第八話 図書館

 授業の終わりを告げる鐘が鳴り、アシュリーは思いっきり伸びをした。凝り固まった肩をほぐし、大きく息を吐く。


「……おばあちゃんみたいだわ」


 隣でぼそと呟いたのはルチアだ。彼女とはクラスも同じであるため、ほとんど一日中そばにいる。アシュリーはわざとらしくむくれた。


「こんな長い時間、机に座って勉強したことなんてないんだもん、もう肩も腰も痛くって……あ、もうこんな時間? 私行かなきゃ!」


 時計を見たアシュリーが、いきなり立ち上がった。その忙しなさに苦笑しつつも、ルチアは優しく尋ねてくれる。


「今日も研究会?」

「ううん、今日はアルバイトの日!」

「ああ、言ってたわね。頑張って」


 ルチアの声にウインクを返し、アシュリーは教室を飛び出した。




 アシュリーの実家は農家だ。日々暮らすだけで精一杯の経済状況で、少なくとも娘を遠く離れた名門校に通わせる余裕などない。

 しかしアストルム魔法学園では、才ある者が貧苦を理由に門戸を閉ざされぬよう、積極的な支援を導入している。家計が一定の収入を下回る生徒は、学費と寮の費用が無償なのだ。

 ただ当然、他にも細々した生活費は必要だ。実家からの仕送りを期待できないアシュリーのような生徒のために、学園はアルバイトを斡旋してくれる。学園内の食堂や購買、街のイベントの手伝いなどだ。


 アシュリーが働くこととなったのは、学園の図書館だ。そこで司書の手伝いをするのが主な仕事内容である。

 今日は初日のため、広大な図書館の中を一通り案内された後、ようやく初仕事を任された。


「じゃあ、ここにある本を元の場所に戻してくれる?」

「わかりました!」


 この学園の図書館は、とにかく巨大だ。アシュリーの村にあった教会よりも広く、何より天井が高い。見上げるような高さにまで本棚は伸びて、そこにもぎっしり本が詰まっている。

 天井付近の本を手に取りたければ、浮遊の魔法を使うか、各所に設置されているからくり仕掛けのはしごを使うしかない。


(浮遊魔法、今は使えないからな)


 まだまだ新米のアシュリーは、ほうきがないと飛べない。今はほうきがないため、地道にはしごを使うしかなかった。

 しかし幸いにも、手に届く範囲の本ばかりだった。順調に棚を整理していき、いよいよあと一冊というところで。


「ん~……あと、ちょっと……!」


 絶妙に届かない高さだった。かかとを精一杯浮かせて背伸びをしてようやく、あと数ミリで手が届くというところまで辿り着く。これだけのためにはしごを使うのも面倒で、なかば意地になっていた。

 ぷるぷる震えながら苦戦するアシュリーのもとに。


「……何をやっているんだ」


 聞き慣れた呆れ声が届いた。すっと後ろから伸びてきた腕が、アシュリーの視界に陰を落とす。 振り向く前に、声の主がアシュリーの持つ本を奪っていった。


「これをここにしまえばいいんだな?」

「はい! ありがとうございます、グレン先輩……!」


 ようやく振り向くと、そこにはグレンがいた。アシュリーがあれだけ苦戦していた本を、背伸びもすることなくあっさりとしまってくれる。そういえば彼は背が高い。


「奇遇ですね。先輩、ずっと部室にいらっしゃるイメージでしたが」


 図書館のため、普段よりボリュームを抑えた小声で話しかける。今言った通り、アシュリーはグレンを部室の外で見かけたことがない。学年も違うので当然と言えば当然だが、それでもグレンが人前に出ることを好んでいない気配は感じ取っていた。

 

「この間の君と同じだよ。課題に必要な資料を借りにきた……君こそ、こんなところでどうしたんだ?」


 アルバイトのことはグレンには伝えていなかった。公爵子息たる彼の前で、金銭的に苦労しているなどと語るのが気恥ずかしかったのだ。

 とはいえ、隠すようなことでもない。髪を耳にかけながら、「じつはアルバイト中なんです」と打ち明ける。


「……ん? すまない、何て?」


 眉を寄せ、グレンが身をかがめてきた。ただでさえ身長差もあるところに、アシュリーの小声は聞き取れなかったらしい。

 端正な顔がすぐ近くに降りてきて、さすがのアシュリーも一瞬息を呑む。しかしすぐさま取り繕って、いつも通りに笑う。


「アルバイトです。ほら、私農家生まれって言ったでしょう? 自分でお金を稼がなくてはいけないんです」

「……そうなのか。それは大変だな」


 そう労ってくれる。グレンのような身分では、そもそも自分で働くという発想がないのだろう。未知の世界に触れたような顔だった。


「先輩は何の本をお探しですか? お手伝いしますよ」

「わかるか? 魔力軌道の解析についての本がほしいんだが……」

「どうしよう、聞き取れたのに理解できません」


 その難解な響きにアシュリーはくしゃっと顔を歪めてしまった。3回生はそんな本も読まなくてはいけないのか。

 そのとき、ふと視界の端で何かが光を放っているのが見えた。霞がかった月の光のような、ぼんやりとした輝きだ。

 

「……なんだろう、あれ」

「ああ。辿ってみるか?」


 首を傾げるアシュリーとは違い、グレンはその正体がわかっているようだった。


 光の正体は、壁に埋め込まれた石碑だった。表面には不可思議な紋様が刻まれ、その上の月長石が光を放っているのだ。アシュリーも先日見たことがある代物だが、正体は今もわからないままだ。

 光に気づいたようで、司書がやってきた。


「あ、また誰か逃げたな」


 その物騒な言葉にアシュリーは面食らう。他のアルバイトたちも、その真意がわからないようだ。


「えっと、それはどういう意味で……?」

「ああ。あのね、この石碑は昔使われてた探知結界を改良したモノで……いやそれはいいか。とにかくこうして光って、この図書館にある本の住人キャラクタが逃げたことを教えてくれる」


 言いながら司書が指を鳴らす。その途端、一冊の本がふわふわと宙を浮いてやってきて、彼女の手のひらに収まった。


「キャラクタが逃げる……?」

「そう。ここにはほんの一部だけだけど、魔法のかけられた本がある。無機物に命を吹き込む高等魔法……その住人キャラクタたちは、自由に意思を持って動くことができる。普段は大人しく物語の世界にいてくれるんだけどさ、たまに逃げちゃうんだよね」


 司書が手にした本をぱらぱらとめくった。絵物語のようだが、なるほど確かに、何枚ものページに不自然な空白があった。


「今回逃げたのはこの子、『竜の花嫁』っていう民話のヒロインだね。司書わたしが管理する図書館に、こんな不完全な本があるなんて認めない。君たちで連れ戻してきてくれないかな?」


 アシュリーを含む、アルバイトたちを見渡して司書は言う。


「学園の中には絶対いるはずだから。見つけてくれた子には、今日のお給料に銀貨1枚上乗せしちゃう」

「「「「もちろんやります!」」」」


 さすが、わざわざアルバイトに励むだけあって全員食いつきがいい。

 アシュリーももちろん例外でなく、やる気たっぷりに両手を握りしめた。


 他の3人は我先にと図書館を飛び出してしまったが、アシュリーはまず物語の内容を確認することにする。そのそばにグレンが寄り添う。


「乗りかかった船だ、俺も手伝うよ」

「ありがとうございます! この、『竜の花嫁』でしたっけ? 私ももちろん知ってますが、地域によって違いがあるだろうし、先にそれを確認しようと思いまして」


 ヒロインの欠落したページをぱらぱらとめくりながら、その内容を文字だけで追い始めた。




 

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