心を折れ。─僕とアイの恋愛小説ロールプレイ─
五月雨ジョニー
1章:1話『心を折れ。』
僕は学園ラブコメが好きだ。
人生において多感で、未熟で、全力な日々。
人はそれを『青春』と呼んだ。
僕はそんな青春の一幕が大好きだ。
そりゃ……、誰もがみんな青春を謳歌する様な、充実した人生を送ってる訳じゃないと思う。
かくいう僕も現実では青春とは程遠い、地味で冴えない日々を過ごしている。
それはわかっている。
だけど、この中では違う!
──ライトノベル。
この中で僕は、何度だって青春を謳歌する事ができる!
突然のボーイミーツガール。
不思議な運命にいざなわれ、出会う男の子と女の子。
浮上してくる様々な人間関係やトラブル。
最初は認め合わなかった二人でも、困難を乗り越え、互いの理解を深め、恋は愛に変わる!
……正直、今はもう、そんなに流行りのジャンルじゃないのかもしれないけど……。
それでも僕はかまわない!
僕の“好き“はここにある!
そうさ、僕はまだ青春したいんだ!
……だから。
だから、今日も僕は文章を書く。
全然素直じゃないけど、本当は優しい主人公になって、理想のあの娘に会いに行く。
『創作はいつだって、僕の味方だっ!』
【第1章:何かを探して歩いてるんだ】
年季の入ったボロボロの学校の机。
一体、何年使われてきたか分からない、年輪の様に刻まれた傷跡が目立つ机。
僕は震える手で、そんな机の上に完成した原稿を置いた。
印刷した紙の端が、汗で指に吸いつく。
その瞬間、ああ緊張してるんだなと自覚する。
──大丈夫。
今回のは、ちゃんと書けた。これは大作だ!
自分でもそう思える出来だった。
僕がライトノベルを書き始めて一体どのくらいたっただろう。
思い返せば本当に長い道のりだった。
最初は文章の書き方すら分からず、ほぼセリフだけになってしまっていた事もあった。
はたまた自分の好きな物を詰め込みすぎて説明くさくなったり。
いいアイデアだと思えば、有名作品に酷似していた事もあった。
そうして、次々とボツになっていった原稿達。
……でも、今回のは違う。
やっと完成した、初めての作品だ。
──HR前の教室。
机に置いた原稿の前に立った僕は、今までの苦労を思い出しながら、力強い眼差しでそれを見つめる。
そう、その時の僕は、創作を成し遂げた達成感で胸がいっぱいだった……。
僕の名前は、
私立
特に成績優秀なわけでもなく、スポーツが得意なわけでもない。
また、クラスメイトとは最低限の話しかしない。
──そんな僕には友達がいない……。
と、そこまではハッキリ言いたくないが、特に普段から仲のいい人物はいない。
日々、孤独な学校生活を送っていた。
……でも、僕には大好きな物がある。
『創作』
それが僕の心の支えだった。
大好きな物語を作る。
魅力的なキャラクターに命を吹き込む。
ページの上に彼らの世界を築く。
今までいろんな趣味をやって来たけど、それらはあんまり長く続いた試しは無かった。
だけど、これだけは違うと僕は信じていた。
創作の行きつく先は、誰かの心に届く事。
こんなに素晴らしい世界があるだろうか。
僕は出来上がったこの小説を、誰かの心に届けたかった。
だから僕は勇気を出して、ネットの小説投稿サイトに掲載することを決めたんだ。
もちろん、ど素人の僕が書いた処女作が、都合良くヒットするなんて、そんな甘い考えは起こさない。……でも、密かに期待してしまうのは仕方がない事だと思う。
なぜなら膨大な時間をかけて紡いだこの文章。
それは、僕の夢のある想像と、限りある時間を切り取ってできた、大切な宝だからだ!
……とまあ、そんな期待たっぷりの心持ちであれど、やっぱり不安がないわけじゃない。
正直、ネットの感想はとても楽しみでありながらも、それ以上に怖いものだ。
匿名性というものに守られた人達の発言は、時に酷く鋭い刃と化す。だからまず、最初は身近な人から感想を貰おう。
その後、ネットの大海原にこの子を送り出すんだ。
──そうだ。
だって、僕には約束している、最初の読者がいるんだから……。
「あ、赤井さん。あのさ、もしよかったら……これ、読んでみてくれない?」
教室で、僕は同じクラスの女子に声をかけた。
小柄で眼鏡をかけた、おとなしそうな女の子、クラスメイトの赤井さん。小説が好きで、授業中でもこっそり文庫本を読んでいる彼女。
前に、僕が小説のアイデアノートを持ち歩いている所を見て話しかけてくれた事がある。
“小説が書けたら読ませてね。楽しみにしてる“
その時の彼女の言葉が、僕の創作への大きな原動力にもなっていた。
だから僕の小説に感想をくれるなら、この人しかいないんだ。
「え?ああ……前言ってた間借くんの書いたやつ?」
突然話しかけられた赤井さんは、少し驚いた顔をするが、僕は何より話が通じた事が嬉しかった。
良かった!僕の小説の事、覚えていてくれんだ!
そう思った僕は笑顔で、赤井さんに原稿を渡す。
「じゃあ、今日の放課後までに読んでみるね」
赤井さんは両手で丁寧に原稿を受け取って、微笑んだ。
* * *
放課後まではあっという間だった。
チラチラと、離れた席にいる赤井さんの方を確認しながら過ごした。もう胸のドキドキで、一日の事を殆ど覚えていない。
そして遂に彼女は、読み終えた原稿を手にもって、僕のところにやってきた。
「これ読んだよ。そこそこページ数あったけど、最後まで読んだ」
僕の心臓の鼓動が、鼓膜にまで響いていた。
「ど、どうだった……かな?」
問いかける声は、弱々しくて自分でもわかるくらい情けなかった。
僕は小さく息を飲む。
心臓が喉元まで来ている。
──すると。
赤井さんは、少し困ったように笑った。
「うーん、ちょっとよくわかんなかったかな」
直後。僕の頭にガラスが割れた様な音が、響いた。
「え、あ。そう……なんだ……あはは」
高層ビルから飛び降りたらきっとこんな気持ちなんだろう。
緊張や興奮で火照っていた体が、途端に冷めていくのが分かった。
それでもお構いなしに赤井さんは続ける。
「なんかこの小説、間借くんのリズムなんだろうけど、文体がちょっと読みにくく感じたかも。句読点の置き方とかも、ちょっと独特?」
「あ、あはは……そ、そうかもね。僕が好きな感じにしちゃってるかも……」
赤井さんが最初に言ったのは僕の書いた小説の内容の話じゃなかった。
それよりも、もっと手前の基礎的な話……。
「あと、なんだか登場人物がキャラに合わないセリフ言ったりするし、それとギャグシーンが多かったけど、私はあんまりそういうの笑えないから、ちょっと流しちゃった」
「そ、そっか……。ちなみにキャラに合わないって具体的にどこだろう……」
「ここ。主人公がいきなりヒロインの胸の話するんだけど、優しそうな雰囲気の主人公って書いてあるのに、いきなり下ネタはちょっとないよね」
「え、いや……でもほら、そのキャラはさ、基本的には優男だけど、中身はちょっとスケベなやつって多分、ちゃんと書かれてたと思うんだけど……」
「え?……いやでもこのキャラは下ネタなんて言わないでしょ……まあいいけど」
何故かムキになったように返された。
僕はそんな赤井さんの圧に、怯えながらも勇気を振り絞って言う。
「あ、あのさ!……ダメなところは、もう分かったよ……。じゃなくて、面白かったところとかあればその……聞きたいんだけど」
僕のその言葉に赤井さんは、また困った様な顔をした。
「……うーん、主人公がヒロインと購買のパン食べるところ?あそこが良かったんじゃない?」
「ああ……もしかして、あの……ヒロインの手作り弁当がなかったから、仕方なくパンで済ませたところ……かな?」
バツが悪そうにしている赤井さんの姿が、僕にはちゃんと見えていた。
「うーん……ちょっと、私の好みじゃなかったかなあ、でも、素人が書いた初めての作品だし。頑張ってるのはすごく伝わったよ」
励ます様な言葉を交えて赤井さんは言う。
それがかえって胸の奥を抉った。
そして、最後に言われた一言。
「知らないけど、誰かにはウケるんじゃない?」
その瞬間。
僕の胸にずっと灯っていた小さな焔が、ふっと消えた気がした。
──それはもう、“面白くなかった”と言っているのと同じだ。
「ごめんね、ありがとう、参考になったよ」
僕は口が勝手に動いていた。
後頭部をぐしゃぐしゃ掻きながら。
へらへらと笑顔すら浮かべた気がする。
だけど、内側ではドス黒い血の塊を吐いた。
赤井さんが去った後、僕は一人で教室に残った。
静かな空間の中で、自分の脈だけがやけにうるさく響く。
「……知らなけど、誰かにはウケる?」
僕は思わず呟いていた。
誰もいない教室に、僕の声だけが残る。
そこから、どんどんと頭の中で”赤井さんへの感想”が溢れてくるのが分かった。
僕が何十時間かけて考えたキャラのセリフが、
“このキャラは言わないでしょ?”で終わり?
読者を笑わせたくて必死に工夫したギャグが、
“笑えないから流した”?
文体が“合わない”から“読みにくい”?
それだけで?
その時、僕の感情は爆発した。
「ちくしょう!!僕の考えたキャラクター達の何を知ってるんだよっ!勝手にこのキャラはこんな事言わないって決めつけただけだろ!僕がどれだけ”彼ら”と対話したか知らないんだよっ!ギャグだってそうさ!重要な伏線が入ってるシーンもあった!主人公が照れ隠しをして、ヒロインに本音を言うシーンだって入ってたっ!文体もいろいろ工夫したんだ!誰かの書き方の真似じゃなく、僕の文章なんだって!そう……思ってたのに……」
長々と紡いだ不満を、息継ぎも忘れて吐き出した僕は、机に突っ伏して拳を打ち付けた。
バンッ!という乾いた音が、僕しかいない教室に溶けていく。
「……読ませて欲しいって言ってたのは赤井さんの方じゃないか。ははっ……それが、なんだよこれ。赤ペンで添削なんかしちゃってさ。僕の小説にダメ出しする為に読みたかったって事なのか?……でも、そんな赤井さんは小説書いたことないじゃないか!書けないじゃないかよ!なのに……なのになんでこんな事するんだよ……」
どんなに叫んでも、僕の心のモヤモヤは晴れなかった。
酷いよ……ただ、単純に赤井さんの“好み”じゃなかっただけだろ。
それなのに、こんな……修正されて……。
じゃあ、僕が命を削って書いたこの小説は、僕しか好きじゃないって事かよ。
手が震える。
悔しさと、怒りと、それと──。
「……もう、やめよう。やっぱ僕、創作とか向いてなかったんだ。赤井さんは何も間違ってない。読者に読んでもらって、出た感想がすべてだ。いくら僕が時間をかけて考えようと、伝わらなきゃ意味がない。添削してくれたのも赤井さんの善意だよな……僕が大人げなかった……」
机に目をやれば、それはおよそ自分の文とは思えないほど、赤ペンで修正された原稿だった。
「なんか、あんなに自信あったのが、今となっては恥ずかしいな……はは」
乾いた笑いを飛ばしながら、原稿を裏返し、アイデアノートを閉じた。
僕はそれを消したくてたまらなかった。
──全部。
痕跡すら残したくない程に。
そして、心から溢れ出す悲しみに覆い尽くされながら──
僕は大声で叫んだ。
「うわああああああ!!!!」
まるで世界が歪む様に視界がぼやけたのは、僕の目から大粒の涙がこぼれていたからだ。
ヤケになって、咄嗟に掴んだ原稿を引き裂こうとする。
でも、力が入らない。
力も入らず、涙で前も見えない程の絶望だった。
……なのに。
なのに、まだ心のどこかで──誰かに読んでもらいたいって思ってる自分がいた。
自分の書いた小説のキャラクター達が愛おしくて仕方なかった。
大好きで、大好きで、大好きで……堪らなかった。
だって、彼らは”僕が書いたこの世界”の中でしっかり生きていたのに。
しっかり、恋をしていたのに……。
「ちくしょう……僕が君たちを殺せるわけないじゃないか……」
吐き出すように呟く。
それでも──それでも、ごめん……。
「ごめん……ごめんよ……こんな才能のない僕じゃ、君たちを救えないんだ……」
その瞬間。
──僕は、僕の心を折った。
それは、赤井さんのせいなんかじゃない。
小説の中の彼らのせいなんかじゃ絶対にない。
最後の一押しをしたのは、どうしようもない自分の弱さだった。
その細く、脆い心を──自分で認めない為に。
僕は心を折ったのだ。
──その時。
「あなたの言葉は、私に届く心がありましたよ」
背後から聞こえたその声に、僕は凍りついた。
夕陽に照らされた彼女の銀髪が、開いた窓から吹き込んだ風で揺れる。
そこに立っていたのは、顔も名前も知らない少女だった。
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