VOID
むめい
透明な日常とささやかな異能
朝六時、機械の声が俺の部屋に響いた。
「市民ID:Y.KAGURA。スコア:728点。異能ランク:C。制御率:92%。評価安定中です」
これが俺の一日の始まり。
AIが管理するこの都市では、目覚ましより先に「現在の自分の存在価値」が届く。
神楽ユウ、十七歳。
ノヴァ・トウキョウ第八教育機関、通称“E・ハイスクール”の二年生。
異能ランクはC。スコア728。
それが、今の俺の「社会的価値」だ。
この街じゃ、全てが数字で測られる。異能があれば得点、制御できれば加点、暴走すれば減点。勉強も生活も交友関係すらスコアに反映される。
もちろん異能が強ければ強いほど優遇される。Sランクなんて、一部の上層エリアじゃ特権階級扱いだ。
でも俺はCランク。上でも下でもない。良くも悪くも“目立たない”。
俺の異能は《透過触(トウカショク)》。
触れたものを一時的に軽くできる。それだけ。
力を奪うわけじゃない。飛ばすわけでもない。ただ「少し軽くなる」。それだけ。
便利ではある。荷物の持ち運び、機材の修理、授業の補助。
でも、それは“すごい能力”ではない。戦えないし、目立たないし、変化もない。それでいい、と思ってた。
俺が暮らしているのは、《ノヴァ・トウキョウ第十七区・中層住宅帯》。
ノヴァ・トウキョウは、完全管理型のドーム都市で、六層構造に分かれている。
上層には高スコア者が住み、快適な住環境と最先端の設備が揃っている。逆に、下層にはF〜Dランクのスコア低者が集められていて、治安も悪く、空気の循環効率も劣ると言われている。
俺の住んでいる中層区は、そのちょうど真ん中。スコア700台〜800前後の人間が多く、設備も標準仕様。清潔で便利だけど、どこかに“仕分けられてる”ような感覚が常につきまとう。
人工空は毎朝決まった色に染まり、風も香りもすべてプログラム制御。四季も、時間の移ろいも、天井に仕込まれたLEDパネルと気象生成システムによって作られている。
でも、誰も文句は言わない。
外の世界なんて、ほとんどの市民は見たことがない。ドーム外に出られるのはSランク以上、あるいは特別な許可を持つ研究者だけだ。
俺にとって“空”はこれが当たり前だし、“世界”もこのドームだけ。
通学路に出ると、角の交差点に見慣れた姿が立っていた。
「ユウ、今日も六分遅れ」
「……秒単位で記録してんの?」
「もちろん。私はスコア管理が得意なんだから」
アイハラ・ツバサ。
俺の幼馴染で、今も同じクラス。記憶転写系の異能を持っていて、異能ランクはB。
いつも時間ぴったりで、スコアにもこだわるタイプ。だけど俺にだけはちょっとだけ緩い。
「今朝も728?」
「うん。変動なし。そっちは?」
「731。昨日より+1。昨夜ヨガしたから」
「……ヨガでスコア上がるのかよ」
「柔軟指数がAIに評価されるの」
この街のすごいところは、ほんの些細なことまで“評価される”ことだ。
姿勢、睡眠の質、言葉遣い、さらにはAIに向けた返答の丁寧さまで。
それが「今の自分の立ち位置」を左右する。
言い換えれば、異能があっても、素行が悪ければ落ちぶれるってことだ。
「今日の演習、ユウも出る?」
「出るには出るけど、どうせ荷物運びだろ」
「支援班、だっけ?」
「地味な力には地味な役割がつく。仕方ない」
「でも、誰よりも安定してるのはユウなんだけどね」
「その安定が、伸びしろがないって意味なんだよ……」
苦笑しながら、俺たちは学校へと足を進めた。
校門をくぐると、頭上の大型スクリーンが映像を切り替えた。
《今週のスコアランキング:学生部門》
上位者たちの顔と名前、ランク、異能の種類がズラリと並ぶ。
Aランク、Sランクの生徒たちは注目の的だ。
「おい見ろよ、またアスカ先輩が一位だ。スコア986だってよ」
「もうSランクの中でも別格じゃん。異能も解析不能系なんだろ?」
「授業も全部別室らしいよ。なんか“国家保護対象”なんだって」
そんな声が、俺の背後から聞こえてくる。
俺? 当然、ランキングには載ってない。
載るわけがない。Cランク、スコア728。影も形もない。
それでいい。ランキングなんて、見るだけで疲れる。
教室に入ると、レンが座ったまま手を挙げてきた。
「おっす、透明系男子」
「お前、それ気に入ってんの?」
「まぁな。お前みたいな“存在感は薄いが頼れるやつ”って、実は貴重なんだぜ?」
セキド・レン。
俺の親友で、磁力系の異能を持つBランク。
明るくて社交的、ちょっとお調子者だけど、何だかんだで面倒見がいい。
「今日もスコア安定?」
「728。たぶんこれ一生変わらん」
「うんうん、安定感こそ正義!」
「嫌味かよ」
朝のHRが始まり、AI担任のシグマ先生がホログラムで浮かび上がる。
「おはよう、クラス2-B。今日は午後の異能実技でペア演習があります。準備を怠らないように」
ツバサが隣から小声で言う。
「ユウ、今日も支援補助だよね?」
「だと思う。軽くして渡すやつ」
「うん。私は情報支援。記録と連携」
「お前は優秀枠だからな。Bランク組」
「そういう言い方、やめて。私はたまたま“わかりやすい力”だっただけだよ」
たしかに、ツバサの《記憶転写》は学術的価値も高くて、社会貢献にも直結する。
……俺のは、そうじゃない。
そして午前が終わり、昼休み。
屋上でレンとツバサと三人、いつもの昼食。
「お前、昨日のAIニュース見た? 転入生来るんだってな」
「見た。名前、リゼ・カナメ。異能ランク:A」
「出た、上級者枠」
「転入理由は非公開、って書いてあった」
「それ逆に怪しいよな? 軍関係か、研究機関か……」
「関係ないよ。たぶん、クラス違うでしょ」
「いや……クラス、同じだって」
「……は?」
このとき俺は、まだ何も思っていなかった。
ただ“すごい転校生が来る”って、それだけ。
午後、ホームルームが始まる数分前。
教室内の空気がいつもよりざわついていた。
「今日だよな? 転校生」
「本当にAランクなのかよ」
「異能の種類、非公開ってマジでやばくね?」
「女? 男?」
周囲のそんな会話を、俺は教科書を開いたまま聞き流していた。
正直、どうでもよかった。
Aランクって時点で自分とは別世界だし、転校生が来たからって俺の生活が変わるわけでもない。
だいたい“非公開”って言葉は、俺らみたいな市民には無縁だ。
あれは、上層の人間か軍関係者に許された特別な“壁”みたいなもんだ。
俺たちは、壁の向こう側を覗けない。
だからこそ、静かに過ごすしかない。
チャイムが鳴る。
数秒後、教室のドアが開いた。
「紹介するわ。今日からこのクラスに加わる転入生よ」
シグマ先生の声とともに、一人の少女が現れた。
……銀色の髪。
整った顔立ち。
左右で異なる色の瞳――右が深い蒼、左が濁った銀のような奇妙な光を宿していた。
「リゼ・カナメ。よろしく」
たったそれだけ。
彼女は感情の揺れを一切見せずに、淡々と名乗った。
クラスが、一瞬だけ静まり返る。
その圧だけで、空気が変わるのを感じた。
でも――
(……本当に、Aランクってこんな感じなのか)
それが、俺の正直な感想だった。
驚きも、畏れも、興味すらも、あまり湧かなかった。
ただ、“すごい転校生が来た”ってだけ。
俺には関係のない話だ。
「神楽ユウくん。彼女の席は、あなたの隣でいいかしら?」
「……は?」
聞き間違いかと思った。
だけどホログラムのシグマ先生は、躊躇なく続けた。
「あなたのスコア変動率が最も低く、精神影響のリスクが少ないと判定されました」
……なんだその理由。
だけど断る理由もない。仕方なく頷いた。
「了解です」
こうして、リゼ・カナメは俺の隣の席に座ることになった。
午後の座学が始まり、俺はいつも通りノートを取りながらタブレットに入力していた。
隣のリゼは、やはり何もしていない。
前を向いたまま、視線も動かさず、まるで時間が止まっているみたいだ。
そのとき、ふいに声がした。
「透過触。珍しい分類」
リゼだった。
目はノートじゃなく、俺の異能ラベルが表示された腕端末を見ていた。
「え、ああ……うん。まあ、地味なやつだけど」
「軽くする力。効率は良好。制御率、安定」
「……うん、それは褒めてる?」
「事実」
まったく感情のない口調だった。
でも、不快ってわけでもない。
ただ本当に、事実だけを並べてる感じ。
「ありがとう……なのかな?」
「どういたしまして」
それっぽい返事は返ってきたけど、たぶん意味はあまり理解してない。
それきり、リゼはまた黙って前を向いた。
俺も、会話を続けようとは思わなかった。
必要以上に関わる気もないし、別に興味もない。
午後の実技演習は、災害時想定の物資搬送と支援動作。
要するに、避難誘導と荷物運びの訓練だ。
俺の担当は、いつも通り“支援補助班”。
《透過触》で発電機や医療コンテナの質量を一時的に下げて、他の生徒が運びやすくする。
派手じゃない。戦闘じゃない。
けど、誰かがやらなきゃいけない作業。
「ユウー、こっちのコンテナ頼む!」
「透過起動……はい、今」
「ナイス! お前マジ安定してて助かる」
軽くなる瞬間、俺の手元に小さな反応が残る。
慣れた動き、無理のない力加減。何も問題はない。
何も起きていない。
そう思ってた。
でも、演習の記録データを見ると、一瞬だけログに“変な空白”があった。
《補助入力:0.2秒間、物体に非接触状態。質量変動検出》
……なんだ、これ。
「誤検知……だよな」
そうつぶやいて、すぐにログを閉じた。
スコアも下がってないし、警告も出てない。
なら、問題ない。
俺の能力は、透過触。地味で安全で、ちょっと便利。
今日の演習は、全部で五項目。俺はそのうち三つでサポートを行い、どれも無事に完了した。
スコア変動なし、記録良好。
褒められることも、叱られることもない。
つまり、いつも通りの一日。
隣のリゼは、別室で“予備演習”をやっていたらしいけど、詳しいことは共有されなかった。
Aランクの実技内容は、普通クラスとは違うらしい。
まあ、関係ないけど。
帰り道。レンとツバサと一緒に校門を出る。
「今日の演習、またAIに褒められてたな」
「安定してるだけだよ。点数にもならん」
「でもさ、ユウの能力って、実は“支える力”って感じで俺は好きだぜ?」
「……うるせえよ」
レンの言葉を聞いて、ツバサは少しだけ笑っていた。
「リゼさんとも、話した?」
「うん。異能の名前言われて、安定してるって言われた。そんだけ」
「ふーん……」
ツバサはそれ以上は何も言わず、空を見上げていた。
俺たちの頭上には、プログラムで描かれた夕焼けが広がっている。
作り物の空。作り物の街。
でも、俺にとってはこれが日常だ。
今日も、何も変わらなかった。
明日も、たぶんきっと同じだろう。
次の日の朝、ドームの空は曇り気味に調整されていた。人工気象だが、周期的な天候の変化も組み込まれていて、「今日はちょっと重たい空気だな」と感じさせる演出も抜かりない。
いつも通りAIにスコアを確認され、いつも通り728点と告げられたユウは、シャワーを浴び、制服に袖を通し、パンとスープの味気ない朝食を済ませた。
通学路の角を曲がったところで、ツバサが手を振っていた。
「今朝も時間通り。ぴったり」
「寝起き悪くて3回くらいAIに叱られた」
「それで間に合ってるなら上出来」
そんなありふれたやり取りをしながら、二人はゆるやかに並んで歩く。街の壁面パネルには、今日の天候予報とスコア変動の傾向グラフが表示されていた。午後には実技が予定されているらしい。
教室に入ると、すでにレンが自分の席に脚をかけて座っていた。タブレットを空中に投影しながら、リゼの隣――つまりユウの隣――をちらちら見ている。
「おーっす。今日も無表情クイーンは健在か?」
「やめろって……聞こえてるぞたぶん」
「いや、別に悪口じゃなくね? 敬称だよ敬称。“クイーン”」
そのとき、リゼが静かに首だけこちらに向けた。
「クイーンではない」
「……おお、しゃべった!?」
「私はただの生徒。ランクAだが、特別な地位は持たない」
「お、おう……うん。なるほど。すんませんでした」
レンは笑いながら頭を下げ、席に深く座り直した。リゼはそれ以上なにも言わず、また前を向いた。
その日の座学は、異能使用における法的責任の授業だった。
異能暴走の歴史、現行法における管理措置、未成年者の監督責任、そしてそれに伴うスコアの加減点基準――
「異能使用は原則としてAI管理下においてのみ許可されます。
自己判断による使用は、緊急時を除き、基本スコアに対して最大−50点の罰則が発生します」
俺は淡々とメモを取っていた。ツバサはデータを記録しながら、必要な項目を転写用に整理している。
リゼは――やはり何も書いていなかった。
昼休み、屋上。
風は穏やかで、天井の空には薄い雲が流れていた。人工だとしても、それはそれで心地いい。
「リゼってさ、クールというより、あれはもう“無”だよな」
レンが飯を食いながら言った。
「たぶん、感情出す必要がないんじゃない? 普段の生活で」
「お前、昨日喋ったんだっけ?」
「うん。ちょっとだけ。異能の話されて終わり」
「なにそれ、分析対象?」
「たぶん……情報整理? なんかAIっぽかった」
ツバサはそれを聞いて、「わかる」とうなずいた。
「たぶんあの人、すっごく合理的に会話してるんだと思うよ。“必要かどうか”で判断してる感じ」
「でも、なんかそれって疲れね?」
「本人はたぶん、楽なんじゃないかな」
3人の会話はそこまでだった。
午後の実技は、グループ形式での模擬災害対応。避難経路の確保、資材の搬送、負傷者の保護――異能による支援行動を想定した訓練だった。
班分けが表示される。ユウの名前の横には、また“リゼ・カナメ”の名前があった。
「またか……」
「相性いいんじゃない?」
ツバサが少し冗談めかして言った。
「俺が何したっていうんだ……」
実技フィールド内。
障害物として設置された資材棚が道をふさいでいた。ユウは手をかざして、透過触を起動する。
「……あれ?」
棚の一部が、触れる前にふっと軽くなる感触があった。
というか、すでに“中が空”のような、質量を感じない抵抗だった。
「気のせい、か……?」
「移動完了」
リゼが一言だけ言った。
見ると、棚は別の場所に動かされていた。だが、彼女が動いた様子はない。力を加えたような動作もなかった。
演習は成功。ログも問題なし。
ただ、どこか引っかかる――
いや、何も考えすぎることはない。うん、たまたまだ。
終了後、AIから結果が伝えられる。
「班3−B、演習成功。総合評価:S−。スコア変動:+1」
「お、久々のプラス!」
ユウは地味に嬉しかった。
訓練後、リゼがふいに口を開いた。
「神楽ユウ」
「ん?」
「あなたの異能、“安定”している。協調適性も高い。機能的」
「……ありがと?」
「継続観察を希望する」
「は?」
意味がわからない。
リゼはそれきり何も言わずに去っていった。
隣で見ていたレンがぽつりと呟いた。
「お前、観察対象になったな」
「……勘弁してくれ」
今日もスコアは728点。
俺の中では、何も変わってない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます