討伐軍はまだか 待ちぼうけ赤松満祐と嘉吉の乱

浜村心(はまむらしん)

第1話 討伐軍はまだか

 それは、雷鳴が轟いたかのような衝撃だった。


 宴の場は、酒の香が渦巻き、曲舞に見入っている者、盃を掲げる者、満面の笑みを浮かべる者──皆が現世の夢の中にいたはず。

 だが、突如として、座敷奥の障子が開き、数十の武者たちが、ぬうと姿を現した。

 右手には、ギラリと閃く太刀が握られている。

 酔い浮かれていた人々は、茫然としていた。目の前で斬撃の嵐が吹き荒れようとしているのに、理解が追いつかなかったのだ。


「乱賊じゃぁ、出合え、出合えぃ!」


 外に控える警護の武士に向け、催促の声が響く。

 しかし、遅きに失していた。ある者は腕を斬り落とされ、また、ある者は応戦するも、喉を斬り裂かれる。

 膳は蹴り飛ばされ、返り血を浴びた障子が、散りゆく紅葉のように染まる。

 立ち向かう者、腹を切る者はひと握り。大半が右往左往した挙句、屋敷を飛び出して逃げ去っていった。

 そして──


「御首、頂戴つかまつるッ!」

「が……あぁっ……!」


 呻きとともに振り下ろされた刃が、首筋を断ち切る。

 倒れ伏していたのは、時の将軍・足利義教だった。

 他にも臨席していて、討ち取られたり、負傷したりした武将は複数におよぶ。

 嘉吉元年(1441)六月二十四日昼ごろ、世にいう「嘉吉の乱」の幕開けであった。


 義教は赤松惣領家の勢力を削ぐべく、その一族を討ち取ろうとしている。

 そして、奪った領地は、自分に近しい武将や、赤松分家の者に分け与えるつもりだ。

 彼の野心と策謀を察知した、赤松教康など惣領家の者たちは、先手を打った。

 関東で行われた戦の勝利を口実に、義教を祝宴に招き、斬殺に及んだのである。


※ ※ ※ 


 教康たちは屋敷に火を放った後、本国・播磨へ向かう。

 そして、家臣の家に逃れていた一人の老人と、途中で合流していた。


 老人は乗っていた輿の上で、やせ細った頬と鋭い眼光を湛えながら、不気味な威圧感を放っている。

 教康が輿に近づき、ほがらかに声をかけると、悲鳴にも似た甲高い声で返事をするのだった。


「父上、お喜びくだされ。事は上手く運びましたぞ」

「首ッ、首ィィ! 義教の首を早う持てィ!」


 命令とも懇願ともつかぬ、狂気じみた叫びだった。

 老人は輿の角を扇子でバンバン叩きながら、身を乗り出してくる。 

 顔を紅潮させ、血走った眼で空を睨む。

 彼こそが、乱の首謀者の一人にして、教康の父・満祐であった。


 やがて、一人の家臣が太刀に刺された義教の首を抜き取り、包みにくるんで満祐の前に差し出す。

 布を解いた満祐は、義教の生首を目の当たりにして、ふたたび「キヒィィッ!」と奇声を上げた。


 しかし、その異様な光景に眉をしかめる者はいない。

 一族・家臣たちの中では、すでに知れ渡っていたのだ。満祐はもう正気を失っている、と。

 昨年、義教は満祐の弟・義雅の領地を突如として没収し、他家や赤松分家に与えてしまった。

 他にも不穏な噂が流れたりしたため、満祐は心を病み、狂気に蝕まれていたのだ。


 ゆえに、今日の宴には満祐は姿を見せていない。

 宴を催し、斬殺の指揮を執っていたのは、子・教康であった。


「よいか、皆の者、播磨に戻るまでに、かならずや追討の兵が差し向けられる。将軍恩顧の大名が立ちはだかるだろう。だが、忘れるな、我らが刃を向けたのは、悪逆非道の暴君だ。大義は、我らにある!」

『おおぉっ!』


 教康のよどみのない宣言に、将兵たちは腹の据わった声で応える。

 一丸となった彼らは、引き締まった面持ちで播磨を目指し、ふたたび駆け出して行った。

 ところが──


※ ※ ※ 


(おかしい。すんなり辿り着いてしまった……)


 馬上の諸将は、思わず足を止めていた。

 平地の彼方には、見慣れた城館──赤松本拠の坂本城(現・兵庫県姫路市)が静かに佇んでいる。

 しかし、その静けさがかえって異様に思えた。

 街道では追討の兵が迫り、要地では義教の仇を討たんとする武将たちが、待ち構えているはず。

 そう警戒していたのだが、蓋を開けてみれば、ただの一矢も受けず、遠乗りから返ってきたような有様だったのだ。


 諸将は互いに顔を見合わせると、無言のまま軍議へと向かう。

 ところが、そこで目にした光景が、彼らをさらに困惑させた。

 足腰が悪くて輿に乗っていた老人が、すたすたと歩いてきて、上座に腰を下ろしたのだ。


「すでに持ち場は決めてある。各々は命に従い、備えを固めよ。後日、南朝皇胤の小倉宮の御子(※1)、ならびに足利直冬ただふゆ(※2)公の孫・義尊よしたか様をお迎えする。その御名のもと、各地の守護・国衆たちに出陣を催促するのだ」


 皆、目も耳も疑うばかり。目の前にいた狂人──満祐が、滔々と今後の戦略を語っていたのだ。


「教康、使者はすでに遣わしてあろうな」

「はっ、義尊様は迎えの者とともに、この城に向かっておられます」

「重畳じゃ。後は討伐軍を迎え撃つのみ。決められた城にて、持ち堪えるのだ。そうすれば、幕府を快く思わぬ者たちが、我らのもとに馳せ参じるはず。左様心得よ!」

『ははっ!』


 諸将の声が重なり、広間の板敷に響く。

 彼らはようやく悟った。満祐は、狂人のふりをしていただけだった、と。

 将軍・義教の警戒を解き、油断させて殺害に及ぶ。

 一方で、各地の備えを整え、名目となる天皇と将軍血脈を探し出して、擁立しようとした。それは、いずれ京へと攻め上り、新幕府を立ち上げるため。冷徹な計算の果ての挙兵だったのだ。


 諸将は立ち上がり、それぞれの持ち場へと散ってゆく。

 草の香むせ返る夏の播磨に、戦の匂いが立ち込めようとしていた。 


※ ※ ※ 


 ところが、将軍刺殺から半月後のこと。

 満祐は、城の一室で苛立ちを噛み殺すように呟いた。


「どうした、なぜ、討伐軍が来ないのだ……」


 京に潜入させていた忍びからの報告によると、事件当日こそ、洛中は騒然としていた。

 しかし、今や平穏を取り戻したにもかかわらず、幕府も守護も動く気配がまるでないという。


 また、赤松は各地の守護・国衆たちに、味方に加わるよう檄文を送ったが、どこからも返答はなかった。

 挙兵した彼らだけが、世の中から浮いていたのだ。


「やつの葬儀で忙しいのは分かる。だが、討伐が遅れれば、幕府の威信が問われよう。先発隊を送るくらいならできるはずだ」

「殿のお働きがあまりに見事だったゆえ、皆ひるんでおるのでしょう」

「世辞はいい。これでは誰も買ってくれぬ喧嘩ではないか。安売りしすぎたか。いや、そんなはずはない……」


 側近に愚痴を零しながら、満祐の苛立ちは募るばかり。

 そこへ、教康があわてて駆け込んできた。


「父上、一大事にござる。幕府の先発隊が動き出しましたぞ」

「おお、ついに来たか! して、率いている将は誰だ」

「(赤松)貞村とのこと。他にも進発を予定している将がいる、と噂されております」

「貞村ァ? 義教に媚びへつらっていた、一族の恥が出張ってきたか。面白い、返り討ちにしてくれる!」

 

 時節到来──満祐は口角を上げ、笑みを零す。

 ところが、それはぬか喜びだった。先発隊はたしかに動き出したのだが、いくら待てども坂本に迫ったとの報告は入ってこない。


 また、幕府は赤松追討の命を、各地の守護・国衆たちに送っていた。

 だが、その軍勢も日和見に徹して、動き出そうとしない。

 思惑が外れた満祐は、ふたたび苛立ちを教康にぶつけるしかなかった。


「いったい、どうなっている。いくら人望が無かろうと、政策が苛烈であろうと、殺されたのは将軍なのだぞ。管領は何をしているのだ。こういう時こそ、侍所所司の出番ではないか」

「落ち着いてくだされ。戦は長丁場。守りを強固にする機会ができた、と思えばよいではござらぬか」


「それはそうだが…… このざまでは義尊様にも申し訳が立たぬ。せっかくお越しいただいたのに」

「義尊様は、連日、酒宴や猿楽に夢中にござる」

「ああ⁉ 戦の最中だぞ、慎めとすぐに諫言してこい! まったく、どいつもこいつも、吞気すぎる。現職の将軍が殺された前代未聞の事件だぞ、天下の大乱なのだぞ。 さっさと討伐軍をよこさぬか!」

 

 満祐は声を張り上げるが、不満は虚空へ吸い込まれるだけ。

 結局、理由が分からないまま、二十日、一月、そして一月半を過ぎても、討伐軍は満祐の前に姿を見せなかった。




※1 小倉宮の御子

ここでいう小倉宮は、南朝最後の天皇・後亀山天皇の孫・聖承のこと。

赤松親子は彼の末子を擁立しようとしたが、何らかの事情で実現しなかった。


※2 足利直冬

足利尊氏の庶子。尊氏の弟・直義の養子となり、南朝方として、幕府と対立し続けた。

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