めぐる

私たちの生活には、たいてい、においが付きまとう。いや、もちろん、においだけでなく視・聴・嗅・味・触の五つの感覚のどれもが主張しようとしているのだけれど。視覚と聴覚は現代人が社会生活するうえで最も頼りにしている感覚だろう。それに比べると嗅覚は地味だ。花粉症で鼻が詰まっていても、生活に著しく支障をきたすことはない。だからこそ、においは、生活のゆとりや気持ちの切り替えといった情緒的な側面に強く結びつけるのかもしれない。

久しぶりに故郷に降り立った美咲を出迎えてくれたのは、田んぼにまかれた肥やしのにおい。肥やしのもとは動物のウンコだ。食べたものを自分の体に取り入れ、不要なものを出す。出したものは栄養塩に還り、ふたたび植物を創り出し、食べ物となる。ウンコ、それは生物が繁栄しつづけるために欠かせない物質循環の重要な構成要素だ。くさいと敬遠されたり顔をしかめられたり蓋をされたりするウンコだが、これなくしては物質循環の輪は回らない。生の要ともいえるのかもしれない。

肥やしのにおいは美咲に、昔の自分を、弘樹を否応なしに思い出させ、懐かしませ、恥じ入らせてくれる。あの当時にはわからなかったことを、すとんと腑に落としてくれる。何が良くて何が間違いかなんて、正解はないのだろう。自分がやってきたことはすべて今の自分を創り出す肥やしであり、その自分は、人間を含めた自然の物質循環の単なる一要素でしかない。

しっとりとした夜露に一層においたつ肥やし。くさいのだけれど、自分たちが確かに輪の中で生きていることを実感させてくれるにおいかもしれない。お帰り、みさきち、この輪の中へ。