第5章 その人は笑っていた

今回の道は、短かった。

光が示した先には、丘のふもとに佇む小さな診療所があった。

人里離れた場所に、ひっそりと暮らす老女のもとを、装置はまっすぐに指していた。


「……あの。こんにちは」


戸を叩くと、しわの深い女性が顔を出した。

白髪を布で包み、エプロンのポケットには薬草がのぞいている。


「旅の子かい? なんだいその荷物は……剣? それと、丸いのは……」


ジーンは、胸元に抱いた装置を少し見せた。


「……あたし、ある人の記録を辿ってて。

 ここに、その人が来たこと、ありませんか?」


老婆は一瞬目を細め、ジーンの顔をじっと見た。

やがて、少し笑って首を傾げる。


「……もしかして、あの“無鉄砲”の話かい」


ジーンの心臓が跳ねた。


「それ……たぶん、その人です」


老婆は扉を開け、中へ招いた。



古い木造の室内。窓際には干された薬草が並び、床には擦り切れた絨毯。

ジーンは椅子に腰かけ、静かに話を待った。


「昔、ここにひとりの青年がいたんだよ。名前は……そういえば、聞かなかったね。

 ある日、急に崖から転がるように現れて、頭から血を流しててね」


「えっ……大丈夫だったんですか?」


「手当てはしたさ。あたし、こう見えて昔は旅の医者でね。

 でもまあ、礼もそこそこに出ていっちまった。

 “助けたい村がある”って。あれから数日後に聞いたよ。

 その村、救われたって」


老婆の目が遠くを見る。


「変な子だったよ。口数は少ないのに、笑いかけると照れて笑い返すの。

 強くはなかったけど、すごくまっすぐだった」


ジーンは思わず、ポーチの中から装置を取り出して見せた。


「これに……その人の記録が残ってるんです。

 でも、あたしが知ってるのは、戦う姿ばっかりで……

 だから、その人が、笑ってたって聞けて……ちょっと、嬉しいです」


老婆は静かに微笑んだ。


「その子は、いつも誰かの名前を呼んでた気がする。

 たしか、く……くろ……?」


「クロノ?」


ジーンの声が震えた。

老婆は小さくうなずいた。


「うん。そう。誰だかわからなかったけど、

 “あの人の背中が見えた気がした”って、嬉しそうに話してたよ」


ジーンの腕の中の装置が、かすかに振動した。

球体が光り始める。

再生された記憶は、見慣れたものとは違っていた。


崖下の診療所。

寝台の上で、青年が静かに笑っている。

布をかぶった額に汗を浮かべながら、何かを胸にしまい、

遠くを見つめて——呟いた。


「……やっと、少しだけわかった。

 “勇者”って……こういうことなのかも、って」


記憶が消えたあと、老婆がぽつりと言った。


「その子が帰ってきたら、今度はちゃんとお茶でも出そうと思ってた。

 でも、それっきりだったね」


ジーンは、少し黙ったあと、穏やかに言った。


「……その気持ち、伝えておきます。

 あたし、彼の跡を、辿ってるから」


立ち上がり、装置を抱きしめる。

空中に新たな光の針が現れ、次の方角を示していた。


オレンジのバンダナが、静かに風に揺れる。


それは、かつて語られなかった“笑顔”の記録。

 誰かの優しさが、確かにそこにあった。


ジーンは微笑み、旅を続けた。

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