第二話『エイブラムスの卵』

 エイブラムス教師は自分の教室の生徒が待つ、ビリーニャ渓谷けいこくに向かうため、ローフォル鉄道に乗車した。



 この世界に鉄道が生まれたのは意外と近年になってから。そのためチケットは高額だ。活用できる人物は限られてくる。



 広大、広大というが、この学園は一国家が丸々納まるくらいの敷地を持つ。そして、文化のレベルも外界とは一線を画す。



 更に常に増改築も行われているため、今やその全体像を把握できている者はいないのではないだろうか。



 こうしてローフォル鉄道は一路、西の乾燥地帯へ向かう



「ふう、何とか間に合ったな」

「これが……かの鉄道ですか。意外と揺れるんですね」

「駅弁を選ぶのに何で五十分もかかるんですか、師団長」



 エイブラムス教師の耳に、同乗者の会話が聞こえてくる。彼は、こういう他愛もない話を聞くのは嫌いではない。



「わかってるんですか?これは王国直下の命令ですよ?」

「わかったわかった。とりあえず食事にさせてくれ」

「もう……。食い意地だけは超一流なんですから」



 どうやら、どこぞやの王国から派遣されてきた騎士団らしい。だが、この学園では珍しくない……というか、凡人だ。



 盗み聞きも程々に、エイブラムス教師は駅で購入した新聞を広げる。さて、今日の一面は……。



 ローフォル鉄道は一路西へ。『ビリーニャ渓谷けいこく』はまだ遠く、石炭の煙が空に流れていく。



 長い鉄道の旅の果て。エイブラムス教師は、無数の切り立つ岩山と激流の川が流れる渓谷けいこくにやって来ていた。



『ビリーニャ渓谷けいこく』。この『迷宮学園』では割と気候は安定しており、新入生たちの育成にはもってこいの地区である。



「さて……何人来ているかな?……三十三……三十五人か。ほう、なかなか今期の生徒は優秀だな。諸君!!集合」



 流石に新入生の姿は少ない。だが、外界で鍛えた猛者が幾人かいる。お互いを見合い、無言で威嚇いかくし合っていた。



 先程、鉄道内で見かけた騎士たちもいる。彼らは外界で名を馳せた生徒たちを見て、面食らっていた。



 だが、エイブラムス教師は点呼てんこも出欠も取らない。どうせ明日には大半が入れ替わっているのだから。



「それでは初日の課題を発表する」



 そう言うと、エイブラムスはごそごそとふところからある物を出す。それは何と言うことは無い……鶏卵けいらんだ。



「これは……卵……ですか?」

「卵。君たちはこの渓谷けいこくに住む鳥の卵を取ってくれば合格だ。どうだ?易しいものだろう?」



 生徒たちは呆気あっけに取られている。てっきり死のふちに追いやられるようなハードな課題を予想していた。



「それだけ……ですか?本当に?」

「うむ。ん?何だ?追加の課題が欲しいのなら、何とかするが」

「いえいえいえいえ!!ななな、何でもないです!!」



 それを聞いて多くの生徒が安堵あんどした。極めて危険で過酷かこくと聞く『迷宮学園』の課題や授業だが……。



「それでは期限は日没まで!!では、解散!!」



 エイブラムス教師が号令を出すと、生徒たちは一斉に散り散りになって、鳥の巣を探す。だが……。



(おかしい……本当にそんな簡単な課題か?)



 生徒の中でも思慮しりょ深い者は、違和感を感じざるを得なかった。



 入学当初のあの場所でさえ、猛牛や罠、暴風雨に雷。天変地異の集合体だったのだ。それが初めての課題が鳥の卵の採取……?



 そんな簡単な課題なわけがない。慎重に辺りを見渡し、とにかく危険な要因はないか観察する生徒たち。



 そして、次第にこの課題の全貌ぜんぼうおのずと見えてきた。



 ……まずは鳥の巣。それ自体が見つからない。



 渓谷けいこくの岩間にあるだろうと推測したが、そうではないらしい。確かに文字面もじづらだけを見れば、簡単な課題ではある。



 だが無い所から採取することは当然、不可能だ。これではまるで禅問答ぜんもんどうである。



 そんな中で、一人の生徒がある事を思いつく。それは……



『ニワトリが先か、卵が先か』この際、その答えは関係ない。卵があるということは、どこかに親鳥がいるはずだ。



 流石に卵よりは大きいだろう。そちらを見つける方が賢明というものだ。これがエイブラムス教師の真意……なのか?



 ちなみに毎年恒例のこの初授業は、後に『エイブラムスの卵』と名付けられる学園名物の課題となる。



 そんな中、遂に親鳥を見つけた者が現れた。しかし、その姿を見て愕然がくぜんとする。これは完全にだまされた。



「なあ、卵……見つかったか?」

「駄目だ……。影も形も無いよ……」



 この課題が発表されてから、もう二時間余り。未だに卵を見つけられたものは出ず、生徒たちに諦めのムードが出始めた。



 そこに、猛ダッシュで帰ってきた生徒が一人。ぜえぜえと息を切らし、顔面は蒼白。その生徒はその場でへたり込む。



「おい、どうした?まさか……?」

「見つけたのか、卵!?ど、どこだ!?案内しろ!!」



 くあ~っ……と大きな欠伸あくびをするエイブラムス教師に対し、親鳥を見つけた生徒は食って掛かる。



「いやすまん。あまりに遅いんで、不謹慎にも寝てた。で?どうだ?卵は獲れたのかい?」

「聞いてねえぞ!!あんな化け物が護ってるなんて!!」



 小首をかしげるその場の生徒たちに、エイブラムス教師は一つ。説明……というほどの事でもないが、



「共闘するのは自由だぞー?その場で戦況を見極め、最善の手を組むことも、重要な才能だからな」



 とりあえず、生徒たちは案内され、卵のある巣へと向かう。切り立った砂岩のさらに奥の岩山。高さは10mはあろうか。



 足場も悪い中、皆は巣に辿り着いた。そこで……全員が同じ顔をしている。……これは確かに騙された気分にもなる。



 確かに卵はある。だが、それを護っている親鳥が問題だ。



「で……で……」

『でけえーーーーーーっ!!』



 卵を護る『怪鳥ビリーニャ』。その身の丈は5m以上。鋭い目つきと鉤爪かぎつめを持ち、炎を思わせる真っ赤な翼を持つ。黒い肌に金色のたてがみが、しくも美しく見えてしまう。



 確かにエイブラムス教師は鳥の詳細は一切言っていない。何故、このような事態が想像できなかったのか……。



「こ…こんなのドラゴンや巨大な幻獣レベルじゃないか!!どうやって倒せってんだ、あのホラ吹き先公が……」



 慌てふためく生徒たちを見て、エイブラムス教師は不思議そうな表情を浮かべている。



「何言ってんだー、ドラゴンはこんなもんじゃないぞー。これでもこの学園では超初級の課題だからなー?」



 エイブラムス教師の悪意のない言葉に、



『絶対嘘だぁぁぁぁーーーーーーーーーーッッツッ!!』



 生徒全員が一斉に異議を申し立てた。だが目の前の光景は間違いなく現実だ。途方に暮れる。当然と言えば当然。



 だが、エイブラムス教師の言葉に嘘はない。それを実感する頃には『迷宮学園』の酸いも甘いも噛み締めていることだろう。

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