私なりの私を見つけるための、私の私による私のためのエッセイ。

あなたの蕎麦

事故(自己)紹介



 ジャンルはエッセイですが、評論ぽい内容を書くことが多いかもしれません。

 

 ご容赦ください



<(_ _)><(_ _)><(_ _)>



「はじめまして」と言うのは簡単だけど、「何者かを語る」のはいつだって難しい。



 私は私だ。でも、それだけでは説明にならないらしい。


 世間はどうやら「名前」「職業」「年齢」なんてラベルを貼りたがる。


 けれど、そのラベルに私はどうにも馴染まない。


 だって私は、「そう簡単にまとめられたくない人間」だから。



 たとえば、人といるのが嫌いなわけじゃない。


 でも、群れは苦手だ。


 一人で黙々と考え事をしているときに、「何考えてるの?」なんて聞かれると少しだけ面倒くさくなる。


 言語化するには、自分の頭の中が複雑すぎるから。



 だけど、そんな私にも“書く”という行為だけは、すんなりと寄り添ってくれた。


 言葉にすれば、少しだけ自分のことがわかる気がした。


 誰かに話すよりも、ずっと本音に近づける。


 たとえこのエッセイが誰かに読まれるとしても、紙の上(あるいは画面の上)なら、少しだけ素直になれる。



 皮肉だね。



 ああ、でも誤解しないでほしい。


 私は暗いわけじゃない。

 笑いもするし、夢だって語る。


 だけど、「全力で笑ってる顔」と「心のどこかが冷めてる自分」は、同時に存在している。


 たぶん、そういう性質なんだ。


 いわば、いつだって“事故”のように矛盾してる。



 このエッセイは、そんな私の「事故」のような日々を綴っていく場所。


 ぶつかりそうで、すれ違って、だけどなんとか生きていく



――そんな、ちょっと不器用な私の話だ。



 よくある話だけど、有名人がエッセイを書くと、たいてい売れる。


 なぜなら「その人の人生に興味がある」から。


 でも、私は有名でもなんでもない。道ですれ違っても、誰も気づかないただの人間だ。



 なのに、どうしてエッセイなんて書いてるのかって?



 それは、私の中に“語られないまま、黙り込んでいる自分”がいるから。


 誰にも聞かれないし、わざわざ話す必要もない。でも、それでもどこかに置いておきたい。


 誰かに見つけてもらえるかもしれない“自分の断片”を、そっと並べておきたくなる。



 人に知られてないからこそ、書けることがある。


 誰にも見られてないと思ってるからこそ、本当のことが言える。


 矛盾してるようだけど、それが私という存在の“バランス”なのだと思う。



 それにね、たとえば深夜にふと目が覚めて、スマホを開いたとき。


 自分でも忘れてたような投稿が、誰かの心に触れてることがある。


「なんかわかる」「これ、私かと思った」


 そんな言葉に、私は生かされてる。



 だから、これは“今の私”が“未来の私”のために残しておくログでもある。


 エッセイという形をしてるけど、実のところこれは「手紙」だ。


 有名になるかどうかなんて、二の次。たとえこのまま何者にもならなかったとしても、この言葉たちは、確かに“ここに私がいた”という証になる。



 だから私は書く。


 誰にも頼まれてないのに、勝手に綴る。


 たとえ砂浜に書いた文字のように、波に消されてしまっても――


 その一瞬、誰かが足を止めてくれたら、それだけで十分だ。

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