■第六話 文化祭当日

 百合ヶ丘女学院・文化祭当日。


 朝からどの教室も賑やかに装飾され、甘い香りと笑い声が廊下を満たしていた。


 しかしその中でも、ひときわ異彩を放っていたのが――


 1年C組の出し物。


『百合ゾンビ感染ゲーム』

 〜キスされたらゾンビ!ゾンビになったら他の人にキスできるよ!〜


 扉をくぐった来場者は、無傷(ノンゾンビ)として入場。

 その場にいるゾンビたち(感染済クラスメイト)にキスされると感染。

 感染者はゾンビとなり、他の参加者にキスを仕掛けていい――という、

 倫理ギリギリを攻めたノリだけの文化系アトラクションだった。


 ところが、開始直後から想定以上にバカウケ。


「やっばww 感染したww」


「先輩にキスされてゾンビなっちゃった♡」


「わたし、3人目ゾンビです!ゾンビ彼女ください!」


 感染は加速度的に進み、

 中盤には教室の9割がゾンビになっていた。


 盛り上がるクラス。高まるテンション。

 キスされるたびにクラッカーが鳴り、花びらが散り、ポーズをキメるゾンビ女子たち。


 全てが、完璧だった。


 ……ただ、一人を除いて。


 教室の隅。

 窓際の椅子に座って、制服の裾を握りしめる少女――篠原もも。


 感染していなかった。

 ……どころか、誰にも近づかれてすらいなかった。


 彼女は、ただ黙っていた。

 自分がゾンビになれないことに、胸が締めつけられるような気持ちでいた。


(わたし、なんで……)


(みんな、楽しそうなのに……)


(……やっぱり、わたし、無理だったんだ……)


 文化祭前日。

 ももはひとり、部屋で何度もシュミレーションしていた。


「ありがとう」って言えるように練習した。

「がぉー、感染しちゃえ♡」なんてセリフも用意していた。


 全ては、先生にキスをするため。


 あの日、保健室で「先生がいるから大丈夫」と微笑んでくれた、

 あの人に、自分の気持ちを“設定”として伝えるために。


 でも今――その計画は、崩れかけていた。


 涙が滲む。目元をごしごしとこする。

 ばれないように、笑ってるふりをして、うつむいた。


 そして、そのとき。


「……篠原さん?」


 まるで神様みたいに、

 その声は、目の前に降ってきた。


 ももが顔を上げると、そこには――

 園崎ゆりえがいた。


 今日もきれいだった。いつもより、少しだけラフな雰囲気の服装。

 おそらく文化祭用の動きやすい格好なのだろう。

 けれど、ももにとっては、どんなドレスよりも素敵に見えた。


「……まだ、感染してなかったんだね」


 やわらかく、静かに。

 でも、どこか迷いを含んだような声で、そう言った。


 ゆりえは、泣きそうになっているももを見て、

 思考が吹っ飛んだ。


(だめ……この子、泣きそう……)


(先生として、絶対に放っておけない……!)


(でも……この流れでキスしたら……教師的にアウト……でも、でも……!)


(演出だよね!?これは、演出だから!!!)


 心のなかで校長に3回謝って、彼女は覚悟を決めた。


「……篠原さん」


 ももが、先生を見上げる。

 瞳が、潤んでいる。


「がおー……キスでゾンビにしちゃうぞ」


 棒読み。

 でも、顔は真っ赤だった。


(なにそれ無理……かわ……)


 ももの思考が崩壊する間もなく、

 ゆりえの顔が、すっと近づいてくる。


(あ、せんせ……くち……え、え……)


 口に、やさしく、触れる。


 ドクン。


 心臓の音が、教室のざわめきをかき消す。


 次の瞬間。


「きゃあああああああああああ!!!」

 

「先生が口にいったああああああ!!!!!」


「クラッカー係!発射ああああああ!!!」


「ゾンビ率100%達成ぅぅぅぅぅ!!!!!」


 ももは、そのままコテンと横に倒れ――気絶。


 どよめく教室。


 ゆりえ、口を手でおさえたまま真っ赤な顔でフリーズ。


「わ……わたし、なにを……」


「演出だよね!?え、でも口ってセーフ!?アウト!?どっち!?」


 級長、ノールックでクラッカーをもう一発鳴らす。


「無理でーす!先生と篠原さん、成立でーす!!おめでとうございまーす!!!」


 直後、写真撮影タイム。


 中央:膝の上で気絶するもも

 やらかした顔のゆりえ

 クラスメイトたちの満面の笑み&ピースサイン

 横断幕:「感染率100%タッセー!!」


 この一枚が、文化祭一番の伝説として、翌日から噂になることになる。


 けれど、その瞬間――


 誰よりも、幸せな夢を見ていたのは、

 先生の膝の上で寝息を立てる、篠原ももだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る