第10話

 陽炎の向こうから、グリット・ウェルズの町並みが見えてきた。


 岩と砂に埋もれるように建つ土色の建物群は、ナラクに点在するどの町とも変わり映えしないが、ここにだけは交易拠点としての、確かな活気があった。

 円筒型の建物がいくつも並び、屋根の上には換気用の小さな風車が回っている。通りには水を撒いた痕跡があり、砂の匂いが場というものを支配している。


 人々は埃まみれのローブを纏い、露店には様々な部品や雑貨が並べられている。デルタ・ウイスキー缶を転がしながら歩く男、棚の上で喋くり続ける古びたラジオ。


 空を舞う風に乗って、何かのスパイスの香りが鼻をかすめた。


「すごい! 本当に、こんな街がナラクにあるなんて!」


 グレイス・レコングは、目を輝かせながら歩き回っていた。


 エアカーの助手席から降りるや否や、すっかり観光気分で見回している。


 バザールで売られている奇妙な食材を覗き込み、機械部品の山を眺め、目を輝かせながら土壁の家々を見上げる。──うろつくな、このガキを連れて来たのは誰だ。


 ホルトは一瞬、怒鳴りそうになった。


「グリット・ウェルズ……ここがナラク最大の交易都市なんですね!」


「最大、ってほどじゃねえよ。砂に埋もれかけのシケた街さ」


 ホルトは淡々と言い放った。


 足元の砂を踏みしめながら、視線を少し遠くに向ける。


 と、そのとき──。


 通りの向こう、トタン張りの工房の前で、大声が響いてきた。


「お前ら、ドリフト通貨なんぞ信じてるからバカを見るんだ!」


 声の主は、大きな革エプロンをつけた筋骨隆々の男だった。

 通行人たちが、彼の演説から逃れようと足を速める。


 汚れたシャツに、焦げ跡のついた手袋。顔は無精髭に覆われ、頭は禿げ上がっている。彼の手には、片手にハンマー、片手に延べ棒が握られていた。


「デジタルを捨てろ! 金属だ、物資だ、実物こそが物種だ!」


 ホルトは、無言でミルクを飲むときのような目で彼を見た。

 マルノワは興味深そうに、口元を手で覆っている。

 グレイスは戸惑った顔をして、視線を泳がせていた。


「ドリフトは崩壊する! これは予言ではない! 未来だ!」


 演説は止まらない。帽子を押し上げ、ホルトは溜め息交じりに呟いた。


「……今度は何にハマった? シュライファー」


 *


 シュライファーの工房は、グリット・ウェルズでも特に年季の入った場所だ。

 装甲板やパーツの山が無造作に積まれ、オイルと金属の匂いが充満している。


 壁には無数の設計図やスケッチが釘で張り付けられてあった。

 埃まみれの工具が、その隙間の空白を埋めるように引っ掛けてある。


「……なかなか興味深いわね」


 マルノワは壁に飾られたスケッチを撫で、感心の息を漏らした。


「ほう、お嬢ちゃん、見る目があるじゃないか。そのパーツは、二代目 〈ロデオ・ダンサー〉の強化型脚部ユニットの設計を参考にして、基礎出力を──」


 ホルトは無造作に椅子を引き、そこへガタッと音を立てて座る。


「仕事の話をしようぜ、シュライファー」


「ああ、そうだったそうだった。で、今日は何用かね?」


「ジョーの修理と、左腕の着け直しを頼みたい」


「はぁん、ホォルト。まだあのくだらん掟をやっとるのかね」


 心から馬鹿にするニュアンスを含んで、シュライファーは吐き捨てた。


「やかましい。仕事を受けるのか、受けないのか」


「受けるとも、受けるが……。支払いはどうするね?」


「……俺が払えないと? 毎度不足なく払っているつもりだが」


「ドリフトかね? ありゃもう駄目だ」


 手をぺしぺしと払うような動きで、シュライファーは告げた。

 訝し気な表情で、ホルトが尋ねかえす。


「もしかして、さっきの軒先での戯言と関係があるか?」


 シュライファーは鼻を鳴らし、ホルトの言葉を鼻で笑った。


「戯言だと? ドリフトはもうじき価値を失う。連邦が復活するんだよ」


「はあ……そりゃあ……大変だな……」


 彼は鉄板の上に拳を叩きつけ、ぎょろりとした目を向ける。


「だからな、ドリフトの仕事は今後一切、引き受けない!」


 ホルトは首を傾げた。


 ……。


「……何故だ?」


「貴様ッ! 人の話を聞いておらんなァー!」


 シュライファーは鼻息荒く立ち上がり、ゴツゴツした指を突きつけた。


「ドリフトなんぞ紙くず同然になるんだ! 俺はその未来を見据えてる。物々交換、実物経済こそが正義よ! 金属、革、骨、それが真の価値だ!」


「……はぁ」


 ホルトは無表情のまま、片眉を上げた。


「それで、いったい、ドリフト以外の何を払えばいいんだ?」


 シュライファーはニヤリと笑い、巨大な金床の上に拳を叩きつけた。


「キロプテラの皮だ!」


 グレイスが「え?」と目を丸くする。


「キロプテラって、あの……夜になるとバサバサ飛んでくる奴ですよね?」


「その通りだ!」


 シュライファーは指をさし、自慢げにうなずいた。


「鍛冶道具の補修に、そいつの皮を使う。熱耐性と弾力が絶妙でな」


 マルノワが微笑んだ。


「なるほど、つまり、ホルトにハンティングをやらせるつもりね?」


「さすが! お嬢ちゃんは話がわかるようで、助かるよ」


 シュライファーはホルトの細い肩を掴んで、抱き寄せた。


「──ギア・スリンガーのお前にとっちゃ、容易い仕事だろう?」


 ホルトは深くため息をついた。


「クソが……。今の巣は場所はどこなんだ?」


「グリット・ウェルズの北、二十キロほど行った岩窟地帯だ」


 マルノワが横から囁いた。


「狩りだなんて、ロマンチックじゃない?」


 ホルトはちらりと彼女を睨む。


「どんな感性してるんだ? お前……」


 シュライファーはドスッとハンマーを机に叩きつけた。


「話は決まりだな! いい皮を持ってこいよ、ホルト!」

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