魔法使いは夜を越えて

和倉 もづ

第1話:光と衝撃

 青い空。青い海。そして、青い顔……。

「うぇっぷ」

 定期船の甲板で、一人の少年が桶を抱えてえずいている。

「ヌイ、見て見て。鳥が競争してる。あ、魚とった!」

傍らの少女が船縁から身を乗り出し、飛び跳ねながら少年に声をかけた。

「もう見飽きたよユマ。あと揺らさないで」

「あたしだけで揺らせるかっての」

 ユマと呼ばれた少女がつま先でちょんちょんと尻を小突く。

「ほーんと、動くの得意なのになんで酔うんだろね?」

「自分で動くのはよくても、動かされるのは苦手なんだよ」

「いいから海見なって。何もしないよりいいよ絶対」

 ユマに腕を取られ、ヌイは無理矢理立たされる。

「ふぅ」

 たしかに、顔に浴びる潮風は何度経験しても心地いいなとヌイは思ったけれど、ユマを調子づかせるのが嫌で口にはしなかった。


 二人が並んで船縁に立つ姿はなかなかのものだった。

 どちらも肌が浅黒く、目鼻立ちがはっきりしている。髪も濡れたように黒い。

それぞれの白を基調とした民族風の衣装が陽射しにまぶしく映え、あたり一面の青と見事なコントラストを描いていた。


「失礼。ちょっといいかしら」

 背後からの声にユマとヌイが同時に振り向くと、ひと目で身分が高いとわかる二人の少女がそこに立っていた。

一人は貴族風の装い。後ろでまとめた長い金髪に、控えめながら装飾の施された赤いドレスのような服をまとい、水晶のはめ込まれた短い杖を手にしている。

 もう一人は侍女だろうか、質素ではあるがやはり高そうな服を着て、一歩引いて立っている。


「すみません、騒がしかったですか?」

 二人はすかさず姿勢を取り繕う。ヌイの脇腹をユマがこっそり肘で突く。彼女は人見知りをしないが、こういう時の役割分担はヌイと決まっている。

 ヌイは足元の桶もそっと自分に寄せた。ちなみに中はまだ空である。


 貴族風の少女はごく自然に、当たり前のように続ける。

「ああいえ、気分がすぐれないようだったので、よかったら薬をお分けしようかと」

「いえ、見ず知らずの方にそんなことをしていただくわけには」

 見た目のわりに口調が柔らかなことを意外に思いながら、ヌイは相手の心証を悪くしないよう答える。

 警戒が半分、面倒ごとを避けるのが半分、とっととこの場を切り抜けたかったのだが、相手の次の一言で状況は一転する。


「実は、見ず知らず、ではないのよね」

「え……っと?」

 焦って相手の顔を確認するが記憶にない。視界の端にユマの顔が映るが、彼女も同様に相手の顔をまじまじと見ている。

「あなたたち、アステリル魔法学園の新入生でしょう?」

 聞いた瞬間、二人の顔に警戒の色が走る。

「待って、そう構えないで。わたしも同じ新入生なのよ」

 ヌイとユマは、思わず顔を見合わせた。


「自己紹介が遅れたわね。わたしの名前はエミーナ=リゼ。こっちは侍女のミルデ。よろしくね」

 エミーナと名乗る彼女は軽い口調ながら貴族然とした礼を、隣のミルデもよろしくお願いしますと丁寧に頭を下げる。

「堅苦しいのは無しでいいわ。わたしもこうだし、同級生になるんだから。それで種明かしだけど──」

 曰く、彼女の父親がアステリル魔法学園に出資をしている一人で、その伝手で新入生に珍しい二人がいると聞いていたのだそう。

「二人ともイダ出身でしょう?」

「それだけで? いや当たってたけど」

「魔力の強い子はわかっちゃうの。わたしにはそういう素質あるから──」

 膨れ上がるようにエミーナの存在が強くなり、ヌイとユマは身構えた。


 これは、魔法の発動だ。


「ね」

 エミーナが振り返る。流れるような動きの中、杖の先が発光する。

「《レイディアンス(光の衝撃)》!」

 彼女の発声と共に杖から光の塊がほとばしり、背後に忍び寄っていた男の胸に光が炸裂する。男の体は宙を舞い、甲板に叩きつけられ動かなくなった。

 同時にミルデが手持ちの鞄を掲げると、そこに矢が突き刺さる。離れたところの別の男が舌打ちをしてボウガンを捨て、ナイフを構える。彼女は一足飛びに距離を詰め、数度打ち合った後、相手の腹と顎に一撃を加えて沈黙させた。


「きゃあ!」

 今度は別の男が、女性の首にナイフを当てていた。

「動くな! 言う通りにしないと」

「《レイディアンス》」

 男が言いかけている最中、再びエミーナの杖から光が放たれ、人質のはずの女性を気絶させる。男は彼女を投げ捨て、狼狽えた。

「っな……」

「グルでしょ」

「クソッ、クソが!」

 男が懐から何かを取り出し掲げる。

 黒く光沢のない物体が、見る見る灼熱していく。

「あれは、まさか!」

 エミーナが驚くと同時に、背後で圧力を伴うほどの存在が発現した。その元はユマだ。その目は焦点を失い、何かに操られているようにも見えた。


 男を中心に足元の甲板が震え、めきめきと音を立てる。

 目には見えない、圧倒的な何かがそこに発生していた。

「これは……」

 敵と対峙しているエミーナでさえ思わず振り返る。

 ミルデは主人を守るべく駆け寄る。

 ヌイはエミーナを引き倒す。

 男が狂気に吠える。「お前らも道連れだァァ──」

 これらはほぼ同時のことだった。

「ダメだユマ、抑えろ!!」

 ヌイが叫んだ瞬間。

 轟々と衝撃波が押し寄せ、あたりを薙ぎ払う。

 男は物体を手にしたまま船外へ弾き飛ばされた。

 そして海面で爆発が起こる。爆風は船を揺らし、大きな水しぶきが上がった。


 ユマは糸の切れた人形のように倒れた。


「……まったく、信じがたいわね」

「なんというか、申し訳ない」

 腕を組み、呆れた口調のエミーナと謝るヌイ。

「ううん、いいわ。だって助けてもらったんだし……でいいのよね?」

「うん、まあ」

「彼女は? 大丈夫?」

 エミーナは床に横たわっているユマを気遣うように見下ろしていたが、その目には困惑と警戒の色があった。

「すぐに起きるよ。急に魔法使うとこうなる」

「お嬢様。このような失態、まことに申し訳ございません」

 埃と木くずにまみれ、ボロボロの格好で侍女が謝罪を口にする。

「あなたはよくやったわ。これは予想もできなかったことよ。ほら、あなたこそ血が出てるじゃない」

「お見苦しいところを……」

 と、取り出したハンカチで顔をぬぐう。

 ミルデといったか。ちゃんと話してるのを初めて聞いたなとヌイは思った。

 彼女はエミーナをかばおうと、衝撃をほぼまともに受け船縁に叩きつけられた。海に落ちなかったのは幸いだが、起き上がる際に相当ふらついていたにも関わらず、いまは平然としている。

 ヌイは寝ているユマの頭に手をかざし、集中する。

 すると言葉通り、ぱっちりと目を開けてユマが体を起こした。


「あれ……ヌイ? あー、また?」

「うん。でももう大丈夫」

「あいつは?」

「海の藻屑」

「ん」

 二人が立ち上がると、エミーナが待ちかねたように声をかけた。

「これは、あなたがやったのよね?」

 つとめて感情を抑えている話し方が、立場の違いを感じさせる。

 彼女が杖で指し示したのは賊の男がいた場所だ。そして今は、大人もすっぽり収まるほどの大穴が開いている。あたり一面に木片が飛び散り、惨憺たる有様だ。

「あー。うん……そう」

 ユマは肩をすぼめて、視線を落とした。

「一応、何があったのか聞いておきたいのだけれど」

「それは僕から。あの男が爆弾を持ち出したから、ユマが吹っ飛ばして、海に落ちてドカン」

 エミーナは何かを言おうとしたが、代わりに深くため息を吐く。

「今はそれでいいわ、詳しい話はまたあとで。そっちも聞きたいことはあるでしょ?」

 それから彼女は少し離れたところにいる男達のところへ行き、何事かを話し始めた。もちろんミルデも一緒に。


 その様子を眺めながら、さっきのしおらしい態度はどこへやら、ユマがのんきな声を出す。

「なんか怒ってなーい? あれ」

「どっちが?」

「じゃあ、船員さん?」

「当然だよ。船に穴開けてんだから」

「船底じゃなくてよかったねぇ」

「ほんとそれ」

「あ、もしかしてこれ弁償させられる? かなりまずい?」

「だとしてもエミーナに押し付けたいね。襲われたの彼女っぽいし、お金持ちだし」

「うーわ、悪党だ」

「人聞き悪いな!」

 二人はけらけらと笑いあう。どうせ起きたことはなるようにしかならないのだ。なにせ二人にとっては初めてのことではない。


 ふと、思い出したようにユマが言う。

「そういえばさ」

「ん?」

「船酔いどころじゃなくなったね!」

 冗談ではなく本気で言っているユマの表情を見て、エミーナがこの場にいなくてよかったと、ヌイは心からそう思った。

「それどころじゃなくなったけどね」



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