1UP!

鈴椋ねこぉ(すす)

1UP!

 確信はないけれど、昨日の夢は夢じゃなかった気がする。だって、夢にしては、起きた後でもはっきり記憶に残っているから。脳裏に焼きついている、とでも言えばいいのだろうか。

 ほんわり白い空間にいて、ぷかぷか浮かんでいた感覚がある。足が地面についている感覚がなかったから、きっとそうだ。そして、僕の正面には神様がいた。

 名乗った訳でもないのに、なぜ神様だと分かったのかはよく分からないのだけれど、その人は紛れもない神様だった。なんか雰囲気というか、纏っている何かが、僕の脳にその人は神様だと訴えていた。

 まぁとにかく、その白い空間に神様と二人、向かい合うようにして浮かんでいたんだ。不思議、という気持ちはあったけれど、その人に対しては警戒も何もしなかった。

 大事なのはこの後。その……性別が分からない神様は不意にこう告げた。

「君に一つだけ、ゲームで言う、残機みたいなものを授けよう。一度だけ、死んでもノーカンだ。好きに使うといい」

 理由は分からないし、なぜか僕は聞きもしなかった。それは、金持ちが金に余裕があるから、周りに金を配るみたいな感覚だったような気がする。あるいは、実験的にそれを与えて、こちらの反応や行動を検証するみたいな、とにかく軽いノリだった。

 ただそれだけ伝えられて、自己紹介も世間話もないまま目が覚めた。少しずつ意識が戻ると、僕は上体を起こして、しばらく神様に言われたことを反芻していた。

「一度だけ、死んでもノーカンだ」

 そして次に、その信憑性について考えた。果たしてそれは、その事実は本当なのだろうか。本当に僕は残機を一つ得たのかどうか。

 確かめるには一度死ぬしかない。しかし、もしそれが違った場合、つまり残機が一つもなかった場合、僕はそのままあの世行きだ。つまり、証明する術がなかった。

 でも、本当のような気がしていた。妙にあの場にいたことを体が覚えているというか、もしかすると、あそこにいたのは僕の魂かもしれない。そう考えると、浮かんでいたのも説明がつく。

 では、それが本当だとして、僕はどうするか。当然、一度死んでも平気というのを盾に、色んなことに挑戦するようになった。危ないことを自らするようになった。

 まず、そもそもに僕はかなりのびびりでネガティブで引っ込み思案だった。雷に打たれるのを恐れて雨の日は外に出ないし、サメや溺死を恐れて海は浅瀬でしか遊ばないし、熊や遭難を恐れて山には行かないし、不審者や幽霊を恐れて夜は出かけないし、病気を恐れてバランスのいい食事しかしない。本当に、多くの小さな可能性に怯えていた。

 だから、一度死んでもノーカンと言われて、それらの逆をやるようになった。なんでも挑戦するようになった。雨の日も外出するようになり、海や山で積極的に遊び、夜にコンビニで体に悪い食べ物を買う為出かけるようになった。

 性格が変わったと言われるようになった。僕はそれが嬉しかった。それを言われる為だけに、どんどん羽目を外すようになっていった。

 段々と調子に乗ってきた僕は、酒を酔うまで飲んでから、街中の怖い人に自ら喧嘩を売り、笑いながら逃げるという謎の行為をするようになった。神様も僕がこんなことをするなんて、想像もしなかったのではないかと思う。そして、ちゃんと天罰が下った。

 その日も同じように夜の街に出て、酔っ払っている屈強な男に喧嘩を売った。そして逃走した。が、彼は屈強な割に素早い男だった。だから追いつかれそうになって、僕は前を見ずにただひたすら夢中になって走っていた。その結果、車に轢かれた。

 大きなトラックだった。クラクションの音で我に返った時にはもう遅かった。僕の体に衝撃が走った。宙を一回転した後でもう一度衝撃が走り、そして額からじんわりと熱がたれてきた。意識が朦朧としていた。寝っ転がっているのが分かったが、景色が横向きだったから変な体勢でいるのだと思った。じんじんと熱を感じながら、しばらくして僕の意識は完全に途切れた。

 クラクションの音で我に返ると、僕のすぐ目の前をトラックが走り去っていった。目で追いかけると、さっき僕を轢いたトラックだった。

 どうやら僕は、こんな下らないことに残機を消費してしまったらしい。

 まず本当に残機があったことに驚きを覚えた。次に生き返ったことに戸惑いを感じ、次第に最悪な気分になった。先程の怪我の具合をやけに意識してしまい、吐き気を催した。どこか人通りの少ない場所で吐いてしまいたかった。

 その時、僕の首根っこを誰かが掴んだ。びっくりして振り返ると、さっき喧嘩を売った屈強な男だった。酔いも相まってか、男は怒り狂っていた。

 僕は殺されるんじゃないかと思った。だが、残機はもうなかった。死んだら、もうやり直すことはできない。それは普通のことなのに、やけに怖いことのように感じた。

 僕は必死に抵抗した。その手から逃れようと試みた。しかし、男の握力は強く、僕の抵抗なんて無駄だと片手で彼は、僕を人のいない路地裏のような場所にずるずると連れ込んだ。そして、もはや抵抗もできず、ただ死ぬのに怯えている僕の顔を右拳で力任せにぶん殴った。僕は頭を抱えて縮こまった。すると丸まった僕を、男はサッカーボールのように全力で蹴り上げた。

 意識を失っていたことに気がついた時、朝が来ていた。男の気配はもうなかった。僕は起き上がって、朝の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

 生きてる心地がした。すると涙が出てきて、僕は我慢できなくなってその場でしばらく泣いた。その時、僕は確かに生きていた。

 恐らく、酷い顔で家に着いた。風呂場で鏡を見ると、頬は腫れて、目は赤く、所々に青痣ができていた。僕は調子に乗っていたことを素直に認め、反省した。

 そして、それから僕は、挑戦する前以上にびびりでネガティブで引っ込み思案になった。一度死んだことで、死ぬことが怖くなった。一度しかない死よりも、二度目はない死の方がより鮮明に死を感じた。

 家にこもりがちになって、だいぶ経った。家にいれば安全だと、そう思っていた。だが、そうではなかった。

 ある夜、やけに臭うのと煙たいので目が覚めた。近くで熱を感じてもいた。眠たい目をこすって開くと、部屋が燃えていた。

 すぐに理解はできなかった。頭の中に次々と疑問が浮かぶ。なぜ燃えている? どこから発生した? そもそもこれは現実か? 火災報知器が鳴らない……壊れた?

 けれども、すぐに逃げなければならないことは理解していた。訳が分からないけれど、動かなければならないことは分かっていた。

 だが、目眩と頭痛、吐き気がそれを阻んだ。どうやら煙を吸いすぎたみたいだった。服の袖で鼻と口を押さえたが、今更だった。

 洋室から玄関への廊下にも既に火が回っているらしく、部屋と廊下を繋ぐドアのガラス部分から、廊下の燃えている様子が見えた。ベランダから飛び降りるという手段もある。しかし、火を空気に触れさせてはいけないと聞いたことがある気もする。

 熱い。起きた時にはもう炎に包まれていたが、悩んでいる間にも火は燃え広がっていき、もう逃げ道はないようだった。だが、僕はあまり慌てておらず、むしろ眠気すらあった。

 ここで僕は気づいた。神様はこれを予期していたのではないかと。本来なら、ここで残機を使って脱出するべきだったのではないか、と。好きに使え、とは言っていたが、神様は僕にチャンスを、蜘蛛の糸を垂らしてくださったんじゃないか。それを僕は、なんてつまらないことに消費してしまったんだろう。

 僕はここで死ぬ。今日ここで死ぬんだ。寝ている内に運命が僕を殺さなかったのは、きっと残機を残しておくべきだったことを悔やませる為なんだ。

「…………」

 それでも……まだ少しだけ、ほんの少しだけだけど、動ける気がした。

 このまま死んでもいいのか。本当に今日が命日なのか。……なんだ、この感情。この前、色んなことに挑戦したお陰か、この状況で少し勇気が出てきている。この前、一度死んだお陰か、死ぬことへの覚悟ができている。それでいて、生きることへの執着もある。

 助かるかもしれないし助からないかもしれない。けれど。

 覚悟を決めた僕は、震える足でよろよろと立ち上がるのだった。

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