Part7 君と、また明日。

 文愛は荒い呼吸のまま、病床少女の存在する棚をめがけて早歩く。四方八方から不審な目線を向けられてはいたものの、その時の文愛はそんなこと気にしてられないぐらいに興奮していた。

 麗那がどんな反応を返してくれるのかと、ワクワクで頭がいっぱいだった。

 一分と経たず、文愛は本を手にいつもの席についた。


『今日だっけ、文化祭。……どうだった?』


 裏表紙に指をかけて開けば、いつも通り既に言葉は刻まれていた。

「っと……前も言ったけど、生徒会で、演劇をやったんだ。それで、ステージに上がったとき……凄かったよ。ものすごい奥まで人がいて、全員私達を見てて……壮観だった」

 疲労で文章の構造がバラバラになりながらも、なんとか見えた景色を共有しようと言葉を紡ぐ。

 どれだけ、喜んでくれるだろうか。

 文愛はそう考えながら、返事を待った。


『……文愛は、楽しかった?』


 しかし、返ってきたのはそんな言葉だった。

「え……いやまあ、昼休みとか放課後いろいろ練習あったり、会議あったりで、どちらかと言えば『疲れた』って印象のが強いかな……でも、多少なり楽しめたとは思うよ。というか、私は麗那が喜んでくれたらそれでいいの」

 優しく言い聞かせるように、文愛は言う。

「あの景色は本当に凄くて……綺麗で――」


『……正直に言うと、私は全く楽しくない。』


 文愛は、目を丸くした。言葉を紡ぐ中で突然に現れたその文章を、脳が理解できなかった。


『私は、文愛が無理して作った思い出を聞きたくないの。もっと、文愛が純粋に『楽しい』って思える思い出を聞きたかった。』


「…………」

 文愛は、脳内で思い返した。自分でも先程言ったように、今話していたものは、文愛自身あまり楽しいものだとは思っていなかった。そもそも文愛は目立つのは好きではなく、『麗那のため』と銘打って無理をしていた。

 そんな思い出、麗那から見ても嫌だよな。

 遅れて、そう後悔した。


『だから、改めて聞かせて。

 文愛の、楽しかった思い出を。』


 文愛は過去を振り返った。

 しかし、すぐには見つからなかった。

 これまでずっと麗那のためと行動してきたことで、『楽しい』『幸せ』の判断基準はいつの間にか『麗那から見て楽しそうか』になってしまっていた。

 麗那から見て楽しそうなら、私も楽しいはずだ。そういうものなのだと、半ば盲信状態になっていた。自分の『楽しい』『幸せ』の基準が分からなくなっていたのだ。

 

『楽しい思い出って、実はすぐ近くにあるの。それでいて、凄く小さいこともある。だから、中々気づきづらい。

 でも、よく考えてみて?

 自然と笑った瞬間、心地いいって思った空間。

 きっとたくさんあるはずだよ。』


 そんな文愛をみかねてか、麗那はそう寄り添った。

「っと……」

 文愛は、ゆっくりと口を開いた。

「最後、片付けも全部終わって帰る時。友達と……咲季と、廊下で話しながら帰ったんだ。そこで色んな思い出を笑って話してるのが……楽しかった。夕陽が眩しいぐらいに輝いてて、凄く綺麗で……ずっとこの状態が続けばいいなって思った!」

 真っ直ぐに、自分の感情を伝える。

「あと、放課後演劇部の部室で練習してた時、みんなで『練習きつい〜!』とか、『ここめっちゃ上手だったよ』とか言い合ってる空気が、凄く面白かった。皆笑ってて、でも、練習に本気で臨んで……青春って言うのかな。とにかく、これも凄く楽しかった! あと、生徒会室で生徒会長と言い合ったりしてる時とか、クラス企画の準備手伝って皆で作業してる時とか……全部、楽しかった!」

 気づけば、息継ぎも忘れて言葉を紡いでいた。それらは、本当に楽しいと思っていたことだった。

 日常の極小さな、でも、忘れられない青春の一ページ。

 文愛はその存在に、気づけたような心地がしていた。


『うん。

 私も、聞いてて一番楽しかった。』


 音もなく、ただ紙に刻まれた活字を読んでいただけ。しかしながら、その場で寄り添い、直接言葉をぶつけられたような感覚があった。

 文愛は、またしても涙を誘われた。

 麗那が、一番楽しいと言ってくれたこと。

 心から楽しんでくれたこと。

 そして、本当の『思い出』を教えてくれたこと。

 それが嬉しかったが故の涙だった。


『だから……私はもう、この場所を離れられそうだよ。

 ずっとここにいる訳にはいかない。前に進まなきゃ。』


「えっ――?」

 文愛は、困惑の声を漏らした。


『私は、もうすぐで天国に行く。

 多分、文愛の話を聞いて、自分の中での未練みたいなのが無くなったんじゃないかな。

 私が今まで知られなかった『普通の楽しさ』を、『青春』を、文愛のおかげで知ることができた。

 なんだか、報われた気がした。

 ありがとね。』


「ま、待って……! まだ私、麗那と――!」

 話していたい。

 その言葉を放つ前に、文章は書き込まれていた。


『ばいばい、文愛。ありがとう。』

 

 それから何度瞬きをしようと、平仮名の一文字すら刻まれることは無かった。

 麗那は、本当に消えてしまった。

 奪われた普通を体験しようと、余計に辛いはずなのに、皆の話を聞いたり、姿を見たり、彷徨っていた少女。

 彼女はもう、ここにはいない。

 病床にいた少女は、ようやく天国へと旅立ったのだ。

 文愛は、その現実を認識した。また、涙が零れた。

 ただ、それも悲しかったが故のものではない。

 麗那が楽しいと言って旅立ったのが、嬉しかったのだ。自身が彼女の一助になれて良かった。心からそう思っていた。

 文愛は立ち上がって、『病床少女』を本棚に戻した。本を閉じると、やはり厚さに変わりはなかった。

「また明日……なんてね」 

 言ったとて麗那が帰ってくる訳でもないのに、文愛はボソッと呟いて図書館を出た。なんだか、別の本を読む気にはなれなかった。

 時刻は、未だ十九時。普段よりも一時間も早いからか慣れない空気を感じつつも、文愛はスマホを取り出した。

 画面を操作し、アプリを開いて電話をかける。その相手は、咲季だった。

「あー……咲季? うん、あのさ……今週末、一緒にどっか行かない?」

『どっかって、随分と適当な誘いだな……』

「いいじゃんいいじゃん! その場で色々探しながら過ごすってのも」

『いやまぁ、別に予定もないし良いけども……てか、珍しいな。文愛から遊びに誘ってくるなんて』

 文愛は、少し言葉に悩んだ。

「……なんか、もっと楽しい思い出作りたいなって思って」

『……お前、急に怖いぞ。そんなエモいこと言う奴じゃなかっただろ』

「人間こうなる時もあるでしょ? とにかく、今週末ね!」

『ぉ、おう……』

 そう言って無理やりに会話にケリを付けると、文愛は妙に晴れ晴れした気分で、空を眺めた。

 大きく湾曲した三日月が、ただ綺麗に思えて写真を撮った。



見えない君と、また明日。 完



※この物語はフィクションです。実在する人物・団体・事件などとは関係ありません。万が一、類似する事象があっても、それは偶然であり、意図したものではありません。

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見えない君と、また明日。 ʚ傷心なうɞ @Iamhurtingnow

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