第5話 賢者の孫、共和国を導く:議会の迷走と最初の灯火

 登場人物


 アーデン・グレゴリー・晴明せいめい:元賢者。バー「クロノス」のマスター。

 アビサル:時を司る神。今は皮肉屋の常連客?。

 アーデン・ヴァレンタイン・しょう:晴明の孫。15歳。共和国の議員見習い。



導入:想いの行方


 バー「クロノス」には古時計の規則正しい秒針の音だけが響いていた。磨き上げられたカウンターの奥で、アーデン・グレゴリー・晴明は静かにグラスを拭いていた。その瞳は、遠い日の思い出を映すかのように、微かな憂いを帯びていた。今夜は客も少なく、店内は普段より静謐な空気に包まれている。


(翔…今頃どうしているだろうか。あの頃はまだ幼かったが、賢者の血を引く者として、民を導く道を歩んでいるのだろうか。わしが教えられたのは、星の巡りや古の魔法ばかり。人としてどう生きるべきか、本当に大切なことを伝えられたのだろうか…。もう、会うことも叶わぬと思っていたが…)


 晴明の胸中には、遠く離れた世界に残してきた孫への想いが、年月が経つほどに深く沈殿していた。望んでこの世界に来たのではなく、アビサルという時を司る神との死闘の末、からずも命は取り留めたものの、元の世界には戻れなくなってしまった。その代償として、最愛の孫との別れを受け入れざるを得なかったのだ。


 カウンターの隅、いつもの席で高級そうな革表紙の本を広げていたアビサルが、晴明のそんな感傷を敏感に察知したのか、にやりと口角を上げた。今日の彼は、どこかの大学の気難しそうな老教授といった風体だ。金縁の眼鏡の奥の瞳は、常に世界を傍観者として観察する冷たさを湛えていた。


「おい晴明、また孫のことで溜息か? よほど可愛かったと見える。そんなに会いたいなら、ほんの少しだけ、繋いでやってもいいぞ? お前たちのその美しい『家族の絆』とやらが、どれほど強固なものか、この私に見せてみろ。もっとも、期待外れだったら、その場で通信を切るがな。私の気まぐれは、お前もよく知っているだろう?」


 アビサルの言葉はいつも通り皮肉に満ちていたが、その瞳の奥には、人間の感情に対する尽きない好奇心が宿っていた。彼にとって、人間の絆などというものは、試すに値する実験材料でしかない。それでいて、その結果には少なからぬ興味を抱いているようだった。


 晴明は驚きに目を見開き、手にしていたグラスを思わず強く握った。「な…アビサル、お前、本気で言っているのか? 翔と…話せるというのか?」


「くどいぞ、晴明。神の気まぐれだと言っている。だが、あまり期待するなよ。しょせんは悪趣味な余興だ」


 アビサルがそう言ってパチンと指を鳴らすと、バーの空間がほんのわずかに揺らいだ気がした。古い時計の秒針が一瞬止まり、窓の外の夜空が微かに歪んだように見えた。



第一幕:奇跡の通信



 その頃、遠く離れた世界。新たに建国された共和国の一室で、アーデン・ヴァレンタイン・翔は、祖父・晴明の形見である「三日月の宝玉」をじっと見つめていた。


 部屋の窓からは、共和国の中心地が一望できる。かつてルミナリア王国の首都だったこの場所は、今は多くの変化の真っ只中にあった。古い宮殿の一部は議事堂に改装され、かつての貴族の屋敷は様々な用途に転用されている。夜になると、この宝玉を眺めながら祖父を偲ぶのが、いつしか彼の習慣となっていた。


「おじい様…」


 細い指で宝玉の表面を撫でながら、翔はため息をついた。14歳になったばかりの彼は、その年齢からは想像できないほどの重責を背負っていた。賢者の血を引く彼は、新生共和国の議会で議員見習いという立場で、若き指導者の一人として期待されていたのだ。しかし現実は厳しく、彼の力だけではどうにもならないことが多すぎた。


(おじい様が生きていたら、きっと何か良い知恵を授けてくれただろうに…。今、共和国は大変なんだ。みんなバラバラで、僕の力じゃどうにも…じい様がいてくれたら…)


 切なる思いで宝玉を握りしめた、その時だった。手のひらにある三日月の宝玉が、ふいに淡い、優しい光を放ち始めたのだ。


「え…?」


 翔が息をのむ。光は徐々に強まり、部屋全体を柔らかな月明かりのような輝きで満たしていく。そして、宝玉の中から、微かだが懐かしい声が聞こえてきた。


『翔…? 聞こえるか、翔…!』


「お、おじい様…? まさか…死んだはずじゃ…」


 翔の声は震えていた。信じられない思いと、こみ上げてくる熱い感情で、胸がいっぱいになる。かつて共和国を興すための決戦の際、祖父は「時喰い」と呼ばれる恐ろしい存在と共に消えたはずだった。当時はまだ幼かった翔だが、その光景は鮮明に記憶に焼き付いている。


『翔なのか!? 本当に翔なのか!? 生きていたのか…! わしだ、晴明だ!』


 バー「クロノス」では、晴明がカウンターに置かれた古びた杯――アビサルがどこからか取り出した、宝玉と対になる古代の遺物――に全神経を集中させていた。まさか、アビサルの戯れで、こんな奇跡が起こるとは。晴明の声もまた、喜びと驚きに震えていた。


「おじい様! 本当におじい様なの!?」翔の声は上ずり、涙で途切れがちになる。「よかった…生きてたんだね! ずっと…ずっと信じてたよ! どうしても…どうしてもじい様が死んだなんて思えなかったんだ…!」


 宝玉を両手でしっかりと握りしめ、翔は子供のように泣き出した。幼い頃から賢者の孫として、他の子供たちよりも早く大人にならなければならなかった彼が、今、純粋な喜びのままに涙を流している。


「翔…わしも…わしもお前に会いたかった」晴明の目からも涙がこぼれ落ちた。「あの後、わしはアビサル様と共に異世界へと飛ばされてな…この世界で、バーのマスターとして暮らしておる。元の世界には戻れぬのだが…こうしてお前の声が聞けるとは…本当に夢のようだ」


「あの時のこと…まだよく分からないけど…」翔は少し落ち着きを取り戻しつつ、涙を拭った。「おじい様が生きていたなら、それだけで…それだけで十分だよ。でも、どうして今になって…?」


『今日は、アビサル様の気まぐれでな』

 晴明は、横目でアビサルを見ながら説明を続けた。

『あの時、わしとアビサル様は力を使い果たし、異世界に転生した。今、お主の持っている三日月の宝玉と、わしがここで持っているその対の杯が、特別な因縁で繋がっている。それを利用して、アビサル様が…まあ、詳しいことは後で話そう。今は、お主の姿が見えぬのが残念だが、声だけでも聞けるのはありがたい』


 翔は宝玉を見つめ、少し考え込むような表情を見せた後、急に明るい声を出した。

「おじい様、描けた! この光の中に、顔を描くイメージをしてみたら…ほら、僕の顔、見える?」


 確かに、宝玉の中に翔の顔らしき像が浮かび上がっていた。少し曖昧で、チラチラと揺れているが、はっきりと少年の姿を認識できる。丸くなった顔立ちと、少し長くなった髪。子供から青年への過渡期にある、あどけなさと凛々しさが同居した表情だ。


『翔…!』晴明は感動で声が震えた。『大きくなったな! もう立派な青年じゃないか…』

 そして翔の方も、杯の中に映る晴明の姿を見ることができた。


「おじい様も…少し若くなったみたい?」翔は首を傾げながらも、嬉しそうに笑った。

『ああ、ここに来て、少し体が若返ったようなんだ』晴明も微笑んだ。


 その瞬間、二人の間に流れる時間は、まるで蜜のように甘く、ゆったりと感じられた。失われたと思っていた絆が、思いがけず再び繋がった奇跡の喜びに、二人は言葉を超えた感動を共有していた。


「おじい様…本当に会えて…」翔は言葉に詰まりながらも、精一杯の思いを込めた。「あの日から、毎日おじい様のことを考えてたんだ。おじい様の教えを思い出して、何度も何度も、こうだったらおじい様はどうするだろうって考えて…」


『そうか…わしのことを、そんなに思ってくれていたのか』

 晴明は深い感動に包まれていた。アビサルの世界では、時間の流れが異なるため、元の世界では既に数年が経過していることに、今更ながら気づかされる。翔は確かに成長していた。その眼差しには、以前にはなかった深みがある。


「うん!おじい様のおかげで、僕たちは新しい国を作ることができたんだよ! ルミナリア王国が倒れた後、みんなで力を合わせて、共和国を作ったんだ。おじい様が消えた後、霧隠の里の皆が中心になって戦ったんだ。僕はまだ小さかったから、みんなに守られてたけど…でも、みんなはずっと『晴明様の意志を継ぐんだ』って言ってくれてた」


 翔の言葉に、晴明は胸が熱くなるのを感じた。自分が残してきた仲間たちが、翔を守り、新しい国づくりに尽力してくれたことに、言葉にならない感謝の念が湧き上がる。


『そうだったのか…みんな、無事だったのだな。本当によかった』

 晴明の声は感慨深げだった。


「うん! みんな元気だよ! 仲間が地方の民の声を取りまとめるのに大活躍してる。みんな…みんな頑張ってるんだ!」


 翔の誇らしげな報告に、晴明は温かな微笑みを浮かべた。わずかな時間とはいえ、このように故郷の様子を聞くことができるとは、何という幸運だろうか。



第二幕:共和国の苦悩



 しかし、翔の表情が次第に曇り始めた。喜びの再会の高揚感が落ち着いてくると、現実の問題が再び彼の心に重くのしかかってきたのだ。


「おじい様…実は、共和国、今とても大変なんだ」


『どうしたというのだ、翔』

 晴明の声には、すぐに孫を案じる色が滲んだ。


 翔は少し言葉を選ぶように間を置き、深呼吸してから話し始めた。

「王政がなくなって、みんなで話し合って国を作ろうってなったんだけど…議会が全然まとまらないんだ!」


 彼の声には、若者特有の焦りと、責任感の狭間で揺れる不安が混じっていた。

「代表の人たちは自分の村や町のことばっかりで、全然言うことを聞いてくれないし、大事なことも決まらないし、毎日怒鳴り合いばっかりで…」


 翔は一気に言葉を紡ぎだした。彼の瞳から、現在の共和国が抱える混沌とした状況が浮かび上がってくる。


「僕、議員さんの見習いみたいなことをしてるんだけど…もうどうしたらいいか…」


 翔が目を伏せた瞬間、宝玉の中に映る彼の姿は、一層幼く弱々しく見えた。14歳という年齢ながら、国の未来を担う一人として、彼がどれほどの重圧の下にあるかは想像に難くない。


 晴明は、孫の置かれた困難な状況を察し、穏やかに、しかし力強く語りかけた。

『そうか…それは大変だな、翔。だが、お前がそうやって国のことを真剣に考えていることが、わしは何より嬉しいぞ』


「でも、僕、何もできなくて…」

 翔の声は沈み、肩を落とした。


『そんなことはない』晴明は優しく諭すように言葉を続けた。『まずは、落ち着いて状況を整理してみよう。議会がまとまらない一番の原因は何だと思う?』


 翔は少し考え込んだ後、今度はより詳しく、ぽつりぽつりと話し始めた。

「みんな、自分の地域の言い分ばっかりで、他の地域のことを全然知らないんだ。例えば、北部の代表は寒さ対策の資金を欲しがり、南部は灌漑設備の強化を求めて…でも、予算は限られてるから、どっちを優先するかでケンカになる。あと、何のためにこの共和国を作ったのか、その目的もバラバラな気がする…ある人は『平等な社会のため』って言うし、別の人は『豊かな交易のため』って…方向性がまとまらないんだ」


『なるほどな』

 晴明は深く頷いた。孫が状況をきちんと把握していることに、密かな誇りを感じながら。


「昨日なんて、議会で山岳地域の代表と平原地域の代表が、お互いを罵倒し合って大変なことになったんだ。僕が間に入って止めようとしたら、『子供は黙っていろ』って言われて…」


 翔の声に、微かな傷つきが混じる。


『なんと』晴明の声が一瞬強まった。『賢者の血を引くお前を、そんな風に扱うとは…』

 だが、すぐに晴明は冷静さを取り戻し、穏やかな声に戻った。

『いや、怒っても始まらんな。新しい国創りというのは、誰にとっても未知の挑戦だ。混乱があるのも自然なことかもしれん』


「うん…」翔は小さく頷いた。「だからこそ、おじい様の知恵が欲しいんだ。議会をまとめて、みんなで一つの方向に進むにはどうしたらいいのか…」


 翔の真摯な眼差しが、杯の中から晴明を捉えた。そこには、単なる子供の甘えではなく、若くとも一人の指導者としての責任感が宿っていた。それは、晴明の心を強く打った。



第三幕:賢者の知恵



 晴明は、孫の真剣な問いに、静かに、しかし確かな力を込めて答えた。

『そうか…それならば、まず試してみるべきことがあるかもしれん』


「本当!? 教えてください、おじい様!」

 翔の声には、期待と希望が戻ってきた。


『うむ。まずはな、議会に参加する全ての代表者が、それぞれの地域の状況や、今話し合っている政策がそれぞれの地域にどんな良いこと、あるいは悪いことをもたらす可能性があるのか、そういった情報を隠さずに共有することだ』


 晴明は、具体的かつ実践的なアドバイスを続けた。

『誰か一人が得をするのではなく、皆で良い未来を作るのだという意識を持つためには、まずお互いを知ることが大切だからな。例えば、北部の寒さ対策と南部の灌漑設備、どちらも大切だ。だが、それぞれの緊急性や影響する人口、長期的な効果などを、数字も含めて丁寧に比較すれば、何を優先すべきか、より冷静な議論ができるはずだ』


 翔は熱心に聞き入りながら、時折頷き、心に刻み込むようにしていた。

「情報を共有する…うん、確かにそうかも! でも、どうすれば皆がそれに同意してくれるかな?」


『そこがポイントだな』晴明は微笑んだ。『まずは、翔、お前自身が率先して、各地域の情報を集め、分かりやすくまとめてみるのだ。そして、それを元に議論することで、より実りある話し合いができることを実証してみせるのだ。百の理論よりも、一つの実例の方が人の心を動かすことがある』


「なるほど…僕から始めるんだね!」翔の目が輝いた。


『それから、もう一つ』

 晴明は指を一本立てて、さらに続けた。

『いきなり大きな問題を解決しようとすると、なかなか意見がまとまらんものだ。だから、まずは比較的皆が賛成しやすい、共和国全体の基本的な約束事…そうだな、例えば『共和国憲章の基本理念』とでも呼ぶべきものから話し合ってみてはどうだろうか』


『たとえば「すべての市民は平等に扱われる」「いかなる者も不当に自由を奪われない」といった、誰もが賛同しやすい原則からだ。小さなことでも、皆で何かを成し遂げたという経験は、きっと次に繋がるはずだ』


 翔の声が、更に明るくなった。

「そっか…みんなで同じものを見て、小さなことから始める…! うん、それならできるかもしれない! ありがとう、おじい様! やってみるよ!」


『ああ、頑張るんだぞ、翔』晴明は孫の素直な反応に目を細めた。『お前ならきっとできる。わしもこうしてお前の声が聞けたことで、どれほど心強いことか』



第四幕:神の皮肉と再会の約束



 その時、ついに ―― それまで黙って聞いていたアビサルが、わざとらしく大きなため息をついた。


「ふぅむ、これはいよいよ退屈になってきたな」

 アビサルは古びた本を閉じ、椅子に深く腰掛けながら言った。

「相変わらず甘っちょろい助言だな、晴明。情報共有だ? 人間という生き物はな、自分に都合のいい情報しか見ようとも聞こうともせんものだぞ」


 彼の皮肉な言葉が部屋に響き、翔の方にも届いたようだ。

『え…? 今の声は…?』


「私の声が聞こえるというのか、小僧」アビサルは面白そうに宝玉の方を覗き込んだ。「私がこうして貴重な力を使って、お前たち親子の涙ぐましい再会を実現してやったというのに、感謝の言葉もないとはな」


『ア、アビサル様…?』翔の声には戸惑いと緊張が混じっていた。『おじい様と一緒にいる時の神様なんですね…』


「ほう、なかなか理解が早いではないか」アビサルは嘲るような笑みを浮かべた。「それに、小さな成功体験だと? それが新たな利権争いの火種になるかもしれんとは考えんのか? まったく、おめでたい奴よ」


『う…』翔が言葉に詰まる。


 晴明は苦笑しつつ、アビサルに応じた。

「お前の言うことも一理ある。だが、試してみなければ何も始まらん。それに、人間は愚かかもしれんが、捨てたものでもないと、わしは信じたいのでな」


 アビサルは鼻を鳴らした。

「せいぜい足掻くがいい。だが、坊主、お前のその健気な努力が、徒労に終わる可能性も大いにあることを忘れるなよ。それに、どこかの世界のように、せっかく民主主義なるものを掲げておきながら、結局は声の大きい者や、金のある者が幅を利かせる茶番劇になるかもしれんぞ?」


 しかし、意外にも翔は怯まなかった。

『アビサル様、僕は覚悟しています。たとえ失敗しても、何度でも立ち上がって、より良い国を作ってみせます。おじい様がそうしてきたように』


 その力強い言葉に、アビサルは眉を上げ、意外そうな表情を見せた。

「ほう…面白いではないか。お前、案外骨があるな」

 それから晴明に向き直り、意味ありげな微笑みを浮かべた。

「なかなか興味深い孫をお持ちだな、晴明。少し、様子を見てやってもいいかもしれんな」


 晴明は、孫の意外な反応に誇らしげな表情を見せつつ、アビサルの言葉の裏に潜む含意を読み取ろうとした。それは、今後もこのような通信が可能かもしれないという、わずかな希望だった。


 その時、翔の声が途切れがちになった。

『おじい様…なんだか、声が遠く…宝玉の光も弱くなってきた…』


 アビサルが肩をすくめる。「おっと、そろそろお開きの時間らしいな。貴重な神の力も、そう長くは続かんのだ。また繋がるかは、私の気分次第だぞ?」


「翔!」晴明は焦りを抑えきれず声を上げた。「また必ず会おう! どうか…どうか元気でいてくれ!」

『うん、おじい様! 次に会う時は、もっと良い報告ができるように頑張るよ! またね! 絶対…!』


 宝玉の光が急速に弱まり、ついに翔の声も、姿も見えなくなった。バーには、再びいつもの静寂が戻る。



エピローグ:未来への約束



 晴明は、まだ興奮の余韻が残る胸を押さえながら、アビサルに向き直った。

「…礼を言う、アビサル。おかげで、翔と話すことができた」


「勘違いするな」アビサルは冷ややかに言った。「私はただ、退屈しのぎをしただけだ。それに…」彼は意味ありげに口元を歪める。「あの坊主が、お前の甘っちょろいアドバイスでどう変わるのか、あるいは変わらんのか。それを見届けるまでは、少し楽しませてもらおうと思ってな」


 晴明は、アビサルの言葉の奥に潜む意味を理解し、静かに微笑んだ。それは、この通信が一度きりのものではない可能性を示唆していた。


「そうか…ならば、お主の好奇心を満たせるよう、翔には頑張ってもらわねばならんな」


 アビサルはそれ以上何も言わず、再び本を開き読書に戻った。しかし、その口元には微かな笑みが浮かんでいるようにも見えた。


 晴明は、カウンターに向き直り、再びグラスを磨き始めた。遠い世界で奮闘する孫の未来に、一筋の光が差し込んだことを信じて。そして、またいつか彼の声を聞き、成長を見届けられる日が来ることを密かに期待しながら。


(二人が交わした約束の言葉は、ただの別れの挨拶ではなく、必ず再会を果たすという固い決意だった。その思いは、時空を越えて、確かに繋がっている。共和国の未来と共に、翔の成長を見守り続ける晴明の新たな使命が、静かに、しかし確実に始まったのだった。)


(第五話 完)

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