第12話
空へ逃げたキロプテラの姿は、もう点のように小さくなっていた。
ホルトの優れた視力が、その僅かばかりの灰色の輪郭を捉える。
太陽の光条が放射線状に伸びて、燦々とした逆光の中で怪物が舞っていた。
巣穴は〈デッドハンド・ジョー〉の背後にある。だからこそ、ここから奴が飛び去って姿を消すことはないだろうが、飛ばれたままでは勝負にもならない。
足元の缶をジョーに拾わせる。可燃性のデルタ・ウイスキー燃料が詰め込まれたブリキ缶だ。縄の取っ手を掴んだ左手が、高速で円を描き始める。
三回転。四回転。右手にリボルバーを構えたまま、それを思いっきり放り投げる。
空に放たれた鉄色の丸い影めがけて、リボルバーの銃口を重ねた。
「墜ちろ」
銃声──。太陽の光を遮るほどの、より眩い光の噴流が起こった。
叩き下ろすような爆風が砂を巻き上げ、ザラザラと装甲を掠る。
炎、炎、炎。燃え盛った燃料が地上に振り注ぐ。
間を置かずして、大きな質量が地上に叩き付けられた。
「ゲギャァァァギアアァァ!」
咆哮を上げて、荒地の上のキロプテラはのたうち回る。
爆発のせいではない。自分の位置が分からなくなって墜落したのだ。
キロプテラは
爆発のもたらす大きな音と衝撃は、その優れた聴覚を潰した。
“バントライン”を腰だめに構え、ジョーをゆっくり前進させる。
まだ勝ってはいない。危険なのはここからだった。
砲弾を防ぐほどの筋肉の鎧と、そこから出力される怪力。
やせ細っていながら、ギアードを僅かに上回る巨躯。
あれが手足を振り回すだけでも、機体の損傷は免れない。
「じっとしてろ、いま楽にしてやる」
頭だ。頭に弾丸を撃ち込んで、息の根を止める。
一歩、二歩、舞い上がった砂煙の渦の中心に向かって進んでいく。
ふいに、大きな影が差して、ホルトの視界を暗く覆い隠した。
「……っ!」
ペダルを踏み込み、左右のハンドルを乱暴に引き寄せた。
〈デッドハンド・ジョー〉が後退すると同時、地面が抉り取られる。
キロプテラの有翼の剛腕が、無作為に振るわれていた。
死神の鎌のような鋭利なシルエットを、地面に落としながら。
「コイツ……ッ!」
聴覚は死んでいるはずだが、そのままキロプテラは突進を仕掛けてきた。
歩行するジョーの振動を、地面から感じ取っているのだろうか。
あるいは獣の本能が、殺気の源を潰そうとしているのかもしれない。
二本の腕が交互に地面を突き、やせ細った巨躯を引きずる。
その質量は迫り来る壁となって、荒野の空気もろとも圧しそうだった。
「……ンッ」
突き上げるような腕の一撃を、ホルトはハンドルをひねってかわした。
鋭い爪が機体の左肩が掠め、装甲板が小さく軋む音を立てる。
そのまま勢いよく進み、腕は足元の缶の山を叩き潰した。巨大な炎が爆ぜる。
「──この……ッ野郎……!」
吹き飛ばされた機体の中で、ホルトは揉みくちゃの状態になった。
装甲に炎が散り、色々な警告音がコクピットに鳴り響いている。
ノイズの混じったモニターの向こうに見える、ひび割れた地面と粉塵。
砂塵は黒煙と混ざり、濃いベールを作り出していた。その幕の向こうから、炎の化身が飛び出してきた。キロプテラだった、まだ生きている。
全身に炎の衣を纏いながら、依然として動きが衰えている様子はない。
翼の幕は破け、それを支えるいくつかの骨も折れ曲っていた。
断裂した表皮からは、ジュクジュクと黒い血が煮えたぎっている。
それでも鋭い嘴をガチガチと打ち鳴らし、荒い息を吐いて、ジョーを狙う。
突進が来た。燃え盛ったままの巨体を、押し付けるような突進だ。
ホルトは一瞬の隙を突いて、機体を横転させるように転がす。
風が砂を巻き、咆哮が耳を貫く。
ジョーは転がりながら、再び〈バントライン〉の弾丸を装填した。
「ちっとも……上手くいかねえ……ッ!」
装甲の焦げ付きが、カメラ視界の隅にちらつく。
くそったれ、この修繕費は“シュライファー”持ちにしてやる。
ホルトは赤い警告灯を睨みながら、歯を食いしばった。
「頭だ、頭を……っ!」
炎を纏った怪物──キロプテラが、黒煙を割って再び突進してきた。
機体をサイドステップさせて、すれ違いざまにトリガーを引く。
マズルフラッシュの中から飛びだした弾丸が、キロプテラの嘴を砕いた。
血液と破片が飛び散って、砂煙を汚す。
「ギュアアアアガギイイーーーー!」
破裂するような雄叫びをあげて、巨体が大きく跳ねた。
まだ致命傷にはなっていない。追撃にトリガーを三度引く。
鎖骨の上、喉、頬の順に弾丸がめり込んだ。
筋肉組織に阻まれるが、その衝撃は確実に骨格を破壊していた。
怪物の動きが徐々に鈍くなる。緩慢に這い回り、太い腕が震えている。
──仕留めるなら、今だ。
ホルトはペダルを力強く踏み込んで、ハンドルを倒した。
ギアード〈デッドハンド・ジョー〉が加速、疾走する。
もはや、キロプテラはこちらを見失っていた。
無差別に地面を引っ掻き、腕を払って牽制を続けている。
だが、それは余りにも隙の多い動きとなっていた。
「そうら、よッ!」
疾走するジョーは怪物の正面から飛び出し、顔面を蹴りつける。
四つん這いの巨躯が、一瞬、直立姿勢で起き上がった。
次いで、根本に斧を入れられた樹木のように後ろへと倒れる。
キロプテラは仰向けのまま、ジタバタともがいた。
ホルトは機体をそのまま前進させ、怪物に跨る。
「ゲギャァ! ゲギャァ! ──ガァ」
下半分が砕け散った嘴の、残り上半分をがしっと掴む。
刹那、ジョーのカメラと、キロプテラの退化した眼球が交差した。
醜悪な貌の、眉間に“バントライン”の銃口を押し込む。
「お休みの時間だ」
「ガァ……ッ」
トリガーを引いて、終わらせる。撃鉄が叩く音と、火薬の炸裂。
頭蓋骨に貫入した単分子徹甲弾が、キロプテラの脳を潰す。
黒い返り血を浴びて、ジョーの頭部装甲板、帽子の
キロプテラは最後に一度、大きく身体をしならせて、動かなくなった。
*
グリット・ウェルズの町並みが再び視界に入った頃、太陽は傾き始めていた。
長く伸びる影の中を、〈デッドハンド・ジョー〉はゆっくりと歩いていた。
左腕の義手には、灰色の獣──キロプテラの皮が巻かれている。
その後ろを、マルノワたちのエアカーが追っていた。窓越しのグレイスは、何度も目を瞬かせて、ジョーの手にぶら下がる皮を見つめていた。
「一匹からでも、結構な量とれるんですね……!」
「解体のときも思ったけど、貴女ってグロいの平気なのね」
「へ?」
マルノワが肩をすくめる。砂と火の匂いを乗せた風が、通りを抜けた。
工房の前に差しかかると、ジョーが不意に立ち止まる。ホルトがカメラをズームさせると、工房の軒先では、シュライファーが誰かと派手に言い争っていた。
スーツ姿の男の後ろ姿と、汚いエプロンのシュライファーが対峙している。
言い合って、怒鳴り合って、二人はとうとう互いの得物を向け合った。
シュライファーはショットガンを、スーツ姿の男の方はライフルを構えた。
『おい、待て待て……ッ!』
〈デッドハンド・ジョー〉が駆け出し、ホルトの声を二人に降らす。
「だからよ、テメーに教えてやる義理はねえって言ってるだろうが!」
と、シュライファーがまくし立てる。
「これは“お願い”ではなく“命令”です! さあ、教えなさい!」
と、スーツ姿の男が怒鳴り返す。マルノワは、その声に聞き覚えがあった。
(あれ? この声って、確か教会のときの……)
心当たりがあったのは、ホルトも同様だったのだろう。
マルノワが連想したのと同じ人物の名前を、彼は口にした。
『お前、制裁者のオズレロか?』
ちら、と黒髪の、スーツ姿の長身の男が振り返る。
四角い眼鏡のレンズが陽光をキラリと反射した。
「ホルト・クリーガー? なぜここに」
『……こっちのセリフだ』
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