エンチャント・ブレイブ

爪隠し

第1話 プロローグ


 観客たちの熱狂的な叫び声が響き渡る闘技場。

 そこでは5年に一度、国中の猛者を集めた闘技大会が開催されている。

 その会場の幾多ある選手控室のひとつ、VIPのみ利用を許された特別ルームに一組の男女がいた。

 2人とも若く、男女というよりも少年少女といった方が適している。


 少年の方はこれから闘うらしく、見ているだけで重そうな騎士鎧を着用しており、恵まれた容姿が隠れてしまっている。

 少女の方は彼の付き人なのだろう。メイド服を着用しており、自慢の長い青髪はよく手入れされていて、清楚な印象を与える。


「コノハ、頼む!」


「……いやです」


 少年は少女にお願いをしている。その姿はとても慣れた様子であった。

 主人と従者という関係性であれば、少年が少女へ指示することに何もおかしいことはない。

 だが、少年の拝むようなお願いの仕方はとても上位者には見えず、少女に縋りついているようにすら見える。


「そこをなんとかぁ~俺の一生のお願い!」


「むぅ………でも、いやです」


「コノハァ~~~~~~」


 コノハと呼ばれた少女はそっぽを向くように顔をそむけた。彼女の表情からは、僅かに迷いが感じられる。

 付き合いの長い彼はそのチャンスを見逃さない。これまでもなんやかんや手を貸してくれた彼女だからこそ、もう一押しだと確信した。


「コノハ、お前だけが頼りなんだ………力を貸してくれ!」



 ちらりと横目で主人を確認したコノハは見てしまった。

 いつの間にか脱いでいた兜。母親譲りの端整な顔立ちが露わになり、困った表情を浮かべる彼を──コノハはとても放っておけなかった。

 少し癖のある黒髪が男らしいとは彼女の言。


「もぅ………今回だけ……ですよ」


「ありがとう、コノハ! お前は俺の最高のパートナーだ」


「………っ」


 協力の約束をした途端、控室の扉をノックする音が響く。


「おっ、出番か、ナイスタイミング。コノハよろしく頼む」


「……はい」


 コノハはエプロンから短い杖を取り出し、自身の敬愛する主にその先を向ける。

 目を瞑って精神を集中させると、観客席から響く歓声すら聞こえなくなっていく。


『私の魔力を糧に道よ開け! 天におわします女神様、敬虔な信者のお願いをどうか聞き届けていただけないでしょうか。私の大切なご主人様に一時の助力を賜りたく………エンチャント・ファイア』


 彼女が魔法詠唱を終えたその時、少年の全身に熱が駆け巡る。

 それは彼女の唱えた呪文の通り、女神様の豊穣を思わせる神聖な力を宿しており、熱と共に全身に力が漲っていく。


「ありがとう。これで次の試合にも勝てる」


 少年のオーラはそこらの弱兵から一変し、歴戦の英雄の如き力強いプレッシャーを放っていた。

 先ほどまでメイドに縋り付いていた男とは思えない凛々しさである。


「よし、それじゃあ行ってくる」


「いってらっしゃいませ」


「ああ」


 自信満々なコノハの主人は意気揚々と部屋を出ていった。

 輝くような笑みを浮かべる彼をぼぅ~っと眺めている間に扉は閉まってしまい、部屋にはメイドが一人残された。


「はぁ」


 どこか愁いを帯びた彼女のため息が響く。

 そしてそれ以上に、ただでさえ大きかった観客の声が倍量になって響いてきた。

 恐らく、先ほど闘技場へ出ていった少年が登場したのだろう。

 彼女の想いなど、ちっとも理解してくれないご主人様が。


「はぁ………また、言えなかった」


 いつも調子のいいご主人様へため息が止まらない。

 そして、ご主人様へ伝えたいことを伝えられない自分自身にも、ため息がもれる。

 だからこそ、彼女は求める。


「女神様、どうか私に――」


 彼女は今日も祈る。

 いつか自分の夢が叶うように。

 この気持ちを彼へ伝えられるように。


「──勇気を」



 わぁぁあああああという会場の歓声から、想い人の勝利が伝わってくる。

 主人を思うコノハの願いは聞き届けられた。


 さて、恋する乙女の願いが叶うか否か。

 それは神すらも分からない。

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