ観察して、記録して、のんびり暮らせる」


 そう呟いて、拾ってきた木の板に今日の出来事を炭で書き始めた。


『転生初日

場所:名もなき森

天候:晴れ

観察種:スカイラーク(フィンと命名)、マナオーク、シルバートラウト

所感:この世界での新しい観察生活が始まった。焦らず、ゆっくり、この森から始めよう』


 書き終えると、なんだか新しい人生が本当に始まったような気がした。

 窓の外では、フィンの仲間たちが夕暮れの歌を歌い始めている。前世では録音機材を構えて必死に記録していた鳴き声を、今はただゆったりと聞いている。


 ——ああ、これだ。


 求めていた生活は、きっとこれだったんだ。


 誰にも急かされず、自分のペースで、好きなことに没頭できる生活。

 明日は何を観察しようか。そんなことを考えながら、転生後初めての夜を迎えた。

 月明かりの下、フィンが窓辺で眠そうに目を閉じている。

 静かで、穏やかで、完璧な夜だった。


 窓辺で眠るフィンを見つめながら、ふと壁に目をやる。暖炉の火が揺らめく中、壁に刻まれた小さな文字が浮かび上がった。


『観察者よ、汝が来るのを待っていた』


 思わず立ち上がる。誰が、いつ刻んだのか。そして——

 文字の下に、小さな鍵穴のようなくぼみがあることに気づいた。

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