Part2 君と、自己紹介。

 そのページには、文章があった。


『図書館って静か過ぎて退屈。

 誰か面白い話とかしてくれないかなぁ。』


 あったのは、この二文。

 だが裏にも、文章は存在した。


『テスト対策してる子達いた。すごいね、数学ってあんなことやるんだ。私ほぼ中学時代で止まってるから全く分かんなかった……』


(何これ……誰かのいたずら?)

 突然に現れた見知らぬページと文章を、不信感と共に眺めてぼやく。有名な本だからこそ、どこかの人間がふざけ半分でページを付け足したのかと。

 だとしても、不可解な点ばかりだった。

 そのページは、まるで製本段階からあるかのように綺麗に存在していたのだ。ただのいたずらで、ここまで丁寧に接着できるものかと、文愛の頭の片隅には疑念が残っていた。

(まさか、霊的なやつ……? いや、そんなわけ……)

 文愛というのは、心霊やホラーはエンタメとしては好きだ。ただ、数年前科学誌にハマってからは、その存在を信じることは無くなった。この世の事象は全て科学と理論で証明出来る、という言葉に何故だか惹かれてしまったのである。

 そんな訳あって文愛は、幽霊による犯行という線を真っ向から否定していた。

(まあ、ひとまず司書さんにでも確認を――)

 思い立って、ページを開いたままに椅子を引く。その時、一度瞬きがあった。


 っ――!


 思わず、感嘆の息を呑んだ。

 先程捲ったページの、更に隣。

 何も無かったと自信を持って言えるそこに。


 もう一枚、ページは現れていた。


 内容こそ異なってはいるが、同じく文章が刻まれているページだった。

(ページ、増えてる……!?)

 怪奇現象、という表現が似合う一連の出来事に、衝撃が脳内を満たす。自分がこれまで否定してきたものが、今まさに目の前で起こっているということ。

 恐れずにはいられなかった。

 そうして、思わず文章をじっくりと眺めたままに固まってしまった文愛。

 だが、その内に。

 文章の共通点が浮かんできた。


 文章は全て、一人称視点で日記のような内容が書かれていたのだ。


 数ページ捲って新たなページを確かめたとて、それは同じだった。日々浮かんだ感情や、出来事を記録している文章であった。

(だとすれば……書いてるのは誰なの?)

 こんな現象に遭遇するのなんて、当然初めてである。だからこそ、余計に興味が湧いてしまったのかもしれない。

 これまでの文章を再び読み返し、新たなページも何十と探ってみることにした。

 延々と続く、誰かの日記。

 それを捲る内、ある一編が目に留まった。


『やっぱり私、誰もいなくて静かな時間苦手だ。なんか病院思い出しちゃう。はぁ……わちゃわちゃしたクラスの喧騒とか味わいたかったなぁ……そういうのが高校生活の醍醐味だっていうのに。まあ、経験してないから分かんないけどさ。』


 そこから察せるのは、二つ。

 一つ、この文章を書いた人間は、病院で入院していた経験があるということ。

 二つ、その人は、何らかの事情で一般的な高校生活を送れていなかったということ。

 その条件で脳内検索をかけてみれば、ある人物が浮かび上がった。

「……麗那れいな?」

 自身でも気付かぬ小さな声量で、文愛は呟いた。

 ――麗那れいな。『病床少女』作者の娘にして、物語の主人公である少女の名である。

 彼女が、この日記の著者ではないのかと。

 軽口のつもりで放ったその仮説。

 それは、読めば読むほどに証明されていった。


『広々した空間って安心感あるよね。というか病室が狭苦しくて狭苦しくて……あんなところに病人入れてたら悪化しちゃうよ。』


『病院の待合室にある本も、ここぐらいバリエーション豊かだったら良かったのにな……』


 最早、否定する方が異常なほどだった。

(……って、そんなわけないでしょ)

 それでも、文愛にはどうにも信じ難かった。

 だって科学誌で権威ありそうなおじちゃんが言ってたもん。世のどんな心霊現象も怪奇現象も、まだ人類が解明できてない物理現象だ、って。

(だからこれも、何か必ず要因が……あ、もしかして、作者が書いた演出? ってかそうだよ。絶対そうじゃん! きっと私が読んでない間に修正されて、追加されてたんだよ。増えてるように見えたのもどうせ気のせいで……あー恥ずかし……)

 『作者の演出』という説を浮かばせてくれた科学誌のおじちゃんに感謝しつつ、一度背もたれに背を預けて息を吐く。

 危うく、司書さんに白い目で見られる所だった。ありがとう、アメリカだかロシアだかの科学者のおじちゃん。

(貴方のお陰で、不審者にならずに済んだよ……ささ、いい加減本編に戻りますかね)

 背もたれから背を引き剥がし、目線を天井から本へ戻す。指を這わせ、一ページに戻――


『ストップストップ! 私、麗那なんだって!』


 またしても、新たなページと文章があった。


(なっ……!?)

 思わず、身体を震わせて動揺した。

 静寂な図書館の中に椅子の音が響いたが、前述の通りここに人はほぼおらず、幸いにも注目が集まることはなかった。

 改めて、文章を見る。


『ああ、良かった……止まってくれた』


 更に、そう書き足されていた。

「れ……麗那……!?」

 思わず、声が漏れてしまった。


『そう。私はこの物語の主人公、麗那だよ』


 瞬きの後に増えていたページにあったのは、まるで返答をしているかのような文章。

「え、か……会話ができる、の?」


『うん。声は聞こえるし、景色だって見えてるよ。』


(な……何が、何が起きてるの……!?)

 文愛の脳はその瞬間、錯乱状態にあった。

 幽霊がこちらを認識して会話しているなんていう、『心霊現象』と呼ぶべきものが、今目の前で起こっているのだから。

 ふわふわと、どこか夢見心地のような感じだった。


『あーっと……状況が受け入れられてない、って感じ? まあそうだよね……ゆっくり説明するよ。』


 景色も見えている、なんて言葉を証明するかのように。困惑する文愛のため、麗那という存在について語る文章が瞬きの間に生成された。


『私は、この本にあるように病気で死んで……気づいたらここに居たんだ。まさか、お父さんが私を本にしてたなんてびっくりしたけどね。んで、それからはずっと……いつ成仏できるかも分からない幽霊状態で、独り言日記を綴ってる。

 ……って、結局よく分かんない説明になっちゃった。ごめんね……下手くそで。でも、私自身もよく分かんない事が多いんだよ』

 

 相変わらず呆然とする文愛だったが、その文章を認識することはできた。

 して、その中である引っかかりを覚えた。

 あくまで文愛なりの解釈だが――幽霊というのは、何か未練を抱えているのが常であり、彼女のそれが何なのか、ということだ。

「幽霊ってことは……麗那には、何か未練があるの?」


『ああそうか、そこ説明して無かった。うん。私には、未練がある。

 普通の学生生活への憧れ、っていうね」


 突然に重厚な雰囲気を纏って現れたその活字に、文愛は思わず面食らった。それと同時に思い出す。

 彼女は、普通を奪われた子であったということを。

(考えればすぐ分かったか……傷を抉るようで申し訳無かったかも……)

 心の中には、そんな反省が生まれていた。

 だが麗那は、尚も新たなページで言葉を紡ぎ出した。


『っと、そんな落ち込まなくてもいいんだよ? 私、現状が苦しいわけでもないから』


「え……どういうこと?」

 予想外に前向きだったその返答に、文愛は驚きと共に問いかけた。


『ここって、学生が沢山来るでしょ?

 その人達の声を聞く度、未練が解消されていく気になれるんだ。テストむずかった〜とか、部活疲れた〜とか。

 まるで、私もその日常に混ぜてもらったような感じがするの。普通を、味わえてる気がするの。』

 

 何の淀みもなく、一瞬にして記された文章。

 それを読んだ文愛の感情は、複雑だった。

(やっぱり……可哀想な子だ)

 病のせいで普通の高校生活を奪われたのを、誰かの話を聞いて補充しようとする。どれだけ聞いたって、自分の時間が返ってくるわけでもないのに。

 そんな言葉を脳内で紡ぐ内、どんどんと、心の内が締め付けられ蝕まれていく感覚に襲われた。

 いずれ、そのモヤモヤは爆発し。

 思わず、こんなことを口走っていた。

「……私に、何か出来ることはない?」

 どんな形でだって、なれるものなら助けになりたかった。彼女の痛みを、少しでも軽くしてあげたかったのだ。


『……じゃあ、あなたの高校生活を教えて? 楽しかったこととか、大変だったこととか。一般的で、何の変哲もないことでいいの。

 私は、それを聞きたい。』


 返されたのは、そんな言葉だった。

「……分かった。任せて。いろんなこと教えてあげる!」

 文愛は小声で囁き、そのあとすぐに名乗りを忘れていたことを思い出した。

「あっ、私、今江文愛。よろしくね」


『うん。よろしく、文愛』


 その日から、麗那と文愛の奇妙な関係が始まった。

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