第2話:占い

店と店の間に挟まれた、狭くて静かな小路。

ネオンの漏れ光に照らされた路地の奥に、小さなテーブルと古びた椅子。


その向かいに座るのは、艶やかな黒髪をゆるく巻いた、どこか謎めいた女性。


占い師の女がカードの束を丁寧に揃えると、沙月の方を向いて微笑んだ。


「さて。占いたいことは、決まっているかしら?」


沙月は小さく頷いた。


「・・・恋愛、をお願いしたいです」


「ふふ。やっぱりね」


占い師の女はにっこり笑い、手元のカードをゆっくりと混ぜはじめる。


「気になる人がいるのか、それとも、未来の恋が知りたいのか・・・なんでもカードが教えてくれるわ」


「気になる人、か・・・。うーん、どうなんだろ・・・前者かな?」


沙月は照れたように笑いながら、どこか宙を見つめるような目をしていた。


隣の萩原は、その一言に胸の鼓動が跳ね上がるのを感じていた。


「さあ、このカードを軽く混ぜて。気持ちを少しだけ、乗せてね」


沙月はカードを手に取り、器用に指で切りながら混ぜる。

その所作はどこか慣れているようでもあり、少しだけ緊張しているようだった。


「はい、お願いします」


占い師の女がカードを三枚、無作為に選び取り、卓上に並べた。


「じゃあ、一枚ずつ開いていくわね」


一枚目をめくる。


「・・・うん。今のあなたの心は、まだ始まりの途中。恋の入り口に立っていて、進むべきか立ち止まるか、少し迷っているように見えるわ。でも、踏み出したい気持ちがあるのね」


沙月はふっと口元に手を当てた。


「・・・うん、かも。なんか、最近ちょっとだけ、気になってる人がいて」


その声音には、微かな高揚と、別の場所を思い出すようなやわらかさがあった。


萩原は心のどこかで期待と不安を混ぜながら、その言葉を胸に刻み込んだ。


二枚目のカードをめくった。


「これは、過去の失敗や、自己評価の低さを映すカードね。あなた、自分を卑下しがちじゃない?」


「・・・え、当たってるかも」


沙月は苦笑いを浮かべ、髪を耳にかける。


「好きになってくれそうにないなーとか、最初から思っちゃうタイプで」


「ふふ、でもね。人は自分の価値を測る物差しを、他人の言葉に任せちゃダメよ。恋も、人生も、自分の視点が一番大事」


沙月は「なるほどなぁ」とつぶやきながらうなずいたが、そのとき何の意図もなく萩原に視線を向けた。


しかし、萩原はその視線だけでまた勝手に動悸を高めていた。


最後のカードをめくる。


「今の気持ちが、少しずつ誰かに伝わっていくでしょうね。大切なのは、急がないこと。焦って火を強くすれば、逆に燃え尽きてしまう」


沙月は小さく息を吸ってから、笑った。


「じゃあ・・・のんびり見守る感じがいいのかもね。今すぐじゃなくても」


「そう。心の中で、ちゃんと育てていけば、届くわ。いずれ、相手が気づくかどうかは、また別の話だけど」


沙月は「そっか」と微笑む。

その顔にはどこか、遠くを見ているような静けさが宿っていた。


占い師の女が軽く笑った。


「お隣さん、なんだか落ち着かないわね」


「えっ、いや、そんなことないです・・・!」


萩原が慌てて背筋を伸ばす。顔が赤くなっているのを沙月は不思議そうに見上げた。


「・・・なに?どうしたの?」


「いや、なんでもない!あはは・・・」


その様子を見て、占い師の女がくすくすと喉の奥で笑った。


「じゃあ、次はそちらのお兄さん。あなたも恋愛、占ってみる?」


「え、あ・・・おれも恋愛、ですか?」


「もちろん。恋する気配、あるもの」


「・・・ッ! そ、そんなにわかります?」


萩原がうろたえると、沙月が横から「なにそれー、恋してるの?」と無邪気に笑った。


「カードを出すまでもないわね」


「えっ?」


「想ってるでしょう?すぐ近くにいる、その人のことを」


萩原の目が、見開かれた。


「・・・っ!え・・・な、なんで・・・?」


「そんなの、表情に全部出てるもの」


「いや、あの、それは・・・っ」


しどろもどろになる萩原に、レイナはさらに言葉を重ねた。


「でも、その想いは、報われない。今はまだ・・・このままじゃね」


「・・・ッ!」


沙月が笑ったまま、そっと視線を逸らした。


「恋は、言葉にしなくても匂いがあるの。あなたのそれは、切なくて、濃い」


静かに放たれる占い師の女の言葉が、まるで刃物のように萩原の胸をなぞる。


だが、その痛みの中にも、どこか安堵のようなものが混ざっていた。


占い師の女は、そんな彼の葛藤を見透かしたように微笑む。


「さて・・・お二人とも、占いはこれで終わり。でも、特別に忠告をひとつずつ、授けましょう」


占い師の女は一瞬、両目を閉じるようにして息を整え、再びゆっくりと口を開いた。


「まずは・・・お姉さん、あなたから」


沙月は少し驚いたように身を乗り出した。


「え?私?」


「ええ。あなた、近いうちに誰かに頼られることがあるわ。少し、重たいかもしれない。でも、逃げないでね。あなたが、支えにならなきゃいけない」


「・・・誰かって?」


「それは、まだ見えない。けど近いわね、家族ぐらいにね。あなたの中の責任感と強さが、必要になるわ」


沙月は一瞬、何かに引っかかったような顔をした。


「・・・家族なら、うちの父ちゃん、また変なとこで転んでないといいけど」


半分冗談めかして言うが、その表情にはどこか気になるものが残っていた。


レイナは続けて、今度は萩原の方へ向き直る。


「そして・・・あなた」


萩原が、ごくりと喉を鳴らす。


「は・・・はい」


「気をつけて。特に、一人でいるときは」


「・・・え?」


「寂しさとか、不安とか、そういう隙を見せたとき、良くないものが寄ってくる」


占い師の女の声はどこか深く、低く、まるで別の空気をまとっていた。


「それって、何が寄ってくるんですか?」


萩原が不安そうに問うと、レイナはただ静かに微笑んだ。


「何かは、まだ決まっていないわ。でも、忘れないで。誰かと一緒にいることが、あなたにとっては大事だと思うわ」


萩原は沙月の横顔をちらりと見た。

だが沙月は、屋台の端に揺れる提灯の灯りを見つめている。


「それじゃあ、ここまでね」


占い師の女が手をすっと伸ばし、カードの束を再び木箱に収めた。


「あっそうそう、お代、お代」


沙月が財布を取り出しかけると、占い師の女は手を軽く振って言った。


「いらないわ。また会うことになるから。お代はそのときで、ね」


「え・・・?」


沙月が目を瞬かせる。

レイナはそれ以上は言わず、意味深に微笑むだけだった。


「・・・なんか、かっこいいなあ、そういうの」


沙月が苦笑交じりに言うと、萩原はまだどこか緊張の残る表情でこくりと頷いた。


「本当に、ありがとうございました」


「ふふ、どういたしまして。気をつけてね、お二人とも」


占い師の女は最後にもう一度微笑み、テーブルの上を整え始めた。

路地裏には相変わらず人のざわめきと提灯の灯りが漂っている。


沙月と萩原は屋台を離れ、元の通りへと歩き出す。


すぐにスマホが鳴った。松倉からのメッセージだ。


「二軒目、席取っといた。終わったら電話くれい」


「・・・行こっか」


「う、うん・・・」


現実に戻るように少し足早に、二人は夜の街へと戻っていった。

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