(29)うっかりもの
アズサをわざわざ東京から呼び寄せたアヤミの仕事は、無事完了した。時刻は昼の十二時前だったが、せっかく比叡山まで上って来たので、二人は駅脇の遊歩道を通って、延暦寺を簡単に見学することにした。現在は本当に簡単に上ってこられる「観光地」のようにも受け取られるが、ここにある延暦寺は、和歌山の高野山の金剛峯寺と共に、平安仏教の中心地でもある。現在も修行僧が多数おり、まさしく千二百年間、仏教寺院の代表格として名をはせている。
アズサもアヤミも、地元の有名なお寺、という意味では大いに自慢できるし、そこに上がって来た以上、そこそこ畏まってはいるが、やはり現代の平和で明るい雰囲気の中、他の観光客と同様、見事な建物、伽藍をチラチラ見る程度で通り過ぎた。
比叡山は、琵琶湖側から上って、京都側へ抜けられる。二人は、バスやロープウェー、下りのケーブルカーを使って、京都側に降りた。ここからは、京阪三条に抜けられる小さな私鉄が出ている。
私鉄の駅に着いたときは、もう日が傾きかけていた。アズサとアヤミは、地元の京阪電車にも似た小さい電車に乗って、三条に出た。
「あー、ウチ、どうしょう?」
アズサがつぶやく。
「なに? どうしたん?」
アヤミが聞き返す。
「ウチ、ホンマは今日山梨に戻るつもりやって、午後の新幹線で戻ろう思うとったんよ。でも、もうこんな時間。ほんで、今、荷物持っとったら、そのまま京都駅に出て帰れるんやけど、荷物、家に置いてきてん。しもうたぁ」
「アハハ、アズサもウチレベルのうっかり屋やな。どうするん?」
「ウチ、実家戻ったら、もうそれから京都駅に出るん、しんどいわ。うーん、どうしょう」
「あ、ウチ、ええこと思いついた」
「なに、アヤミ?」
アヤミは背中を後ろに傾け、両手を合わせて頬に当て、顔をアズサの方に向ける。目をつぶって眠るようなポーズを取った。
「あ、夜行バス!」
「せや、アズサが使うたことある言うてた、大津からの夜行バスで帰って、明日直行出社すればええやん」
「うん、それにするわ。ありがと」
アズサは早速スマートホンで大津から新宿までの夜行バスの予約を取る。運よく空席があり、本日夜のバスに乗れることになった。実家には、午後の新幹線で帰ると言ってあったので、予定変更の電話を入れる。
「あ、お母さん? 今まだ京都でアヤミさんと一緒なん。新幹線で帰ろ思うとったけど、もう今から荷物取りに行ってまた京都に出るのめんどくなって、いつもの夜行バス予約取ったん。夜、南草津まで送ってくれへん?」
母は、よほどアヤミといるのが楽しいのだろうと、アズサの希望は快諾した。夕食を食べるかどうか聞くと、アズサは
「ちょっと待って、アヤミに今聞く」
と、電話口から離れてアヤミに尋ねる。
「晩ご飯、ウチと食べてく?」
「ええよ。京都で何か食べよ」
再び、母と電話で話す。
「お母さん、晩ご飯もアヤミと食べてくわ。かんにんな」
アズサは母が「バスに遅れないように帰ってきなさい」という助言を受けて、電話を切った。
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