第一章:犯行現場
二
三上は早速、資料庫が併設されている補助係の内部を確認しながら、一連の事件の資料を集め始める。
何せこの「連続乳児行方不明事件」は、事件そのものが起こって二十年以上が経過している。直近の事件はまだしも、発端となった峯岸亮平の事件に関しては、三上もまだ入職していない時に発生した事件だ。
概要こそ押さえてはいるが、具体的にどのような経緯で捜査が暗礁に乗り上げたのかすらも分からない。
しかしながら、事件概要については高峰が事前に集めていたらしい。補助係にある大きなディスプレイやホワイトボードには、当時の事件資料が所狭しと並んでいる。
テーブルに並べられた資料の山は、それだけ多くの人間がこの事件に挑み、敗れ去ってきたことをそのまま示していた。
これだけ多くの人員が投入されても解決に至らなかった事件。
そんな状況で届けられたあの奇妙な手紙である。
それが、「イタズラかも知れない」という可能性は捨てきれない。だが見つかったからには、確かに見逃す事の出来ない事実だろう。
三上は補助係の部屋そのものの把握と、事件資料の確認に乗り出す。とはいえ、大量の情報を精査するのは慣れている。
その結果、時間にしてものの十数分程度で状況を解するに至った。
異動をしたとしても、短時間での時間の精査や状況把握はお手のもの。自覚する強みを遺憾なく発揮し、三上は高峰へ「例の手紙」について質問をする。
「それで、どういう経緯であの手紙が、波葉家に届けられたんです?」
「事の発端は二日前の明朝でした。具体的な時間は不明ですが、少なくとも朝八時前には、この手紙が波葉家のポストに投函されていたそうです。当然ですが、封筒に名前も消印もありません。現在は周辺のカメラや、ドライブレコーダーの痕跡も呼びかけてはいます」
「監視カメラはともかくドライブレコーダーからの発見は難しいかも知れません。証拠として用いられることは多くなりましたが、あくまでも補助的な考え方しかできませんから」
「その通りです。それにこの捜査に関しては、あくまで他の捜査の一環として行われる程度でしょうから、聞き取りなどは適宜こちらで行うこととなります。ですが、こちらの手紙については既にある程度の分析がなされています」
三上は高峰よりの報告を持って、少しずつ警視庁における「補助係」の役割やイメージを理解していく。
この部署は本当に捜査一課が行うまでもない、曖昧な情報を精査するための一時的な捜査権の付与するということだろう。
実際に捜査一課に所属する刑事たちも、組織ではあるものの、基本的には自身の所属している班に帰属している。
そのため、自身が所属する班以外のメンバーは、仲間というよりむしろ、ライバルに近い。いわば擬似的な競争を与えることで、お互いの能力を最大化する仕組みになっている。
この補助係には、それが全く当てはまらない。
故に、権力争いや出世への意識などはここではない。
だからこそ、柔軟な対応ができるし、その分で個々人の動きが極めて重要になるわけだ。
本来、このような事案の場合、捜査一課では特定の班に捜査が割り振られ、功績を餌にした捜査レースが始まっていく。
だからみんな、自らのあらゆる時間を削っても早期解決を目指すのだ。
対して補助係にはそのアップテンポな捜査感覚はなく、情報を篩いにかけていくようなイメージが近い。
高峰がゆっくり定時に出勤しているのもそれが理由であろう。
ゆっくりと、現在手元にある曖昧な情報をブラッシュアップしていく。
そこに捜査が必要であれば、捜査権が付与されるというわけだ。
思った通りの緩い雰囲気に対して、組織的な役割分担としては合理的がすぎるやり方。
三上は想像の斜め上を行く組織性に驚かされていた。
他の畑を見れば印象が変わることは当然なのだが、この部署は名実ともに「補助」に特化した部署らしい。
三上がそんな逡巡を浮かべていると、ホワイトボードの前にいる高峰は、微かな沈黙でこちらを一瞥している。
それに気がついた時点で三上が我に返ると、高峰はタイミングを見計らうように続きを述べる。
「まず手紙です。使用されている封筒と便箋は、ともにチェーン店の百円ショップで売りに出されている、シリーズものの商品でした。ですが、封筒も便箋もともに別のシリーズであるそうです。どちらも指紋等の痕跡は残っておらず、使用されているインクも一般流通しているものでした。これらから投函者を割り出すことは不可能でしょうが、三上警部補はどうでしょう?」
三上は突如自らに話を振られるが、一切の動揺もなく自身の考えを述べ始める。
その様子を見ていた高峰は穏やかに小さな首肯を浮かべて耳を傾けた。
「確かにこの情報だけであれば犯人の特定は難しいでしょう。便箋ですから、印字されている商品ごとの識別番号から探すことも出来ないでしょうし、分かることはせいぜい購入場所程度かと。ましてや場所が分かったところで、購入者を特定することも難しい。便箋に書かれたインクの乾き具合にしても、完全に乾いてしまっていますし、現状時間の特定は意味がないでしょう。それであれば、書かれた文字の筆跡ですが……」
三上はコピーに印字された手紙を見て、「これでは、難しいでしょうね」と高峰へ放る。
なぜならそこに書かれている文字は、一般的な筆跡が顕れることのない、定規による直線で書かれた文章だったからだ。
投函者にとって幸いだったのが、手紙に書く文章が「みねぎしりょうへい君をしっていますか?」だけであったことだろう。
長い時間かけて筆跡をなくしたまま書くことが出来たと考えられる。
「私も同じ考えです。ですが、これらの情報から、この手紙を書いた人間を擬似的にプロファイリングすることはできるかも知れません」
「確かに、手紙の主は筆跡を気にして、わざわざ定規で文字を引いたうえで手紙を出した。気になるなら、印刷された文字を送ればいいのに」
「それでも、これを投函した者はここまでの手間をかけて手紙を作った。そこには何かしらの意図があるはずです。例えば仮に、これが印字された文字で投函されていれば、我々の印象は違ったかも知れない。少なくともこの手紙を受け取ったときよりも、”イタズラではないか?”と考えたでしょうね。過去の事件を話題にするためただの悪質なイタズラ。そうでしょう?」
高峰の言葉に三上は図星を突かれる。
確かに、この手紙がイタズラとして流されることなく、警視庁の補助係が目をつけるほどに至ったのは、「何者かによって直筆されたものだから」という側面が大きいだろう。
この手の捜査に携わるものであれば、各々が経験や考え方に基づく感覚を持つ。
いわば「刑事の勘」がまさにこれであり、それまでの経験知から導き出す本能的な論理判断がある。
事件が起こった時に、この手のイタズラをするものはいないわけではない。
しかしそれは、そこまで大きな手間がかからないという条件が満たされている事が前提。
いくら短い時間であり、かつ筆跡から自身の痕跡が割れる可能性を考慮したリスクの高いイタズラをする理由がないのだ。
ましてや今回のケースでは、明らかに「警察は筆跡を見る」という考え方をしている。
だからこそあえて定規の直線で文章を書き込んだ。
その考え方をする人間が、手紙から推察される他の痕跡を考慮していない可能性は薄い。
それどころか、警察が本気で捜査をすれば、投函した者を探し出せることも理解しているかも知れない。
それだけの知的レベルの人間が、訳知り顔でこんな手紙を投函している。
この事実こそが、いま自分たちをこの手紙へ集中させる最大の理由なのだ。
「犯人は一定の知的レベルのある知能犯、でしょうか?」
「確かに、そうかも知れません」
三上は高峰に、恐ろしい速度でこちらの思考回路を垣間見られたような気がした。
思わず襟元を正すように、高峰へ視線を向ける。
他の刑事とは明らかに違う異質な雰囲気。しかしながら、それを包むような穏やかな調子。
刑事という組織に身を置く三上にとって、このような雰囲気の男は遭遇したこともない。
三上は直感的に、この男に対して恐怖心が滲んでいた。
今は捜査に対する自らの思考が読まれた程度であるが、これが自身の感情の更に底を覗かれればどうだろう。
足先が何かに蝕まれるような不快感。背中を生ぬるい感覚が這っていくような悪寒。
複数の不快な出来事が混在する感覚を突きつけられるも、三上は現実に感情を向き直して、高峰の言葉を待つ。
そんな三上の感情の機微を見送るように、高峰はそこから推察できることを話し始める。
「三上警部補のような経験深い刑事がそう判断する。私も感覚的に分かる気がします。その感覚を、恐らくこの手紙を書いた人間は持っていたのでしょう。それに加えて、この便箋には表面の汚れなどは見られませんでした。一方、封筒を見れば分かるように、部分的にくしゃくしゃになっているところがあります。これは、やむを得ず、時間がないから持ち合わせのものを使ったと解釈できます。同じ百円ショップの商品にも関わらず、統一されていない理由にもなりますしね」
「つまり、自宅には何枚かの便箋があったが、封筒は汚れた一枚しかなかった。しかし買いに行く時間もないほど切迫した状態でこれを書いた、そう言いたいのですか?」
高峰はそれに相槌を打ちながら、とある資料を三上へ手渡した。
それは、投函されていた便箋の表面に付着していた物質の成分表である。
「その通りです。もっと言えば、便箋に付着していた成分は布の繊維と、紙の表面に含まれるものばかりです。もし仮に、この便箋がプラスチック製のフィルムに接していた場合はこうはなりません。手紙を書いた人間は、布製の手袋をはめたうえで、この手紙に文字を書き込んだ。それに便箋は、最もキレイで痕跡の残らないもの、つまり三枚以上並んだ便箋の真ん中を選んだ可能性が高い」
「普通の人間なら、便箋の表面の成分まで考えない。大抵は一番手前の便箋、つまりフィルムと接しているものを使うでしょう。もし便箋の表面の痕跡まで考慮し、あえて真ん中の便箋を使ったとすれば、この犯人、相当なキレ者かもしれません」
「あくまでもこれは可能性の話ですが、イタズラとして捨て置くには、随分と頭を回しているのは、気がかりですね」
高峰の推察に、三上は感服させられた。
手紙が発見されてわずか二日。この時点で見つかった情報から、これほどまでの推測を行っている。
確かに手紙の投函者は稀に見る知能犯の可能性がある。
だがそれを遥かに上回るほど、高峰の洞察力は図抜けていた。
同時に三上は恐怖する。
僅かな所作、逡巡、行動の刹那。
自らの動きすべてから、高峰はこちらの内側を知ることができるのではないか。
刑事だからこそ、内面を探り、突き止められる恐怖を知っている。
頼れる長かつ穏やかな人柄を踏まえると、この男が非の打ち所のない人間であることは間違いない。
にも関わらず、三上は直感的に畏敬を抱き、遠ざけたかった。
不安なのだ。自身が持っている内側を覗かれることが、それを自覚してしまうことが、たまらなく不安。
三上は無意識に高峰から距離を取ろうとするも、その行動こそが自身の感情を吐露しているようなものである。
恐ろしさを鎮めるように、三上は高峰へ次のアクションについて質問を投げる。
「では、どのように捜査しましょう?」
「こういう事情ですからね。まずは改めて、波葉家へお話を聞きにいきましょう。初回相談の時に事情は聞いているでしょうが、改めて気になったことを聴き込んでいきましょうか」
次の方針が固められた高峰は、流麗な所作でばさりとコートを着込む。
その間も、高峰の手から革手袋が脱がれることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます