第4章 part12 願いがある3日目


「で、この“情報”で、どうしたら良いのでしょうか?」



クロウは手にした魔導書を見下ろし、額に手をやりながら、疲労を滲ませた声で尋ねた。


詠唱を終え、膨大な付与魔術の公式を頭に叩き込まれた直後の興奮は、今もまだ脳裏に微かに残っている。だが同時に、その情報量の異常さに、今後どう活用すべきか判断しかねていた。


「確かに……高レベルの付与魔術の公式を今、与えられたわけですが……」


クロウは一拍置き、わずかに目を伏せる。


「逆に、できないことがない」


ぽつりと漏らしたその言葉に、教壇に立つダレントンがニィと口元を歪め、不気味に笑った。


「クククッ……よくぞ気付いた」


その声音には底知れぬ含みがあり、クロウは眉をひそめる。まるで、これこそが狙いだったとでも言うような笑みだ。

そして、その答えを察した直後、ダレントンはゆっくりと煙草を咥え、紫煙を軽く吹かした。


「そう、その付与魔術の公式はな――」


ダレントンは一呼吸置き、生徒達を見下ろすようにして続けた。


「かの英雄アーク・ミラーが残した“付与術式”だ」


その名を聞いた瞬間、クロウの表情が固まる。まさか、と小さく息を呑み、目を見開いた。


「!……まさか、ここまでとは……」


驚愕と興奮、そして畏怖。さまざまな感情がクロウの胸を満たす。


万物への魔術付与、ありとあらゆるステータスの上昇、物体・肉体・精神すら自在に操る多種多様な付与魔術理論。その全貌が、今この瞬間、自分の中に組み込まれた事実に気付く。


胸の奥から湧き上がる一種の万能感に、クロウは自分でも気付かぬほど顔を強張らせていた。


そこへ、少し遅れて駆け寄ってきたユイが、きょとんとした表情で口を開いた。



「あのー、それは私も聞きたいです」


魔導書からの情報を受け取り、ようやく頭の整理がついたのか、ユイは興味津々といった様子で問いかける。


「ふむ、では説明しよう」


ダレントンは煙草を口から外し、紫煙を天井へ向けて吐き出した。その煙がゆっくりと螺旋を描きながら消えていくのを眺めながら、彼は言う。


「今回、初めて付与魔術クラスを受講する君たちにはな、“自分の願い”を叶えてもらう」


「願い……ですか?」


ユイは素直に首を傾げる。その仕草は無垢で、しかしどこか嬉しげでもある。


「そう、願いだ。付与魔術は応用次第で、万物を意のままに操ることも、好きなタイミングで物事を進めることも可能だ」


そう言いながら、ダレントンは無造作に指を伸ばし、教室の奥を指し示した。

その視線の先には、魔導書を開き、魔法陣を描き、魔力を流し込みながら、目を血走らせて作業に没頭する生徒達の姿がある。


「見ろ、彼らは皆、この付与魔術で願望を叶えるべく動いている。伝説の剣を手にする者、防具を完成させる者、最強の魔導機械を造る者、無限に成長する体を求める者、さまざまだ」


煙草を咥え直し、ダレントンはにやりと笑う。


「そして、課題は一つ。“今日、実現したまえ”」


「今日、ですか?」


思わずユイが声を上げた。目は明らかに輝きを増し、まるで夢の世界に足を踏み入れたかのような高揚感に満ちていた。


「はい!」


快活な返事と同時に、ユイは両拳をぐっと握りしめる。

この授業こそ、彼女が魔術の世界に抱いた憧れそのものだったのだ。


「……ん?」


そんな中、クロウはふと違和感を覚え、眉を寄せた。

この空間に充満する高揚感、昂揚感。それは最初、この付与魔術クラスの雰囲気だと感じていた。しかしよくよく目を凝らしてみれば、その熱気には妙な狂気が混じっていることに気が付く。


(夢の実現……それは結構だが)


クロウは、生徒達の様子をじっと観察した。


(さっきの私もそうだったが、この付与魔術を習得した瞬間、妙な万能感と高揚感に包まれた。この精神状態のまま、自分の“願望”を設定してしまったら……)


嫌な予感が頭を過った。


視線の先、まず目に留まったのは、一人の男子生徒。


彼は、文献でしか目にしたことのない伝説の勇者の宝剣のレプリカに、付与術式を必死に刻み込んでいた。


宝石の装飾、刀身の意匠、その全てが古の伝説に語られる剣と寸分違わぬ造り。だが、彼の顔は鬼気迫るものだった。恐らく、幾度も付与を試みては、理想に届かず、ああでもない、こうでもないと繰り返しているのだろう。


他の生徒達も同様だ。


一見、熱心に取り組むその姿勢。しかし目の奥はぎらつき、手元の作業に没頭するあまり、周囲の音などまるで耳に入っていない。


ある女生徒は、魔導機械に付与を施していた。いや、よく見ればそれは完全自立型の人格付与。自分だけの理想の存在を作り上げようとしているのだ。


さらに一人の男子生徒は、自らの肉体に付与を行っていた。強化かと思いきや、性別そのものを変えようとしているらしい。彼の目は異様なほど輝き、理想の肉体データを刻み込むように術式を描いている。


「……あの、大丈夫なんですかね、これ」


クロウは呆れ混じりの声で、ダレントンへと視線を向ける。


「まあ、大丈夫だろ。若いし」


ダレントンは実に軽薄そうに答え、煙草を咥え直すと、紫煙を教室の空気に溶かしながら続けた。


「今年は受講者が多くてな。いちいち細かく教えるのも面倒だし、だから今年はこの方式にした。好きにやらせりゃ、いいのが生まれる」


「……マジか」


クロウは額に手を当て、呆れと不安を滲ませるように呟いた。


まるで、この教室だけ異様な熱狂と狂気に支配されているかのようだった。



「はい!私、願いが決まりました!」



ユイは嬉しそうに勢いよく手を挙げ、クロウとダレントンのふたりに向かって元気よく声を響かせた。


その声は教室のざわめきの中でもひときわ鮮やかに響き、周囲の数名がちらりと視線を向けるほどだった。


クロウはその光景を目の当たりにしながら、内心に不穏な感覚を覚えていた。


(ユイの願いって、いったい何だ……)


彼女と出会った頃から、ユイは『人女王』への存在への強い憧れを口にしていた。


しかし、それは現実に叶うようなものではないとクロウは理解している。


この授業で付与魔術によって実現できるのは、あくまでも形あるものか、あるいは一時的な現象だ。『会いたい』という願いを直接叶えるのは無理でも、その近道になるような何かを願うのだろうとクロウは予想していた。


だが、それがどんな形になるのか。彼の胸の中には、不安と興味がないまぜになった複雑な感情が渦巻いていた。


「そうか、それなら言ってみろ、津秋ユイ。君は――どんな願望を描くんだ?」


ダレントンは口元を吊り上げ、いつもの不敵な笑みを浮かべた。興味深げにユイの顔を覗き込むその目は、まるで良質な獲物を目の前にした狩人のようだ。


「はい、私は……」


ユイは一度深く息を吸い込み、小さな拳を胸元でぎゅっと握り締める。そして、決意に満ちた瞳でふたりをまっすぐに見つめ、元気よく言い放った。




「女王様達を、生み出します!」




一瞬、時間が止まった。


「……。」


「……。」


クロウも、ダレントンも、その場で固まった。

今、彼女が何と言ったのか、耳では確かに聞いたはずなのに、脳がその意味を処理しきれずにいたのだ。


「ん?」


数秒遅れて、最初に声を発したのはダレントンだった。眉をぴくりと動かし、苦笑のような表情を浮かべると、肩を竦めて軽く息を吐く。


「まあ……あれだ、がんばれよ。」


ダレントンはそう言うと、教室の片隅にある、誰も使用していない作業スペースを指差した。無造作に指さされたその先には、ドローンがひっきりなしに素材を運び入れる自動管理エリアがあり、他の生徒たちも視線を寄せようとはしない空間だった。


「あそこにいれば、思った通りの素材や魔導書が順に運ばれてくる。好きに使え。」


「はい!ありがとうございます!」


ユイは満面の笑みを浮かべると、一目散に駆け出していく。その足取りはあまりにも軽く、まるで嬉しさのあまり興奮状態に陥った子犬のようだった。目を輝かせながら、自分の『夢』の実現のための作業場へと駆けて行く後ろ姿を、クロウは複雑な想いで見送った。


「……いいんですか、あれで」


クロウは呆れ半分、不安半分の声でダレントンに尋ねる。ちらりと教授を横目で見やると、ダレントンは煙草を新しく取り出し、指先で器用に火をつけていた。


「若いから大丈夫だろ。」


いつもの気怠げな口調でそう答えると、紫煙を吐き出しながら肩を竦めた。


「さて、今度は君の番だ、小桜クロウ。」


ダレントンの目が再び鋭くなる。さきほどまでの軽口混じりの態度とは違い、明らかに彼はクロウの言葉を期待していた。その視線は、何かを探り出そうとする狩人の目だ。


「私は……」


クロウは少しだけ視線を落とし、考え込んだ。

願い。

そんなもの、この数年、まともに考えたことなどなかった。自分には叶えたい願いなど、もうないのだと、ずっとそう思っていた。


「クロウ、君の才能ならば、どんな願いも叶うだろう。さあ、願いは何だ?」


「私は……そうだな……」


ダレントンは珍しく前のめりに身を乗り出していた。

その瞬間、クロウはふと教室の一角、素材をかき集めるユイの姿に目を向ける。彼女は嬉しそうに、まるで子どものように夢中で魔導書をめくり、素材に手を伸ばしていた。


「私は――」



「私は、あの子の、したいことを応援したい。」


そう言ってクロウは、教室の隅で暴走寸前のように走り回るユイを指差した。ユイは振り返りもせず、素材の山に顔を突っ込んでいる。


「む……それは」


ダレントンは意外そうに言葉を詰まらせる。


「予想外って顔ですね、ダレントン教授。」


クロウは少し口元を歪め、不敵に笑った。この授業に入ってからというもの、ダレントンには振り回されっぱなしだった。せめて、この瞬間くらいは逆に翻弄してやろうと、そんな気分だった。


「それでいいのか、お前なら――」


「願いを言えというから言ったまでです。それに、この授業……まるで生徒に失敗でもさせたいみたいな内容だ。気付いてますよ、教授。」


「ん……? 何のことかな」


ダレントンの表情が微かに顰められる。クロウは懐からクラスカードを取り出し、ひらひらと指で振って見せた。


「一定以上の付与魔術行使を続けると、一旦機能停止するようになってる。その一定っていうのは、術者の脳と肉体の魔力領域の限界だ。」


「クロウ、まさか……」


「そう。この限界に達した瞬間、術者は気絶し、このクラスカードがそれを感知して術者を自分の部屋に転送する」


ダレントンの顔色が変わった。


「まさか、カードを解析したのか」


クロウは軽く笑って、カードを再び懐へとしまい込む。


「もちろん。他人からの貰い物は信用しない性質なもので。ちなみに、あの寮の付与魔術を施したのはダレントン教授なのですね。私達の部屋の窓の術式解けてましたよ」


「な……強力なプロテクトがかけられてたはずだぞ、それ。てか、窓はすまなかった」


冷や汗を浮かべるダレントンを見て、クロウは少しだけ胸のつかえが降りたような気がした。


「それに今、気付いた。脳内の領域にもプロテクトがかけられてる。」


「それもか……」


ダレントンは呆れと驚愕が入り混じった表情を浮かべる。未だかつて、ここまで解析してしまった生徒は存在しなかったのだ。


「普通に考えて、あの稀代の付与魔術士アーク・ミラーの公式を一瞬で刻めるはずがない。ねぇ、教授?」


「そうだ……だが、時間と共に脳内領域と肉体領域が馴染み始めれば、全員もれなく最高の付与魔術士になれる。」


クロウはため息をついた。


「生徒は、実験動物じゃないんですよ。」


「まあ、そう言うな。元々は少数精鋭の予定だったんだがな。ふたを開けたらこの有様でな。」


ダレントンは肩を竦め、辺りを見渡す。そこには150人以上の生徒たちが、未だ興奮状態のまま己の願いに向かって作業を続ける、狂気じみた光景が広がっていた。

火花のように魔術式が散り、異形の物品が次々と形を成し、教室はもはや奇妙な祝祭のような様相を呈している。


「先ほどの五大元素魔法のクラスが、可愛く思えてきますね。」


五大元素魔法クラスの授業は、一見困難な課題を急に押しつけられた様に見えたが、術者の実力と五大元素魔法の入り口としては最適な内容でもあった。


「はは、レイムスの奴は優しいからな。俺と違って生徒に向き合う情熱が違う。」


そう言って、ダレントンは煙草をくゆらせた。その姿はどこか哀愁に満ちていた。


「貴方も相当なものですよ。方向性は違いますがね。」


クロウはそう呟くと、振り返らずにユイの作業場へと向かっていった。




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