(32)出版記念パーティ

 秋になり、アヤミの原稿は、締め切り前に出版社に届いた。タイトルは「絹と爆弾」というもので、舞台となる、アズサの会社のある市の女子中学生が、自分の気持ちを吐露しているという小説だった。「絹」は、この地方の有名な産業、「爆弾」は、終戦直前の空襲を含んだ惨禍を指しているが、直接的には、それと分かる表現は出てこない。しかし、全編を読むと、このような、内陸の奥まった、それほどの重工業地帯でもないような穏やかな街でも、さまざまな人々の生き方が混ざり合って、過去から現在までを過ごしているのだ、ということがよく分かるような構成だった。

 

 アズサは、下読み、内容の構成と展開チェック、表現の校正などを行い、結果は逐一、部長にも上げた。それ以外、挿絵や表紙の手配、印刷所とのやり取り、販売ルートの確認など、一通りの仕事もこなした。アズサをはじめ、関係する担当者の尽力が実って、翌年の春、アヤミの新作が発表された。

 

 アヤミは、文学賞やハンバーガー百個など、以前から話題性はあった作家であるだけに、気合いが入った新作ということで、そこそこ話題になり、新聞や雑誌の書評にも取り上げられ、おおむね好意的な評価を得た。売り上げも好調で、アヤミへの印税報酬も、年収としては自分で食べて暮らしていけるぐらいの額にはなった。

 

 販売部数の目標数を上回ったところで、出版社が記念パーティを開くことになった。五月の連休明けの金曜日の夜、出版社そばのホテルの小さな会場で、アヤミを大津から招き、関係者とのささやかなパーティが開かれた。出席者はアヤミと出版社の社長、主担当の部長、アズサ他、関係者合わせて十名ほどであった。初めに、出版社社長からの挨拶があった。

 

 「今回は、勝部あやみ先生の新作が、読者の方々から大変に高い評価を頂き、予想以上の売れ行きで…」

 

と、無難なものである。次いで、編集の主担当である、文芸・学術部長からも挨拶がある。

 

 「今回、私は入社二年目の川途流梓さんを副担当についてもらうようにしました。私自身の直観と言うか、勝部先生と川途流さんは、出身地も同じ、年齢もほぼ同じで、きっとうまく行くと確信したからです。その結果、本当にスムーズに、いやそれ以上に取材や執筆などが進み、このような素晴らしい成果となりました。上司から言うのも変ですが、川途流さん、本当にお疲れさまでした。以下、社長と同文です」

 

 最後の「ボケ」が多少受ける。そして、最後に、今回の主賓の勝部あやみが挨拶する。

 

 「今回、本当にワタシのような駆け出しの若輩者に、すばらしい期待を掛けてくださって、お礼の言葉もありません。お話しを頂いたときには、ワタシなどにできるだろうか、と思ったのですが、出版社の皆様、そして同年代の副担当、アズサさんについていただいたのが、今回の成果の、ホンマに、本当に、成功の要因と思います。カワズルさん、本当におおきにありがとうございました」

 

 アヤミが続ける。

 

 「私自身、この作品の執筆で、本当にいろいろな経験をさせていただきました。そのたびに、私の心の中で、人が違えば、考えも、感じ方も、暮らしも、人生も、全然違うんだ、ということがどんどん伝わってきました。この作品は、女子中学生のアスカとその友達のコウスケという男子中学生が主人公です。この二人は、現代に生まれ育ち、この地域の名産の絹織物も、戦争の被害も直接は知らずに暮らしています。そんな二人でも、この街で暮らす人、一人一人が、たとえ家族でも兄弟でも、異なった人生、考え方をするんだ、ということを知った、というのがこの作品のイイタイコトです。二人並んで同じ景色を見ても、その時に同じ風が吹いても、その二人の感じ方は違っているのです。一つの産業で街が興隆しても、戦争で街が焼き払われてしまっても、そして現在の穏やかな街並みに暮らしていても、その時にいる人たちの心には、それぞれ全く違った思いが刻み込まれる、ということだと思います」

 

 ここまで一気に話して、アヤミはさすがに唇が渇いてしまったのか、テーブルにあった水を口に含んだ。挨拶の後半を話し出す。

 

 「取材で、アズサさんと、戦時中に掘られた地下壕を見学しました。戦争当時なので、そこは素掘りのトンネルで、壁面はノミやツルハシの跡が残っていました。数えきれないほど多数の跡を見て、一つ一つの削り跡を付けた人の人生や考え方は、一つ一つの跡の数だけ異なっていたのだろう、と感じました。この作品は、そのようなことが読者の方に伝われば、と思って仕上げたものです。多くの人に読んでいただければ、と願っています。本日は本当に本当にありがとうございました」

 

 十人としてはかなり大きな拍手が起こった。アズサも手が痛くなるぐらい大きな拍手をした。取材の時から、アヤミの考えはところどころ見え隠れしていたし、作品の編集過程で、もう何回分も本文を読んだから、作品のイイタイコトは大体分かっているつもりだったが、今こうやって作者のアヤミ本人から、その核心を言われると、改めてアヤミのすごさ、鋭さを知ったように感じ、少し身震いするのが分かった。

 

 「それでは乾杯!」

 

と、主担当の部長が音頭を取る。アズサもアヤミも、ノンアルコールのビールで乾杯した。

 

 パーティは和やかに進んだ。アヤミは今日はこのホテルに泊まる。翌日は土曜なので、アズサはアヤミと一日過ごすことにした。このホテルから、アヤミがアズサの家を訪れるという。ヨウスケも楽しみに待っている。集合は、アズサの家の最寄りの駅に十時、としていたが、アズサはアヤミが来るのは十一時前と踏んでいる。

 

 パーティのお開きが近づいたとき、アズサはアヤミに近づいて、一つだけ疑問に思っていたことを聞いた。

 

 「アスカとコウスケって、ウチらの名前、取ったんやろ?」

 

 「アハハハ、偶然やん、偶然」

 

 いつものアヤミの笑顔だった。アズサもそれ以上は聞くこともなく、パーティは無事閉幕した。アヤミは名残惜しそうに、アズサをホテルの入り口まで送った。と言っても、明日またアズサの自宅でアヤミに再開できる。アズサはアヤミに手を振って、自分は駅に向かった。

 

 アズサは静かな、そして隅々まで満ちたような安心感に浸って、帰宅する電車に揺られていた。

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