第15話 「すぐそこにいる、けれど届かない」 (及川視点)
「……では、午後の会議、よろしくお願いします」
会議室を出て、資料を抱えたままエレベーターホールに立った及川は、
そのまま何もない空間を見つめながら、短く息をついた。
忙しい、はずだった。
実際、仕事は山積みだ。
部長としての責任、進行中の案件、社内外の調整――
毎日が“こなす”ことで精一杯のはずなのに、
なぜか頭の片隅には、あの人のことがずっと残っている。
新倉七海。
自分より十以上も年の離れた、後輩のデザイナー。
入社当初はどこか頼りなく見えた彼女が、今では誰よりもプロジェクトの軸になっている。
判断力、デザインのキレ、プレゼンの空気を読む力。
認めざるを得なかった。
そして――いつからか、その変化を“仕事”以上の感情で見ている自分に、気づいていた。
(また、今日も会っていないな)
同じフロアにいながら、七海とはしばらく顔を合わせていない。
忙しさを言い訳に、食事の誘いも止まったままだ。
それでも、連絡は続いている。
互いに言葉を濁しながら、それでも“続けよう”としているのがわかる。
彼女の返信はいつも少し遅れて、けれど必ず、心を和らげる言葉を添えてくる。
「ありがとうございます」「そう言っていただけて、嬉しいです」
一文だけのシンプルなやり取りが、
自分の一日の最後に、確かな“余韻”を残してくれる。
(こんなにも、誰かと言葉を交わすことを楽しみにしていたなんて――)
40を過ぎ、仕事も家庭も一通り落ち着いてきたと思っていた。
何かに“期待すること”も、“ときめくこと”も、
もうとうに手放したと思っていた。
けれど今、七海とのメッセージは、
その感覚を少しずつ呼び覚ましていく。
会いたい。
そう思ってはいけないと思いながらも、
彼女の文章の一行ごとに、気持ちが前のめりになっていく。
ただ――
それを行動に移すには、
今のこの“心地よい関係”が、あまりにも繊細すぎるのだ。
スマホを開く。
未読はなし。
けれど、画面を閉じられない。
“言葉だけで繋がる”日々が、
少しずつ、自分のなかに甘い依存を育てていた。
(あの子は、どう思っているんだろうな)
及川は誰にともなく呟いた。
答えは来ない。
けれど、その問いを投げかけている時点で、
もう戻れないところまで来ているのかもしれない。
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