「百合」と「ユーリ」 私は殺し屋、あの子は警官

間川 レイ

第1話

1.

Piririri,Piririri


アラームが鳴っている。その音で目を覚ました私は、ゆっくりと伸びを一つ。


ふとお腹のあたりに暖かい感触を感じたので見れば、そこには寝ぼけながらこちらに抱き着いているユーリの裸体。


あれ、昨日は何時までヤッてたんだっけ。そんなことをぼんやりと考えながら、ユーリを起こさぬよう絡みついている腕をそっと外す。


「うう、もっと寝てようよぅ……」


と寝ぼけまなこで追いすがってくるユーリの頭をそっと一撫でするとベットから立つ。ベッドのわきに放り捨ててあった下着を身に着け、窓際まで歩いていくと勢いよくカーテンを開ける。


外はまだ薄暗い。そこに広がるのは見慣れた光景。雑多な築何十年かのボロボロの建物がひしめき合って立っている雑居区の街並み。貧困層や労働者階級が居住する、私たちの住む街だ。


毎度ながらのいい加減な補修のせいか、一部では大規模な停電が起こっているようで、街並みは普段に比べても暗い。延々と広がる雑多な街並みの向こうに目をやれば、雑居区のこれ以上の拡大を阻もうとするかのようにそびえたつ巨大な壁。ただ『壁』と呼ばれる黒々とした巨大な壁がそこにはあった。


ここからでは見えないが、その周りには無数の監視カメラやドローンが、無断で壁を越えようとする者たちを厳しく見張っているはずだ。


さらにその壁の向こうからは燦然と輝くネオンの光。ここからでも傷一つ見当たらないピカピカのマンションやビルディングなどの光が見える。


あれは新東京都の放つ光だ。高級官僚と、富裕層のみが居住することを許された栄光の街。私にとって、不幸を呼ぶ忌々しい街だ。


さらに天を仰げば私たちの頭上にあるのはどんよりとした黒い雲。そこからはいつものようにパラパラと強い毒性をおびた雨が降っている。今日も今日とて防護外套とガスマスクは欠かせない。私ははあ、とため息を一つ。


それにしても、と私は雲一つない新東京都の上空を見る。連中のばらまく対大気汚染用ナノマシンとやらは今日も絶好調らしい。


たまには故障のひとつでもすればいいものを。そうすれば連中も自分たちのよくほざく「自己責任」という言葉の重さを思い知るだろうに。


まあ、そんなことをいつまでも考えていても仕方がない。ユーリが起きてくる前に朝食の準備をすることにする。


といってもやることは簡単だ。ダイニングのテーブルの上に配給食糧A型の箱を私とユーリの分だけ置き、ふちの欠けたグラスに水道水を入れて並べれば、はい、完成。


並べ終わったころにぼさぼさのボブカットをなだめるに苦労しながらユーリがやってくる。目があうと、にへらと笑うユーリ。だが私の格好を見ると顔をしかめ、


「ああ、百合ちゃん!またそんなだらしのない格好をして!」


そう言うと私のつなぎをひっつかむと駆け寄ってこようとして―こけた。私はユーリに肩を貸して椅子に座らしてやり―異臭に気づく。それとともにバチバチという何かの爆ぜる音も。


そして、その源を見れば―ユーリの義足。ユーリの義足の関節部が、ぶすぶすと煙を上げていた。


「ユーリ、お前……」


思わず言葉に詰まる私。にへら、と笑うと「ありゃ、ばれちゃった?」などとのたまうユーリ。それとともに何かを後ろ手に隠そうとしていることを私は見逃さない。


とっさにその手を掴んで握っていたものを取り上げると、彼女が隠そうとしていたのは携帯式端末。


各人のIDがそこには登録され、身分証明書から財布代わりにもなり、その他簡単なプログラムを組んだり走らせたりできる、国民一人一人皆が持っている携帯式端末だ。


そして、私はユーリがどこでも「仕事」ができるよう様々な魔改造を施した結果、旧時代のスパコン並みのオーバースペックを持っていることを知っている。


というよりも、それを今持っているってことは。


「お前、人工神経系とバランサーがいかれたからって、自分でプログラムを組んで歩いていたな⁈馬鹿なことを!」


思わず叫ぶ私。理論的にそれができることはわかる。だが現にそれを実行するためには類稀なるプログラミングのセンスとスピードが要求されるはずだ。何せ、ゼロコンマ1秒レベルで自分自身の重心と義足の設置圧を測定し、最適な角度で足を踏み出すようにしなければ、ベッドから起き上がりここまで歩いてくることすらできないはずだった。


それに何より、人工神経系がいかれているということはセイフティもいかれているということなのだ。無茶な動きをして残っている太ももまでねじ切れたりしたらどうするつもりなのか。おとなしく予備の義足に付け替えればいいものを。


「だって、予備の義足動きずらいんだもーん。」


だがユーリは平然としている。確かにユーリは超一流のプログラマーにしてハッカーだ。それこそ、旧時代であればウィザード級と称されるほどに。加えて、雑居地に住みながら新東京都警に採用され、反『壁』テロリストのテロで両足を失っても、自宅勤務が許される程度には。


そんな彼女からすればこんなことは朝飯前なのかもしれない。だがもし万が一があったらどうするのか。そう叱ろうとして。


そっぽを向いているユーリを見つけた。私、あなたの話を聞く気ありませんから!というユーリのポーズだ。


23歳にもなってと思わなくもないが、こうした時折見せる子供っぽさが嫌いになれない。それにこうした子供っぽさが、6歳年下というともすれば恋愛の妨げにもなりかねない要素を中和してくれているのかもしれない。


つまるところ、私はユーリのその子供っぽさに救われているのだ。私は降参することにした。


「わかったわかった」


そう苦笑する私。『にぱぁ!』と音の出そうな笑顔で振り向くユーリ。可愛いな、と思うあたり私も随分毒されているのだろう。


「だが、それでは私がいない間不便だろう。……待ってろ、予備をとってきてやる。」


そういうと渋々うなづくユーリ。私は寝室兼ユーリの部屋に戻ると予備の義足を探す。


ユーリの部屋は何に使うのかよくわからない機械部品やらで割とごちゃついていて、予備の義足を探すのに割と手間取ってしまった。


ダイニングに戻ると、ユーリは携帯型端末からラジオを聞いていた。聞くに、国営第一放送のようだった。私は内心舌打ちする。ラジオの音がダイニングに響く。


『そう、結局のところ我々に必要なのは選択と集中なのです!旧時代での混沌を思い出してください。個人の権利とやらをあまりに広く認めた結果があの混沌です。数多くの努力して富を勝ち取ったものが、不当な搾取に対する抗議という名目で貧民層に暗殺されました。


そして、壁が作られるまで不幸な事件は続きました。壁は一部偏狭なものたちが主張するように断絶と搾取の象徴などではありません!むしろ壁は、努力するものを救う正義の壁なのです!……』


何が正義の壁だ。私は内心嘲笑する。あんなものがあるから私は。唐突によみがえるあの忌まわしき研究所での日々。「お母さん、お母さん」との叫び声。きゅいーんとドリルの音とともに先ほどまでさんざん響いていた悲鳴がぶつりと止まる。


必死に身をよじって逃れようとする私の体が固定され、光るメスがゆっくりと迫ってきて……。


ふと、ぽたぽたと液体が足の甲にかかる感覚に私は我に返った。いつの間にかラジオは止まっている。


「百合……ちゃん?」


おびえたようなユーリの声。その目線を追うと、私の手の中で半ば握りつぶされている予備の義足があった。そこから潤滑液がぽたぽたと漏れている。


液体の感覚はこれか。未だにぼんやりとする頭でそんなことを思う。せっかくの義足がお釈迦じゃないか。義足だって安くないのに、どうしよう。そんなことをぼんやりと考える。


「ごめん、ユーリ」


私はユーリに謝る。だが泣きそうな顔をしたユーリは首を振る。


「ううん、私が悪いの!百合ちゃんが、あのラジオ嫌いだとは知ってたけど、どうしても聞きたくて!戻ってきたらすぐに切ればいいかなって!でもそんなに嫌いだとは知らなくて!……ごめんなさい!」


必死に謝るユーリ。どうやらラジオを嫌うあまり義足を握りつぶしたと思われたらしい。義足を握りつぶすようなあり得ない握力に関しては、それぐらい怒っていると勘違いしたのか、それとも気づかぬふりをしたのか。


わからない。一緒に住んで2年ぐらいになるけれど、こういう時のユーリが何を考えているのかいまいちわからない。


でもまあ、どうでもいいことだ。私とやっていけないとなったらふらっと出ていくだろう。ふらっとやってきて一緒に住むことを提案してきた日のように。とりあえず治せそうな場所は直して義足を取り付けると私は言った。


「もういいよ、ユーリ。悪いのは私だから。ご飯を食べよう?」


「うん……。」


すっかりしょげてしまったユーリ。箱から取り出し味のしないブロック食をもそもそとかじる。会話はない。正直、何で私が壁にこんなにも敵意を向けるのか、ユーリが疑問に思っていることは知っている。


今だってそれを聴こうとしては、やっぱりやめるということを繰り返しているのだから。昔、記録映像で見たハムスターみたいでちょっとかわいい。ふふっと思わず笑う。


ぱあっという笑顔でこちらを見るユーリ。でもすぐさま先ほどのことを思い出したのかシュンとなってしまう。


まあ、それでいい。それに何を語れというのだ。彼女にはかつて私が国防軍にいたことは言ってある。だがそこで何があったのかは何も言ってない。


まさか、自分が軍内部の秘密実験で、脳と神経系以外はすべて義体に置き換えられたことでも話せというのか。


ばかばかしい、と自嘲する。知ったところでどうしようもないことというのは存在するのだ。それに彼女はどこまでも光の当たる世界の住人だ。知らない方がいいことというのは確かに存在する。


私はその引き際を間違えて死ぬ羽目になったものたちを、裏家業の傍ら多く見てきた。彼女はこっちの世界に来るべきではない。


そこまで考え、私は苦笑する。今日のわたしはどうしたというのだ。やけにいらないことまで考えてしまう。いつの間にかブロックは全て食べきってしまっていた。パサつく喉をカルキ臭しかしない水道水で潤す。


そして防護外套を壁のハンガーからとると、「じゃあ行ってくるから」と言い残し、密閉扉を開けようとして。


「待って!」


慌てて駆け寄ってくるユーリ。その手にはガスマスク。いくら自分が義体の体で外に出ようと問題ないとはいえ、一般市民に偽装するため常に欠かさずつけていたガスマスク。それを忘れるとはやっぱり今日のわたしは本調子じゃないらしい。そう思い苦笑する。


その様子はユーリにも伝わっていたようで、ユーリは心配そうな顔をして言う。


「ねえ、百合ちゃん。今日の百合ちゃん、ちょっと変だよ。今日ぐらいは休んでもいいんじゃない……?」


だがそれはできないと私は首を振る。それに最近、フィクサーである先生のところにも顔を出していない。先生の指示通りとはいえ、さぞや頼みたい依頼がたまっていることだろう。


もし、先生の本命の依頼を逃したら、死んでも死にきれない。だから今日だけは少なくとも出勤する必要があった。


だがそんなことは当然言えない。だから私は返事の代わりに無言でキスをした。最初はじたばたと暴れていたユーリだったが、すぐに自分から舌をからませてくる。しばらく絡み合う私たち。


離れるころにはユーリの瞳はトロンと潤んでいた。このままベッドにいってもいいのではないかと囁く内心に蓋をしつつ、ユーリが再起動する前にするりと部屋を抜け出す。


ようやく再起動したユーリの


「帰り、待ってるから」


という言葉を背中に、私は表向きの務め場、壁向こうの義足工場へ向かい始めた。


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