霊感令嬢の王宮事件簿
さざれ
第1話
大陸に栄華を誇るアールランド王国、その王宮ウィア・サイキ。眠らない宮殿とも呼ばれるその場所は、夜が深まりつつある今も絢爛たる照明に身を飾り、夜の闇を寄せ付けまいと壮麗な姿を誇示していた。
数多の尖塔が立ち、数え切れないほどの建物が複雑に連結する、緻密な細工物めいたウィア・サイキ。王宮を囲む壁の内側はまるでそれ自体が一つの国のように、アールランド南部の丘陵地帯に鎮座していた。
王宮では常に何らかの催し事が行われ、退屈する暇があるどころか、そのすべてに出席することは元より不可能だ。体が幾つ必要になるか分からない。
もちろん、催し事はいまも行われている。中心部にある艶麗な金樫宮の大広間で、ひときわ華やかな舞踏会が。
冬の社交シーズンが始まろうとする今、この年に社交界にデビューする良家の子女たちの多くが、この舞踏会を最初のお披露目の場にと選んでいた。会場は色とりどりのドレスを纏った令嬢たちや、華やかな宮廷服を纏った令息たち、紳士淑女たちで埋め尽くされている。
――会場の一角を除いて。
等間隔に設えられた大燭台は豊かに実をつけた七竈の枝を模したもので統一されており、染料が混ぜ込まれた赤い蝋燭を支えている。冬の始まりを照らすのに相応しい趣向だ。
しかし、会場の一角だけ、なぜか光が翳ったような印象があった。
――一人の令嬢の周りだけが。
その娘は、ほとんど黒に近いような深紫色の古風なドレスを纏っていた。襟ぐりを深く開けるのが正装の決まりなのだが、そんなことは知ったことではないとばかりに首元を高く詰め、手袋を嵌めた指先から靴の爪先までを固く鎧うように覆い隠し、ご丁寧に頭には薄い紗を被って顔を隠していた。
時代も場所も間違えたような格好をした娘は、異様な雰囲気を辺りに振りまいていた。舞踏会ではなく葬式の場にこそよほど相応しいだろう格好だ。
娘は、壁の花――花は花でも、陰気な腐生植物のたぐい――になっており、賓客どころか使用人たちですら避けて通り、見ないふりをしていた。
(……ああ、早く帰りたい。眩しい、くらくらする、もう嫌……)
娘は紗の下に隠された目を伏せ、溜め息を噛み殺した。
「……王宮に、ですか? ……私が?」
モードウェンは聞き返し、思わず顔を上げた。渋面の父親と視線が真っ向からぶつかり、これが冗談でも何でもないのだと理解する。手から匙が滑り落ち、長卓に乾いた音が響いた。
田舎領主ゼランド家の晩餐の席。食卓についているのは当主のアロード・ゼランド男爵と、彼の末娘モードウェンだけだ。家族の数が少ないうえ、結婚して独立した長男は実家にほとんど戻ってこない。
つまり、王宮に行けという父の言葉は、モードウェンに対して発されたものに間違いない。社交など大嫌い、一生ずっと領地に引きこもって静かに暮らしていたい、いっそ修道女になってもいい――修道会の方からお断りされるだろうが――とさえ思うモードウェンに、王宮に行けと。
「……正気ですか、お父様?」
娘のあんまりな言葉に、父の渋面が一層ひどくなった。
「むろん正気だとも。むしろお前に問いたいのだが、仮にも成年を迎えた貴族の娘が、国王陛下にお目通りもなしで済ませられるなどと……正気で考えておるのか?」
「あ……」
モードウェンは紫色の目を見開いた。
十七歳になり成人した貴族は、特別な事情がない限り、一年以内に王宮で陛下に拝謁をしなければならない。
いかな弱小貴族とはいえ、それは貴族の義務だ。従わなければ王家への叛意ありと見做されて、取り潰されても文句は言えない。
モードウェンの誕生日は一月の終わり。今は十月の半ば。――猶予は少ない。
モードウェンは恨めしく思いながら父を見上げた。
「お父様……どうしてもっと早くに教えてくださらなかったのですか」
「何度も教えたとも。お前が先延ばしに先延ばしにとしてきただけだろう」
「…………」
言われてみれば、聞き流したような覚えがある。言い返す言葉もない。
言うべきことは言ったとばかりに、父は何食わぬ顔でポタージュを口に運んでいる。モードウェンの前に置かれた皿はどんどん冷めていっているが、目に入らない。
「……冬は、人死にが増える季節なのに。そんな浮ついたことをしている場合ではないのに……」
「夏にも同じことを言っておったな」
「…………」
いかにも自分が言いそうなことだ。モードウェンは自分の舌を噛みたくなった。
冬は社交の季節だ。夏には各々の領地で狩猟を楽しむ貴族たちが、続々と王宮へと集まってくる。降誕祭や新年祭などの華々しい行事が目白押しの時期で、貴族たちは人脈作りや情報収集のために交流し、協調し、あるいは敵対する。陰謀が企まれ、ときには表立った沙汰にもなる。人や物や金が動き、多くの人々があるいは巻き込まれ、あるいは糸を引く。そんな有象無象、魑魅魍魎どもの群れなす中に飛び込むなど、考えただけで倒れそうだ。
「社交の時期の王宮なんて嫌。行きたくない……」
「そういえば、夏は人が少なくて目立つから嫌だと言っておったな」
「…………」
「いつ行っても同じだ。行ってこい」
「……………………はい」
それしか、答えようがなかった。
普段のモードウェンは、墓守の仕事をはじめ、貴族令嬢として貧しい者にも治療が受けられるよう計らったり、時には自分でも医師や薬師の真似事をしたり、私腹を肥やす聖職者とやり合ったりと、それなりに忙しい。社交は父や兄に丸投げしてきたが、これでも貴族であり、義務として慈善事業に携わる身でもあるのだ。墓守を慈善事業に含めて憚らないのはモードウェンくらいのものだろうが。
自分が留守にする間のことは、引継ぎができることはして、できないことも影響が少なくなるように処理をして、必要なら王宮に使いを寄越すよう算段をつけて、その合間に――嫌々ながら――ドレスを仕立て直したりもした。
「お嬢様。何度でも申し上げますが、新しいドレスを注文なさるべきです」
侍女のナフィが腰に手を当てて、嗜めるような目でモードウェンを見上げた。
モードウェンは痩せぎすで背が高い。小柄で女性的な体つきのナフィとは正反対だ。巻き毛の金髪に碧眼、可愛らしい顔立ち、という点でも彼女はモードウェンとは大いに異なる。
緩く癖のある長い黒髪を無造作にまとめ、祖母のお下がりのドレスの仕立て直し具合を確認していたモードウェンは、思わずぼやいた。
「私より、ナフィがお披露目すればいいのに……」
「できるわけがないでしょう!? 何を馬鹿なことを仰っているんですか! 話を逸らそうとしたって、そうはいきませんよ」
ナフィは首を振り、容赦なく言葉を続けた。
「大昔の、それも弔事用のドレスを仕立て直して宮廷においでになろうなんて、馬鹿ですか。流行遅れどころか、もはや骨董品の域ですよ?」
「では、私も何度でも言うけれど。お金がない。買っても無駄。あるものを大切に使おう精神。どこにも、新しいドレスを買う理由なんてない」
「お金がないって……それはお嬢様が使ってしまわれるからでしょう! ……人々のためになるのだから、咎める筋合いなどないのですが……」
このゼランド領は税率がかなり低く、富の再分配についても当主アロードの目配りが届いているが、それでも細かなところで不足があったり、即応性に欠けることがあったりする。モードウェンは領主の息女として私的に割り当てられた資金のうちの結構な額を、そうした部分を補うために使っているのだ。
それでも、ドレスの一着や二着くらいなら、父に頼むなりすれば調達することはできる。それをしないのは、ひとえに無駄だと思うから。
「……せめて、弔事用はやめませんか?」
そう言うナフィに、モードウェンはわざとらしく目を見開いた。
「なら、結婚式用のドレスにする? ものすごく場違いだし、間違いなく顰蹙を買うけれど」
「極端すぎます! 何で花嫁衣裳を持ってこようとするんですか! お呼ばれ用のものとか、もっと他にあるでしょう!」
「ないわ。全て売ってしまったから」
「……そうでした」
気まずい空気を誤魔化すようにモードウェンは言ってみた。
「着倒して毛羽立った家庭用のドレスとか、土埃の染みついた旅装のドレスとかならあるけれど……」
「もっと駄目です! 変なものを着ていけば、家名にも傷が付くんですよ!? お嬢様ひとりの問題ではありません!」
「……領土は辺鄙で貧しい地域、位は男爵。アールランドの首都よりも隣国の首都の方が近くて、お父様も引退後は親戚を頼ってそちらに越すことをお考えだとか。吹けば飛ぶような男爵領はお兄様が継ぐか、親戚の誰かが持っていくか……誰も欲しがらないかもしれない。お兄様も結婚なさって子爵の位をお持ちだし、上がりがほとんどない領地なんてお荷物なだけだというご時世だし。男爵位だって、何代も前の当主が本家の跡継ぎ争いに敗れて、形ばかりの爵位を与えられて放り出された結果でしかない。そんな弱小にもほどがある貴族の家名に傷が付いても、だからどうなると言うの?」
「……もう! もう!」
ナフィは肩下までの金髪を振り乱して地団太を踏んだ。
「なんて口の減らない! 屁理屈をお捏ねになってばかりで、お館様のご心労が偲ばれますわ! 墓地をほっつき歩かれるのもよろしいですが、一生に一度のお披露目の義務くらいはお果たしなさいませ!」
「…………」
モードウェンの口が達者だというのなら、原因の一端はナフィにあると思う。罵倒しつつ敬語を忘れないなんて器用すぎる。その他の部分を盛大に間違えている気がするが。
短く息をついて、ナフィは不毛な議論を終わらせた。
「ともかく。新しいものを一着は仕立てていただきますわ」
「……社交の時期が目前で、どこの仕立屋も大忙し。領地内の仕立屋も、飾り甲斐のない私のドレスを作るより、金払いがよくて、作ったドレスを着こなしてくれて、今後につながる顧客の方を大切にするはず。私が王宮に行く機会なんて、今回きりなのだし」
理屈で返したモードウェンに、ナフィは射殺すような視線を向けた。
「今回きりなら尚更、必要ですわ。否とは言わせません」
「…………」
「黙ればいいというものでもありません!」
こうしてモードウェンはのらりくらりと躱し続け、王宮に行く日がやってきた。
ゼランド領は北部の辺境にある。南部にあるウィア・サイキまでは馬車なら結構なお金や時間がかかるが、馬なら早いし安上がりだ。荷物がほとんどなく、供回りもないに等しく、体裁も気にしないモードウェンは、馬で一路、南へと向かった。
田舎の貧乏貴族令嬢という立場上、乗馬の技術は体得している。馬車で進むには難儀するような道でも馬なら問題なく通れるし、車体がないだけで身軽さも維持費用も全然違う。御者の人件費とて馬鹿にならないのだ。
南部の丘陵地帯に広がる王宮の敷地は広大で、貴族はその中に住むことができる。
小さな国にも匹敵しそうな規模の王宮の中には、星の数ほどの建物に砂の数ほどの部屋があって、それらを借りることができるのだ。もちろん有料で、王家にとって少なからぬ収入源になっているという。有力な貴族になると格式の高い部屋を専用に借り続けたり、果ては建物を丸ごと借り上げたりもするそうだ。モードウェンの想像をはるかに超える金額が動いていることは確実で、考えると頭が痛くなりそうだった。
もちろん使用人たちも王宮の中に住んではいるし、貴族ではなくてもお金があれば部屋を借りることはできるのだが、単なる居住者と客人あるいは主人の扱いは厳然と分けられている。王宮に客人として住めるということは、貴族の特権の一つなのだ。
貴族とはいえゼランド家は弱小なので、当然のことながら贅沢は望めない。倹約を心がけたいモードウェン自身の意向もあって、外郭の壁に近く、日当たりが悪く、窓の外には疎らな針葉樹と苔しか見えないような安くて狭い部屋を借りたが、そうした環境はむしろ望むところだった。豪華絢爛な部屋で落ち着ける気などしない。
モードウェンが借りたのは、二室が一続きになっている部屋だ。手前を応接室、奥を寝室として使うことができる。それとは別に、ゼランド領から連れてきた小間使いのリーザ用に小さな部屋を借りて宛がった。侍女のナフィにはモードウェンと同じ部屋を使ってもらう。
「はあ……すごいところですねえ……」
リーザが圧倒された様子で息をつく。まだ王宮の外郭部しか目にしていないし、この部屋は王宮基準で質素もいいころなのだが、田舎出の娘の目には何もかもが輝いて見えるらしい。目を輝かせ、きょろきょろと辺りを見回している。
一般的な貴族令嬢なら、侍女も小間使いもぞろぞろと引き連れてくるものだ。だが、モードウェンが連れてきたのはナフィとリーザだけだ。ナフィを連れてくるのは当然だが、問題は小間使いを誰にするかということだった。
身の回りのことは大抵ひとりでしてしまうモードウェンだが、王宮ではさすがに限界がある。王宮で人員を都合するのも一つの手だったが、それには結構なお金がかかる。そのくらいなら、王宮に行きたいと憧れている厩番の娘を小間使いとして伴ってくるほうが良かった。馬に乗れるため、連れてくるにも苦労がない。
リーザに部屋を示し、モードウェンは言った。
「じゃあ、また後で呼ぶから。案内を頼んでまわりを見ておいた方がよさそうだしね。今は取りあえず休んでいて」
「はい! お嬢様、連れてきてくださって、本当にありがとうございます!」
まだ十四歳、モードウェンより三つ年下の少女は、頬を紅潮させて勢いよく頭を下げた。二つに纏めたお下げが馬の尾のように揺れる。それを微笑ましく眺めて見送り、モードウェンも荷解きに戻った。少ないとはいえ荷物があるから、片づけを済ませなければならない。それが終わったら、王宮の大まかな構造や仕来たりなどを最低限さらっておかなければ。近隣の領主たちや、父や兄と親交のある人々の元にも出向かなければならないから、贈り物の手配についても確認しておく必要がある。舞踏会だけに出てはい終わり、という訳にもいかないのだ。
「ああもう、面倒すぎる……」
心の中でぼやいたつもりだったが、しっかり声に出ていたらしい。聞きとがめたナフィがくるりと振り向いた。
「どうして思考回路がご隠居みたいなんですか! 花も恥じらう十七の乙女として、華やかな王宮という極上の舞台で色々と動き回れることにわくわくしてみたらどうなんです! リーザを少しは見習っていただきたいですわ!」
「え……冗談でしょ? 私が目を輝かせてはしゃぐなんて、自分で想像するのも耐えられないくらい不気味だし、寒気がする。そういうのはあなたたちに任せておくわ」
モードウェンは思わず身を震わせた。華やかな場所なんて目が回るだけだ。役回りを替われるなら、ぜひとも替わってほしい。
ナフィは深く溜め息をついた。
「もしやと思っておりましたが、お嬢様……最低限の挨拶だけをして、お披露目の舞踏会だけに出て、それで終わりになさるおつもりでしたか?」
「もしやも何も、そのつもりだけど」
「いけません! ぶっつけ本番なんて、それこそ冗談が過ぎます!」
「ぶっつけも何も、お披露目というのだから、最初に出る場がそれのはずだけど」
それを最初で最後にしたい。一回くらいなら、まだなんとか我慢できる……はずだ。たぶん。
「文字通りに受け取らないでください! お披露目とは、参加する最初の機会ではなくて、社交界に周知される機会ですわ。分かっておいででしょうに」
もちろん、分かっている。早い者は一桁の年齢の頃から社交界に出てくるそうだが、デビュタントとしてお披露目される機会は限定されている。早い話が、格式の高い舞踏会だ。そうした舞踏会は年に数回あり、主催者たる国王陛下のお出ましがある。
王宮で行われる催し事には音楽会や夜会、園遊会、学術発表会、各種のサロンなど様々なものがあり、子供でも出席できるものもある。デビュー前の子供たちは、そうした場で経験を積むのだ。貴族の中には、夫婦は領地に滞在したまま、子供だけを王宮に送る家も少なくない。
アールランドの成人年齢は十七であり、男女ともに婚姻が可能になる。それまでに婚約を整えている者たちもいるが、そうではない者たちにとって、お披露目はよりよい結婚相手を捕まえる最初にして最大の好機だ。新入りが注目されるのはどこでも同じだし、紹介という名目で格上の家とも繋がりを作ることがしやすい。……ご苦労なことだ。
「分かってる分かってる。結婚相手を探して、人脈を築いて、立場を固めて、王族の方々からお言葉をかけていただく大きな機会だものね」
「……ものすごく、どうでもよさそうに仰いますね?」
どうでもいいもの、という返答をモードウェンは寸でのところで呑み込んだ。モードウェンが望めば男爵位は回ってくるだろうが、爵位付きであれ、吹けば飛ぶような所領と陰気な娘とを欲しがる物好きはいないだろう。財力はあるが爵位を持たない豪商とてどうか。ゼランドの領地は、訳あって人が少なく、貧しい。
モードウェンの表情に何を見たか、ナフィは眉を曇らせた。
「確かに、貴族の婚姻は所領の大小によらず、ままならないものですけど。お嬢様は欲がなさすぎです」
「欲ならあるわ。今すぐ帰って、元の生活を続けたい」
モードウェンは心から言った。それを聞いたナフィはふっくらと形のいい唇を開き、何事か言いかけたが、思い直したように閉じた。
例によって、ナフィのお小言――もとい、忠言――を聞き流し、各種の催し事への参加をことごとく見送って、お披露目の舞踏会の当日がやってきた。
十一月の末に行われるこの舞踏会は、十月に始まる一連の収穫感謝祭の掉尾を飾るものであり、秋から冬へと移り変わる中にあって社交の時期の始まりを告げるものでもあり、社交界デビューの場として選ばれやすいものだった。「豊饒の祝祭」と名の付いた舞踏会は有名であり、年頃の娘たちであれば誰もが憧れる場だった。
ただし、何事にも例外はある。
「もう、信じられません! どうしてそんなに嫌そうな顔をなさるのです!」
「……八割くらいは地顔だと思うけれど……」
ナフィに詰られ、モードウェンは目を逸らした。名高い舞踏会に憧れるどころか全力で忌避したがる例外がここにいる。
嫌々ながらも喪服のドレスを引っ張り出して纏い、頭にはヴェールを被る。葬式にこそ相応しい装いに、ナフィは頬を引き攣らせた。
「……まさか、本気でそのドレスを着ていかれるとは……」
「本気も何も、最初から言ってる通り。一般的な正装とは違うけれど、喪服は禁じられていないし」
二百年くらい前の女王が、愛する夫を亡くした後、ずっと喪服で通したときに法律が改められたのだ。法律上で許されているからといって、本当に喪服で舞踏会に行く者が多いとも思わないが。
そうしてナフィに呆れられつつ、リーザに驚かれつつ、モードウェンは舞踏会の会場に向かった。
(……ああ、早く帰りたい。眩しい、くらくらする、もう嫌……)
モードウェンは紗の下に隠された目を伏せ、溜め息を噛み殺した。
必要以上に煌びやかな会場で、国王陛下のお出ましをじりじりと待つ。
こういう場所は苦手だ。薄暗くて静かな生活に早く戻りたい。王宮の明るさは、その光の強さは――影をも強調する。
(ああ、この人……)
近くを通り過ぎた恰幅の良い紳士の肩のあたりに、不自然な黒い靄が纏わりついている。うっすらと腕の形を形作っているのは、彼を暗い方へと誘おうとしているからだろうか。普通の人には見えないその靄は、残留思念――それが生者のものか死者のものかは分からないが――だ。黒が濃いほど性質が悪いもので、これは見るからに厄介そうだ。彼が歩くたびに影が揺らいで後を引き、モードウェンは顔を顰めた。
だから王宮は嫌なのだ。人の集まるところ、人の思念も集う。無念も怨念も――もっと性質の悪いものも。煌びやかな舞台の裏には、どろどろとした闇が巣食っている。黒い靄を――恨みを、妬みを、嫉みを――取りつかせた人は少なくなく、明るいはずの会場は、モードウェンの目には暗く沈んで見えた。
ひとつ気付いてしまえば、後から後から黒い靄が見えてくる。せっかくヴェールを被ってきたというのに意味がない。モードウェンの目に映る世界は、華やかな会場と靄の淀んだ地獄絵図とが二重合わせになっていた。
豪華な衣装を纏う人々の背に、頭に、足に、誰かの悪意が纏わりつく。虚栄の舞踏会は怨嗟の舞踏と裏表となり、上辺の美しさの下に深い闇を隠して続いていた。
あの人も。あの人も、その隣の人も。……
「う……」
モードウェンはよろめいた。あまりに性質の悪い気配が多くて、気分が悪くなる。人の多さだけでも酔いそうなくらいなのに、恨みや妬みや怒りの凝った靄も多いときた。
ここは大陸に冠たる王宮、ウィア・サイキ。恨みを呑んで亡くなった者は数知れない。恨みを募らせて生きる者の数は言わずもがなだ。害のないものや善いものもあり、それらは白い靄のように見えるが、そうした白よりも黒の方がずっと多い。見るだけで気分が滅入ってくる。引きずり込まれそうになってしまう。
(少し休まないと……)
モードウェンはふらふらとテラスによろめき出た。とにかく会場から離れたくて、階段を下りて庭に出る。
(……だから、王宮に来るのは嫌だったのに……)
モードウェンの目は、普通の人には見えないはずのものを見てしまう。
人々が憧れる王宮ウィア・サイキ。しかしモードウェンの目には、地獄の王の住まいとさえ見えるものだった。
(ゼランド領の澄んだ空気が恋しい……)
明るすぎる光も、濃すぎる影も、真っ平だ。モードウェンが求めるものは、仄かな光と薄闇、静謐な空気、そういうものだ。人が多いのはいいことだが、頼むから遠くに離れていてほしい。
庭には大広間からの光もあまり届かず、しかし満月のおかげで足元に不自由はしなかった。ところどころに明かりが置かれたり吊り下げられたりしており、光が夜を泳ぐように揺らいで幻想的だった。大広間も、このくらいの明るさでいいのに。
「ふう……」
腰掛けで身を休め、モードウェンは深く息をついた。外に出て、ようやくまともに呼吸ができるような気がする。
十一月末の風は冷たいが、熱気の籠った大広間よりもずっといい。ここはゼランド領よりも暖かいが、それでも冬が始まりかけて、風には枯葉の匂いが濃く混ざっていた。
少し休むと気分がよくなったが、すぐに会場に戻る気もせず、モードウェンは辺りをそぞろ歩いた。
かすかに、名残の秋薔薇の香りがする。昼間に歩けば、咲いているものを見つけられるかもしれない。暗い中なので花を探すのは諦めて、月光に照らし出された石像たちを辿るように小径を歩いていく。おぼろな薄暗がりは、隅々まで明るい大広間よりもよほどモードウェンに安らぎをもたらした。
(…………?)
モードウェンは立ち止まった。石像のひとつが、動いたような気がしたのだ。
普通の令嬢なら悲鳴を上げて失神するところだが、モードウェンは軽く目を見開いただけだった。冷静になって少し観察すれば分かる。それは石像ではなく、人間だ。
どうやら青年のようだった。彫刻たちと違って古代風の服装をしていない。明らかに貴族階級に属する者だろうが、今夜の舞踏会の出席者ではない。
服装に疎いモードウェンでもさすがに分かる。彼が着ているのは夏用の服だ。
そして――死者だ。
暗闇にぼんやりと白く発光しているような姿は、普通の人の目には映らない。しかしモードウェンの紫の目はたしかにその姿を捉えている。
幽霊の青年は思い悩む様子で辺りを歩き回り、ときおり視線を大広間の方に投げる。この世に、何かに、誰かに――心残りがあることは明白だった。
強い思念は、死に際しても散じることなく残ることがある。多くは形を保てないが――大広間で見たような靄にも、そういった死者の思念が結構な割合で混ざっているだろう――、稀に人間の姿をそのまま残すことがある。
それが、幽霊だ。
幽霊も靄と同じように、悪意のあるものは黒く、害意のないものは白く見える。靄、もとい思念が形を取ったものが幽霊だから、性質が似ているのは当然だ。この青年の幽霊が悪い存在でなかったことに安堵して、モードウェンはゆっくりと歩み寄った。少し距離を取って立ち止まり、声をかける。
「あなたの心残りは何なの? 私にできることがあるなら、協力するわ」
青年は弾かれたように振り返った。その瞳に驚愕が浮かび、みるみるうちに歓喜と安堵に塗りつぶされる。
「私が見えるのですね!? ああ、神様! レディ、あなたは――」
「私はゼランド男爵の娘、モードウェン。領地では墓守をしているの」
男爵の娘はレディと呼ばれる身分ではない。貴族階級の末端にかろうじて引っかかっている程度であるうえ、墓守をしている令嬢など他にいないだろう。さらに言ってしまえば、淡く発光している青年よりも、暗く沈むような服装のモードウェンの方が、よほど陰気で死者らしく見える。
しかし青年はきっちりと膝を折り、貴婦人に対する礼をとった。
「モードウェン嬢。先ほどの……貴女の寛大なお言葉に、甘えてしまってもよろしいのでしょうか?」
誠実で実直そうな青年だ。美しい緑の瞳でひたむきに見上げられて、モードウェンは少したじろいで顎を引いた。
「……とにかく立って、話を聞かせて。やれるだけのことはやってみるから」
「ああ……ありがとうございます……!」
青年はモードウェンの手を取って口付けせんばかりに感激するが、まだ何もしていない身としては居心地が悪い。話の先を促すと、青年は頷いて口を開いた。
青年はキースと名乗った。ネアーン伯爵家の三男で、第二王子カイウスの従者を務めていたという。王宮内の情報に疎いモードウェンは知らないことだったが、今夏に王宮内で病死したとされているそうだ。
「でも、違うのです。私は……毒を盛られたのです……」
そう語る青年は、その時の苦しみを思い出したのか、ひどく辛そうだった。体が小刻みに震えている。
モードウェンは口を挟まず、黙ったまま待った。急かすことはせず、さりとて励ますこともせず、ただ静かに待つ。そんなに辛いなら話さなくていいと止めるのも一つの優しさかもしれないが、それは彼が望むことではないだろう。伝えたがっているのだから、こちらはそれを受け止めるだけだ。
「……失礼しました」
少し気分がましになったらしい青年が謝る。幽霊に肉体的な不調は存在しないが、生前の意識に引き摺られることはある。そもそも形を保っていること自体が生前の意識を保っていることの証左だ。モードウェンは首を横に振った。
「座った方が話しやすければ、そうする?」
花壇の縁を指して尋ねる。キースは虚を突かれたように瞬いた。
「……幽霊って、座れるのですか?」
「座ろうと思えばね。触れることはできなくても、そこに物があると認識すれば座る格好はできる。今だって、普通に歩いていられるのは、無意識に地面を認識しているからなのだし」
「なるほど……」
納得した様子で、キースは確かめるように地面を踏みしめて歩き、花壇の縁におそるおそる腰をかけた。モードウェンも、横に並ぶようにして腰を下ろす。
「しかし、詳しいですね。言っては何ですが、当人の私よりも、幽霊のことをよくご存知でいらっしゃる」
「まあね」
モードウェンは肩を竦めた。靄が見えるのは昔からだが、幽霊を見たり話したり出来るようになったのは五年前からだ。この五年間、結構な経験を積んできている。
「人の思いは普通、死に際して散じてしまうものだけど……強い心残りがある場合はそのまま残ったり、さらには人の姿形まで留めたりする場合もある。それが幽霊。だから、未練を解消すれば天の御国へ行けるはず。未練を残したままであっても、時間が経てば同じこと。未練の強さにもよるけど、姿を保って留まっていられるのはどんなに長くても数十年というところじゃないかと思うわ」
姿形を保ったまま本来の寿命以上に現世に留まる幽霊にはお目にかかったことがない。残滓である思念はどうか分からないが、さらに短いようだ。どうあっても消えてしまうものなら、未練を解消する手伝いをした方がいい。どうしても長く現世に留まっていたいというなら放っておくが、幽霊というものは本質的に不安定で、闇を寄せ付けやすい。無害な幽霊が有害な悪霊に変化することもある。不自然な形で長く留まっていいことはないのだ。
「ところで……毒を盛られたと言ったわね。誰に?」
あまり期待せずに尋ねる。死に関連することは覚えていない者も多いからだ。はっきり覚えていたら発狂ものだろう。そうなると幽霊として意識を留めるどころではない。案の定、キースは首を横に振った。
「……分かりません。すみません……」
「いえ、謝ることじゃないわ。あなたは何も悪くないし……むしろ、知らなくて良かったと思うわ。恨みがその人に向かってしまったかもしれないし」
そうなっても犯人にとっては自業自得だが、キースがさらに苦しむことになっただろうことは間違いない。犯人の裁きは生者に任せて、死者は天で安らうべきだ。
でも、とキースは顔を上げた。
「これだけは分かります。カイウス殿下が危ない。殿下は命を狙われておいでです。私は病気で死んだのではなく、殿下を狙う者によって、身代わりになって殺された。それだけは確かです。それを伝えたくて……」
モードウェンは頷いた。おそらく、それがこの青年の心残りだ。記憶があやふやでも、その一念だけは強く残っているのだ。
「犯人を罰してほしいとは望みません。私はもう生き返ることができないのですから。でも、殿下が危ない。私を殺した者が、殿下まで手にかけるのは耐えがたい。どうか、危機を殿下にお伝えしてほしいのです」
キースは真摯に言い募る。モードウェンは答えに窮した。
言うまでもなく、モードウェンは第二王子と面識が無い。伝手も無い。だが、無碍に断るのも躊躇われた。
同時に、違和感が頭をかすめる。しかしそれを掴む暇もない。目の前には真剣な顔をして自分を見つめる美青年の幽霊がいる。
(どうしよう……)
沈黙するモードウェンに、キースは頭を下げた。
「どうか、お願いします」
その姿が薄れていく。
「って、ちょっと待って!?」
モードウェンは焦って声を上げたが、どうにもならない。心残りを果たした――モードウェンに託した――ということだ。
破れかぶれでモードウェンは叫んだ。
「分かったわ! 王子のことは任せて!」
キースは頭を上げて微笑んだ。そして、それが最後だった。ふつりと糸が切れるように、存在が掻き消える。モードウェンは頭を抱えた。
(どうしろって言うのよ……)
庭園の道をとぼとぼと大広間の方に戻りながら、モードウェンは何度目になるか分からない溜め息をついた。
(第二王子の、カイウス殿下……? 雲の上の人だわ……名前くらいしか知らないし……)
一体、どうやって接触すればいいというのか。末端の男爵家の娘がお目通り願ったところで門前払いだ。社交界でのお披露目ということで国王陛下にお目にかかる機会は頂けるが、とうぜん衆目のあるところで短時間だけのことだ。王子への伝言を頼むなどできるはずもなく、そもそも国王を伝言役にというのは無理がありすぎる。考えたくないことだが、国王が関係していないという保証もない。
キースの事をほのめかして手紙でも書くか。いや、下手なことを書けば悪質な悪戯と判断されて罪に問われかねない。本人に届く前に中を検められる可能性もあるし、モードウェン自身に危険が及ぶかもしれない。
(さっさとお目通りを済ませて帰るつもりだったのに……)
厄介事を背負い込んでしまった。王宮に来たばかりのしがない男爵令嬢に、王宮の中心にいる第二王子のもとに辿り着けなんて、ちょっと荷が重すぎないだろうか。
下を向いて歩いていたからだろうか。モードウェンは石像の足元近くに、なにか淡く光るものがあるのを見つけた。台座と石像の服の襞の間に嵌まり込んでいる。思念を纏って光っていなければ間違いなく見落としてしまっただろう。
不思議に思って指を差し入れ、取り出してみると、古い大ぶりな指輪だ。どのくらいの価値があるものか分からないが、親から子へと受け継がれてきた歴史あるもののように見えた。磨けば光るのだろうが風雨にさらされてくすんでおり、それなのに白く光って見えるのは、これに思念が纏わりついているからだ。しかし、悪いものには見えない。
(誰のものだろう。由緒あるものかも……)
何にせよ、このまま放っておくのは忍びない。適当なところに届け出ようと考え、モードウェンは指輪を懐に仕舞った。キースの厄介事を肩代わりした今、このくらいの面倒はもはや物の数に入らない。
しばらく歩いて庭からテラスに上がり、再び大広間に入る。今度はなるべく人々を見ないようにして遣り過ごそうと思ったのだが、なんだか辺りがざわついている。
(……?)
モードウェンは首を傾げた。国王陛下のお出ましは舞踏会の終盤のはずだ。デビュタントのお披露目もその時で、弱小男爵家の娘であるモードウェンの名前が呼ばれるのは最後の最後になるはずだ。とは言っても、その時だけ顔を見せるのでは眉を顰められてしまう。少なくとも国王陛下よりは前から会場に入っておくべきで、だからこうしてモードウェンも早めに舞踏会に出ていたのだが……
(まさかもうお披露目が始まっている!? ううん、いくらなんでも早すぎる。何かあったの……?)
辺りを見回してみると、原因はすぐに見つかった。人々が見上げる先に、一人の年若い貴公子がいる。吹き抜けになった大広間をぐるりと取り巻く二階の回廊、階段の上に立っている。モードウェンのいるところからそう遠くないあたりだ。
何気なく見上げて、モードウェンは思わず呻いて目を逸らした。
「うわあ……」
靄が纏わりつき、影が濃かったからではない。逆だ。その人物が、輝かしくて眩しすぎたからだ。
きらきらした金髪は長からず短からず、白を基調とした宮廷服を颯爽と着こなしている。肌は適度に日に焼けており、姿勢がよく――猫背気味のモードウェンとは対照的だ――、均整の取れた体格で、顔立ちも整っていることが見て取れる。どこにいても輪の中心になり、頭一つ抜けた存在感を放ち、女性に人気があるような人物なのだろう。――こういう人物は苦手だ。
「カイウス殿下だわ! 今夜の舞踏会にはお出でにならないと聞いていましたのに」
「何かあったのかしら? ともかくも幸運じゃない! 目の保養になるわ」
周りの令嬢たちの会話を聞くともなしに拾ってしまい、モードウェンはその場で膝から崩れ落ちそうになった。
(カイウス殿下って……第二王子のことでしょう!? あの方が!?)
キースの警告を、あの王子に伝えなければならないのか。あんなに目立つ、あんなに眩しい、モードウェンにとっては悪夢の塊にも等しいような人に。
(…………気が遠くなりそう……)
モードウェンは思わず壁にすがった。近付く道筋がまったく見えない。そもそも、近付きたくない。まるで舞台照明のような人だ。悪夢だ。日陰でひっそりと息をしているモードウェンにとって、第二王子は劇物のようなものだ。
絶望するモードウェンをよそに、第二王子は良く通る声で会場に向かって挨拶を述べた。何か仕掛けがあるのか、声が反響して会場の隅々にまで届いているようだ。
収穫祭の最後を飾る舞踏会に相応しい、収穫への言祝ぎ。労働に対する労い。王室を支える多くの人々への感謝。集まってくれて嬉しい、この会を存分に楽しんでほしい……。
しかし、会場の人々は戸惑い気味だ。本来ならこういった祝辞は、主催者たる国王が述べるべきものだからだ。
果たして、王子は言った。
「陛下は今宵、おいでにならない。心待ちにしてくれていた諸君には誠に申し訳なく思う」
「ええっ!?」
モードウェンは思わず声を上げた。慌てて口を押さえるが、周りでも同じように驚く声が上がっており、目立たずに済んだ。それはいいとして、
(それじゃあ、私はいったい何のために舞踏会に参加したの……!?)
とんだ無駄足だ。モードウェンほど強くそう思った人は少ないだろうが、それでも周りから失望や怒りの声が聞こえる。王を出せというあからさまな声こそないものの、それに近いような無礼すれすれの言葉も聞こえてくる。そもそも国王がどうしてお出ましになれないのか。
ざわめきが収まるのを待って、第二王子は続けて述べた。
「不満は分かる。とりわけ、デビュタントの諸君は残念だろう。だが、別の機会を設けさせてもらう。……趣向を凝らすから、楽しみにしていてほしい」
その言葉に、今度は期待のざわめきが起きる。王宮ではいつだって、面白いことや目新しいことは歓迎されるものだ。今夜も、このままでは終わらないだろう。何らかの埋め合わせがあるに違いない。人々はそのことも期待していた。
(いらない! いらないから……って、ちょっと待って)
条件反射で拒絶したあと、モードウェンは瞬いた。もしかするとこれは、第二王子に近付けるきっかけができるのかもしれない。彼が出てきたということは、きっとそういうことだ。
「陛下の代わりにはなれないが、今宵は私たちが持て成しをさせていただく」
(やった……!)
期待通りの展開に、モードウェンは思わず拳を握った。周りの女性たちは黄色い声を上げたり口元に扇子を当てたりして上品に淑やかに喜んでいるが、モードウェンの喜び方はこんなものだ。飛び跳ねて喜ぶような無邪気さの持ち合わせも無い。雄叫びを上げなかっただけ褒めてほしい。
第二王子が言葉を終えると、二階の回廊に、さらに二人の人物が現れた。男性が一人、女性が一人だ。二人とも見目麗しくきらきらしい。会場に湧き上がったどよめきに、その二人が第一王子と第一王女であると知る。
今上国王の三人の子が揃うのは珍しいのか、それともただの条件反射なのか、人々が歓呼する。第一王子イーノス殿下、第一王女プレシダ殿下、そして、第二王子カイウス殿下。
三人はそれぞれゆっくりと回廊をめぐり、別々の階段から大広間に下りてくる。王子王女がたがこの場の人々の話し相手に――もしかしたら、舞踏の相手にも――なってくれるということだ。国王陛下の不在に不満を漏らしていた人々の目の色が変わった。
(陛下の代わりにはなれないが、って……どの口が言うの)
たちまち場を掌握した三人に、モードウェンは半ば呆れて口を曲げた。
第二王子カイウスはもとより、第一王子イーノスも、第一王女プレシダも、それぞれに煌びやかで華やかだった。
第一王子イーノスは背が高くやや痩身で、金髪に甘い顔立ちをしている。穏やかな雰囲気もあって、貴婦人方の溜め息を誘っている。
第一王女プレシダはまるで女王のように気高く、気位も高そうだった。繊細な金の巻き毛を結い上げてティアラを乗せ、滑らかな額から胸元までの完璧な線と真っ白な肌が真紅のドレスに映える。
少し見ただけで強烈な印象が焼き付き、モードウェンは思わず瞼を押さえた。
(もうやだ……王族こわい……)
きらきらしていて、きらきらを通り越してぎらぎらしていて、目が潰れそうなくらい眩しい。会場を見るに、地位のありそうな人ほど暗い靄を多く纏わりつかせているようなのに、その頂点に立つ王子や王女は、そうした陰りをいっさい寄せ付けていなかった。臣民の一人としては頼もしく思うが、できれば自分の目に入らないところにいてほしい。自分まで消し飛ばされそうだ。
貴族らしからぬことを考えていたモードウェンは、三人が会場の人波に消えたあたりで、はっと我に返った。
第二王子とお近付きになる好機が降って湧いたようにやってきたのだ。キースの警告をそのまま伝えるのは難しいだろうが、取っ掛かりだけでも掴まなくては。
モードウェンは唇を引き結ぶと、気持ちを奮い立たせて人波に目を据えた。
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