眠れる森で会いましょう~眠れぬあなたに、安らぎの夜を。もふもふ神獣とちびかわな妖精をそえて~

蒼真まこ

第1話 添い寝をお断りしたら婚約破棄

「ヒーナ・オブライエン! おまえとの婚約を破棄する。添い寝聖女の役目を果たせない無能な女を妻にするつもりはない!」


 私の婚約者であるジェイド王子は王宮の舞踏会で、突如婚約破棄を宣言した。

 ジェイド王子の傍らには、美しい女性がぴったりと寄り添っている。胸元が大きく開いたドレスに、きゅっと絞められた細い腰。プロポーション抜群な体型であることが彼女の自慢なのだろう。アンバーの瞳が怪しく煌めき、女性らしい色香を放っている。王族が集う舞踏会にちょっとふさわしくない装いだけれど、同性の私から見ても妖艶でとても美しい女性だ。


 それはともかくとして。

 この唐突な婚約破棄の光景、どこかで見たことあるような……。すごくお馴染みの場面だった気がする。何度も見たのに、なぜかワクワクしてしまう物語の始まり。

 どこだったかな? うーん、本? 読みやすくて面白い小説だった気がする。綺麗で可愛い挿し絵もあった。絵だけじゃないな、たしかそう、マンガっていう読み物も⋯⋯


 その瞬間、私こと、ヒーナ・オブライエンは前世を思い出した。

 私はこの場面、突然の婚約破棄宣言を知っている。だって何度も読んだもの。婚約破棄から始まる物語は物語がわかりやすくて面白く、たまの休日にベッドで横たわったまま読むのに適していたから。というより、それぐらいしか楽しみがなかった。眠りたいのに眠れない私には、お決まりのシーンで始まる物語がちょうど良かったのだ。


 前世の私は日本の会社員として毎日頑張って働いていた。

 ところが職場のストレスと蓄積した疲労からなのか、私は不眠症となってしまった。激務で疲弊した体と心を休めたくてベッドで横になるのに、ほとんど寝ることができず朝を迎える日々。それでもどうにか仕事に行くけれど、慢性的な倦怠感のせいで仕事のミスが増えていく。どうにか一日を終えると、また眠れない夜がやってくる。 体を引きずるようにして出勤しようとした朝、電車待ちしている間に猛烈な眠気に襲われ、私は駅のホームから転落してしまった。急ブレーキがかかった電車の音が今も耳の奥に残っている気がする。


 そうして私は死んだのだと思う。死んだ瞬間のことをよく覚えてないから、「たぶん」だけれど。


「無能なヒーナの代わりに、アイラ嬢が添い寝聖女の役目を担ってくれることになった。アイラ嬢は眠れない僕を抱きしめてくれる心優しき乙女。添い寝聖女とはまさに彼女のような人のことを言うのだ」


 前世のことを思い出している私の目の前で、ジェイド王子が必死に弁明している。婚約破棄はアイラ嬢を気に入ってしまったからなのに、どうにかして私の責任にしたいようだ。

 どうやら私は婚約破棄されるだけでなく、添い寝聖女としての役目も取り上げられるらしい。


 添い寝聖女──。

 とある事情で安眠できない王族を、魔力によって眠らせる聖女のことだ。

 転生したこの世界、カーラリア王国の人々は、王族も一般の庶民も眠ることができなくなってしまった。

 なぜ安眠できなくなったのか。それは魔王が残した呪いのせいだ。人々の存在を脅かす魔王は勇者によって倒されたのに、魔王の呪いだけが残ってしまったのだ。

 安眠できなくなった王族は、眠らせる力をもつ者を血眼になった探した。それが添い寝聖女と呼ばれる、魔力をもった特別な女性たち。

 添い寝聖女と呼ばれる女性は魔王の呪いから身を守る結界を張ったり、安眠できる特製ポーションを作ったりできる力をもっている。そして『添い寝聖女』はごくわずかしか存在しないと言われている。

 その数少ない添い寝聖女の一人がこの私、ヒーナ・オブライエンというわけだ。

 孤児だった私がお世話になっていた教会で、病で苦しむ友達をどうにか眠らせてあげたくて、魔力に目覚めたことがすべての始まりだった。


「添い寝聖女ヒーナ・オブライエン。僕を眠らせろ。そして夜通し僕のそばにいるんだ」


 ジェイド王子は眠ることを求めるだけでなく、文字通りの添い寝まで求めた。ジェイド王子が愛らしい少年だった頃は同じ部屋で王子の眠りを見守っていればよかったけれど、ジェイド王子が年頃になると事情が変わってきてしまった。


「添い寝聖女ヒーナ・オブライエン。おまえは僕の婚約者となることが決まった。いずれ僕の妻となるのだから……わかるだろう? 僕のベッドに来い。そして慰めろ」

 

 ジェイド王子に言われたことを思い出すだけでも、気持ち悪くて叫びそうになる。

 年頃の男性らしい欲望をもったジェイド王子は添い寝聖女である私に、「夜の寝所での御相手」まで求めだしたのだから。

 眠れない苦しみは前世で嫌というほど知っているから、添い寝聖女としての役目をなんとか頑張りたかったけれど、夜の御相手まで含まれるなんて冗談じゃない。

 心から愛している人となら、そういうことも自然の流れだと思うけれど、残念ながら私はジェイド王子のことを愛してない。これっぽっちもだ。むしろジェイド王子が気持ち悪くて、愛想笑いが仮面のように顔に貼りついてしまったほどだ。

 だから何かと理由をつけてジェイド王子の寝所から退散していたら、ついに婚約破棄を言い渡されたというわけだ。


「添い寝聖女としての役目を果たせない無能なヒーナは罪人とかわらん。よって魔の森への追放を命じる!」

 

 ジェイド王子の命令に、舞踏会に集まっていた人々が一斉にざわつき始める。王子が発した追放命令がどれだけ残酷か、上流階級の人は知っているからだ。

 『魔の森』──。

 その名の通り、魔物がはびこる森といわれている。うっかり人が迷い込むと、魔物に襲われてその身を弄ばれ、最後は魔物に喰われて命を落としてしまうそうだ。だから人間は誰も魔の森へ近づかない。

 魔の森への追放は、事実上の処刑と思っていいだろう。

 ジェイド王子は傲慢で身勝手な王子様とわかっていたけれど、ここまで酷い男だったとは。愛想が尽きたのは、むしろこっちのほうだ。

 処刑と変わらない追放であろうと、身勝手極まりない王族から離れられるなら、むしろありがたいというものだ。

 

「ジェイド王子との婚約破棄、および魔の森への追放処分。喜んでお受けします」


 あえてにっこり微笑んでやった。

 私が笑顔で命令を受け入れると思わなかったのか、ジェイド王子の顔がひきつっている。私が泣いてジェイド王子にすがってくるとでも思っていたのかな。そんなことしたら、姑息なジェイド王子を喜ばせるだけだから、絶対にやってやらないけれど。


「魔の森へ向かうための準備がございますので、私はこれで失礼いたします。ジェイド王子様、どうぞお幸せに。そして皆様。ごきげんよう」


 ドレスのスカートをつまみ、膝を曲げて優雅にお辞儀してやった。

 呆気にとられるジェイド王子とアイラ嬢に背を向けると、私は意気揚々と舞踏会の会場から出ていった。

 ドレスをつまみながら静かに歩いていたけれど、足が自然とスキップを始めてしまう。だって嬉しいんだもの。


「魔の森へ行ったら、思う存分寝てやる! あー楽しみ♪」


 ジェイド王子を眠らせるため、私はまとまった睡眠を取れたことがない。前世であれほど眠りたかったのに、今世でも任務のために寝れないなんてあんまりじゃない。

 けれど王子を眠らせるためだけに生きていた私の役目は今終わった。

 これからは添い寝聖女としての力を自分自身に使って、好きなだけ惰眠を貪るのだ! 魔の森なら、人間もいないし力を使うことを遠慮しなくていいもの。

 魔の森で魔物に襲われる恐怖よりも、好きなだけ寝れる喜びが勝ってしまう人生もどうかと思うけれど、これから始まる自由な生活に自然と浮き足立ってしまうのだった。


 

 

 







 

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