第2話 鬱屈

 沢田さんとの打ち合わせが終わって二週間。私はいまだに何も書けずに居た。何もしていない日々の進みは驚くほどに早くて、それでいて肉体をかすめるだけで、記憶に残りさえしない。

 時間の隙間を塗りつぶすように映画を見ても、読みかけの本を読み進めてみても、面白いと思うだけで、それ以上にはならなかった。朝起きて、アルバイトに行って、家に帰って、文字が湧かない焦りでレビューサイトで評価の良い映画を逃げるように見て。

 それをひたすらに繰り返していた。


 今日もアルバイトが終わった。通っている飲食店のアルバイト中に、お客さんが注文したものと違うと言った。私は確かに、ハンバーグプレートと聞いたはずだったが、お客さんはステーキプレートだと言い張った。ボイスレコーダーをまわしながら生活しているわけではない。どっちが本当にあっていたかはわからない。だけど、こういうときに悪いのは店員側になる。私は思ってもいない謝罪を口にして、キッチンに事情を説明してステーキプレートを急いで作ってもらった。昼の忙しい時間帯の、オペレーションが狂う私の主張に、キッチンのアルバイトが眉間にしわを寄せながら小さく舌打ちをしたのを、私は聞き逃さなかった。こういう事はたまにある。気持ちが削れて、自分が取り返しのつかない失敗をしてしまったという気持ちになって落ち込む。そのたびに私は、ここは私の居場所ではない、ここは私の居たい場所ではないと胸の中で何度も唱える。

 服を着替えて、食費を削って買った煙草を取り出した。随分前に買ったワイヤレスのキーボードの空箱に投げ入れてある、何十本ものライターを、手に取っては火をつけようとカチカチとレバーを引くが、何個入れ替えても中のガスは空のものばかりで、いら立ちばかりが募る。やっとの思いで付いた残り少ないガスから小さく点火した火に、これみよがしに煙草を近づけて、何度も息を吸って必死に灯した。

 煙草を吸いながら一息つきながらカレンダーを見た。ライブまであと一週間だった。日常に指標があるというのはいい。心待ちにしている何かがあるだけで、死なない理由ができる。いつか救われると信じながらも、終わらない日常にあきらめてしまいそうな中で、適切に思える道しるべをくれる。もう作家なんて潔くあきらめて、どこかの会社にでも属して、エンターテインメントを消費するだけの日々でも、きっとこの理由だけが私を生かしてくれるのではないか、と昼間にあんなことがあったのに都合よく考え始めた。灰皿に寝かされた煙草の灰が、煙草の形を保ったまま燃え尽きている。私は頭を振って感情をかき消した。だが、一度落ち込んだ気持ちは、なかなか戻ってはこない。

 今日は孤独が止まらない日のようだ。月に何度か、私には誰かに愛されたい夜がある。低気圧の影響か、アルバイトでミスをしたからか。それとも、生理前の途方もなく流れ込んでくる暗闇でできた感情の濁流のせいかはわからない。ただ、自分だけが世界で誰からも肯定されず、愛されていない気がする夜。だれかから愛されていないと、この世に存在してはいけないみたいな気になる。みんな家庭だの恋人だのが居て、みんな新しいステージでの悩みがあって。自分だけが人生をやっていないような、取り残されている感覚に陥るのだ。その波が来るたびに、大声を上げながら部屋中のなにもかもを捨てて、誰にも告げずどこかの暖かい国にでも身を潜めてしまいたいと思いさえする。だが実際に行動に移す勇気もなく、部屋のベッドの中で一人、身体を縮こまらせながら途方に暮れている。そういうとき私は、さみしさを水で薄めるためだけにマッチングアプリを開いて、少し男性とやり取りをしてみるのだ。だが、何人かとマッチをしてメッセージのやり取りをしているうちに、誰かに愛されたいが、あなたじゃないと思ってしまって、結局会うこともなく、メッセージの返信をやめてしまう。いつも同じことを繰り返すたびに、くだらなくすりつぶされていく沢山の時間に思いをはせて、一文字でも多く書いていれば未来は変わったんじゃないのかと自分を責め立てたりもする。ただ、自分を責める理由を探しているだけなのかもしれない。

 自分を高く見積もっている自覚は無いつもりだ。理想が高いわけでもないと思う。だがしかし、パズルのピースが世界中の誰ともハマらない気がして、もう恋愛市場からはずいぶんとご無沙汰だ。世間の人はどうやって人と恋愛をしているんだろう。私だって、落ち込んだら誰かに話を聞いてほしい。寄り添って、そういうこともあるよねとか、それは大変だったねなんて、ただ肯定も否定もしない言葉を吐かれたり、無言で抱きしめてほしいという感情はあるはずなのに。

 鬱々と考え始めたら止まらなくなって、私はパソコンを起動した。誰かに聞いてもらえないなら、画面に打ち込むしかない。執筆用のファイルを起動して、愚痴をひたすらに打ち込んでいく。これは、誰にも見せない私だけの日記だ。いつか、執筆に使えるかもしれないなんて思いながら、恥ずかしくて世には絶対出さないと自分でわかっているデータの集合体。

 永遠に日の目を見ない、私のひどく濁った腹の中。

 思う存分書ききったころ、時計は深夜一時をさしていた。明日も朝からアルバイトがある。

 今日も官能小説の執筆は一文字も進んでいない。

 やってしまった、とため息を吐いて、眼精疲労で痛む頭を抱えたまま、私は風呂場へとのろのろと足を運んだ。



 また、何も無いまま、何も書けないまま一週間がたった。

 冷たく澄んだ空気が布団の外から肺に入ってきて、カーテンの隙間から瞼をさすような快晴の光が部屋へと差し込んできている中、私はスマートフォンのスヌーズ機能で目が覚めた。昨日も執筆ができないまま、画面の前でずっと座っていた。ぼうっとしているだけで時間が進んでしまって、慌てて布団の中に入ったのは四時間まえだった。重たい頭をひっさげて、浮腫んでいつもよりも小さくなった目を隠すようにブラウンのアイシャドウを目に重ねて、いつ買ったか覚えていない量産品のTシャツとデニムを纏う。使い古して中敷きがはがれかけているスニーカーに足をはめ込んで、慌てて家を出ることにした。ライブ会場までは乗り継ぎをうまくすれば一時間。初めての場所だ。迷うことも考えれば一時間半と見積もるのが妥当だ。そう考えると、うだうだと家の中に居る暇はない。すぐに鍵をかけて、勢いに任せて家を出た。

 ライブに行く日の電車の中は、いつもよりも周りが気になる。同じライブに行く人が居る気がして、あたりを見渡してしまう。ライブが好きそうなTシャツを着ている人や、バンドを追いかけていそうな黒っぽい服装なのに派手な装飾をしている人をつい目で追って、私と違う駅で降りる姿に、少しだけ残念だななんて思ったりもする。

 乗る予定だった電車を少し見送る事になりながらも、なんとか乗り換えて、地図アプリに従って道を歩くと、ライブ会場についた。小さな歓楽街の中にぽつんとあるライブハウスは、近くまで行かないとライブハウスではなく倉庫のようだった。もうすでに会場前には人だかりができていて、いくつかの塊になってはしゃいでいる女の子ばかりだった。事前に大して調べずに来てしまっていたが、どうやら女性人気が高いバンドらしい。

 ゆっくりと来てしまったからか、整理番号を呼びかける案内はもうすでに始まってしまっていた。一時間半早く家を出てよかった、と安堵の吐息が漏れた。

 ざわめきの中で必死に、叫ぶ係員の声を拾おうと耳を傾ける。良かった、まだ私の番号は過ぎていない。聞こえてくる案内に従って、自分の番号が呼ばれるやいなや、人混みを割って会場内へと足を運んだ。胸が高鳴り、今から楽しいことが始まるんだぞと、身体が軽くなる。

 空いている場所に身体を滑り込ませて、開演時間を待つ。人が続々と入ってくるに従って、前へ前へと押し出されていく。詰めたからか、思ったよりもステージが近い。表情さえ見える近さだ。けして小さいとは言えないライブハウスだが、今日はラッキーだったのかもしれない。

 開演時刻が迫り、スマートフォンの電源を落として、下げていた小さなショルダーバッグに押し込んだ。別に機内モードなどでもいいのかもしれないが、何事からも一切の邪魔をしてほしくないという祈りのような癖だ。

 段々と、あたりのボルテージが上がっていくのを肌で感じる。来るぞ、来るぞ、という人々の胸の高鳴りと、体温の上昇が会場を包んで、冬なのにサウナのように熱がこもってきた。


 まわりの人間が、いっせいにステージに集中する。その意識の糸が私の頬をかすめた。

 深いブルーのライトに照らされて、バンドメンバーとおぼしき姿の人たちが配置についていく様子が、影絵のように浮き上がっている。

 そして一つの影がステージの中心に来て、マイクが一拍の呼吸の音を拾ったその瞬間に、ステージのライトの光が点滅して一気に、ここを見ろと光輝いた。

 脳に直接電極を刺したかのようになり始める爆音のギター。子宮を揺らすスネアドラムの鼓動。ボーカルの男性の不適な笑みと共に、雄たけびとも取れる長い長いシャウトが始まって。

 私はその瞬間、ステージに立つその男に、抱かれたいと思った。

 ああ、この男のセックスは、一体どれだけ情熱的で、激しくて、そしてケダモノのように淫らなんだろう、と。

 彼は太く、骨ばった指でマイクを握りしめ、奥歯さえ見える程大きな口で、のびやかな歌声を発している。額に汗を滴らせながら、睨むような目で会場を見ている。遠くへ向けられた突き刺すような視線が、歌にすべての神経を集中させていると物語っている。

 たくましい身体から発せられる一音一音が、私の心臓に命中して、破裂させて、感情を世界に弾けとばす。

 人生の最期に、耳が聞こえなくなってしまうその時が来るならば、私は彼の声を、この音を、最後に聞いて、この生涯を終えたい。

 気が付いたら、そんな音の中に私は居て、曲の合間に、出したことのないような大きな声で、賞賛の唸り声をあげていた。

 

 高揚の中、ライブが終わった。本を読みながら飲んでいた、コンビニのアイスコーヒーのストローを吸い上げると、急に出てこなくなったかのように、終わってしまっていた。

 かみしめるように、何度も何度も彼の姿を思い返しながら会場を出る。盛り上げるための緑のレーザービームに照らされた彼の輪郭。ブレスをどこでしているかわからない程の複雑な譜面。肺にいっぱいの呼吸を吸いこんで、胸を張って仁王立ちする、その太もも。興奮と熱狂の渦の中にあったライブを思いだしながら、白昼夢の中にいるような感覚に支配されながら、自動で動く脚に任せて、駅のホームに上がった。いつも乗るときは、まだ来ないのかといら立ちさえ覚えていたはずの電車さえも、急に目の前に現れるほどに。

 電車の中で、熱に浮かされた身体のいたるところが、彼に触れてほしいとジンジンと主張をしている。頭が彼とのセックスをしきりに妄想を始める。私は帰路につきながら、家のドアの前に到着するまで、ずっとその妄想に取りつかれた。


 それからというもの、まるで病気のように毎日、電車で、スーパーマーケットで、バイト先で。何度も何度も、取りつかれたかのように彼の身体の、鍛えられた線を思い出して、彼のズボンの下の興奮を想像していた。

 太い指の先は、きっと深爪なほど切られている。マイクを握る手は大きくて、私の乳房を締め上げるように鷲掴むことができる。歌っているときの見下すような視線は、きっと私がフェラチオをするときのような表情だ。強く大きな腰は、浅く打ち付けるなんてことはしなくて、もっと乱暴に私の中を奥までかき乱す。

 時々我に返って、こんなことを妄想しているだなんて気持ちが悪いと思って首を振っても、それを上回るスピードで妄想が頭の中を独占し、塗り替えていく。

 そんな日々が何日も何日も続いた。ついに私はいてもたってもいられなくなり、食材の買い物に来ていたスーパーマーケットから足早に家に帰って、ドアを開けるやいなや、かばんも床に投げうって、化粧も落とさずにパソコンの前に座った。



『彼は私に覆いかぶさった。見つめながら出方をうかがわれている気がして、体を少し下に下げて、彼にすっぽりと収まるような体制になった。

少し焼けた首筋に、一筋の汗が滴っていく。その汗の粒が、彼の乳首に差し掛かって、薄暗い関節照明の光を反射させて、宝石のようにきらめいている。

 私はその汗の粒をなめとるように、彼の胸元に唇を落とした。乳輪をよけるように胸板に何度も吸い付いて、彼の身体の形を唇で確かめた。首から下げられたゴールドのシンプルなネックレスが浮いて、私のあごに当たった。ネックレスは、緩やかに彼の体温を奪っているようで、人肌程度に暖かかったが、彼の均整の取れた肉体は、より暖かかった。

 そっと抱きしめるように背中に手を伸ばすと、彼の肩の端まで暖かく、ボディーソープの香りに包まれる。

 ぴったりと押し付けられた下腹部に、彼の硬くなったソレが触れている。

 行為が始まる前から、彼は私に興奮しているその事実が、私の秘部を濡らした。

 胸板に何度もじらすように唇を落としていくと、胸のとがりが小さく主張を始める。期待に胸を膨らませたそのとがりが、小さくもいじらしく、ここにあると主張をするのが可愛い。この可愛い、はきっと、愛しいという意味だ。

 期待に応えるように乳首に柔らかく舌を絡めると、彼の身体がピクリと反応した。小さな吐息を私のつむじに落として、彼の左手が私のバスローブの胸元から、胸のふくらみへと滑り込んだ。

 彼が乳房をやさしく手のひらで包み込み、柔らかさを堪能するように揉む。胸の柔らかさに魅入られている彼に、胸を少し張り差し出した。次第に彼の親指が、乳輪の大きさを確認するように、すりすりと撫でまわす動きへと変わった。私の身体が跳ねて、もっともっとと彼の手にアピールをする。彼は柔らかく、そのたれ目を細めると、指で優しく乳首を摺り上げた。

「あっ……」

 演技無く、口から声がこぼれた。歓喜の声だった。

「どういうの好き?」

 彼の低い声が、耳に直接吹き込まれた。

 本当は好きなやり方がある。自分でしているときのやり方だ。だが、口に出すのが恥ずかしくて、黙り込んでしまった。

「教えて」

 彼が追い詰めるように言った。

「いましてくれてるの……好き」

「へぇ……良かった」

 彼の指がすりすりと、乳首を撫で上げて、その度にじわじわ下腹部に熱がたまっていく。触っていなくても、私の下半身がびしょびしょに濡れて、彼を今すぐ受け入れたいとうねっているのがわかる。膝をすり合わせて、すでに触れてほしいと濡れそぼる局部を、少しでいいから満たせないかと身を捩る。

「まだ」

 そう言うと、彼は私の胸元の愛撫から手を離さずに、吐息を包み込むように口づけを落とした。何度も、ついばむように唇を押し当て、舌で唇を割り、中を暴いて、口の中が性器になったかのように蹂躙した。

 一通り呼吸さえできないほど口の中を乱した彼の口元は、ゆっくりと頬へ移り、次第に首筋へと降りた。そして鎖骨に吸い付くと、私のバスローブの腰ひもをほどき、身体を露にすると、挑発的な眼差しを私に向けたまま、胸先へと吸い付いた。

「ああっ!」

 待ち望んでいた強い刺激に、私の身体は跳ねた。快楽で行き場をなくした私の手が、彼の少しパーマのかかった頭を抱え込んだ。

「痛く無い?」

「あっ……あっ……!」

 返事もできず、快楽に身を委ねる。彼の舌が、私の胸に吸い付いて、硬くなってしまったその蕾を舌で何度も叩いた。下腹部にぐっと力が入って、ゾクゾクと何かが這い上がって来る感覚がした。

 彼の手が、ゆっくりと下へ降りていく。触れるか触れないかの強さで、迷いなくうち太ももへと到達した指先が、濡れそぼった蜜をすくい上げながら、ピンと張り詰めた淫核を、撫でた。

「ひぁ……!」

 息を吸い込みながら出た高い喘ぎ声が、広いラブホテルの部屋に広がって、薄暗闇に溶けた。彼の指は、とめどなく蜜をこぼし続けてぬるつくソコを、優しく指で何度もこすりあげる。つま先から電気が走るように、じわじわとソコに絶頂が溜まって、私を天国へと導いた。

「イ、イく、イっちゃう……」

 掠れた切ない声で、許しを乞うように彼に告げた。

「いいよ。好きなだけ」

 彼の手は、速くするでも強くするでもなく、ただずっと同じように動き続けた。

「んあっ……!」

 私はその波に身を任せて、全身を硬直させ声にならない声を上げながら絶頂した。

「はあ……あぁ……」

 私は一気に力の籠った身体を緩和させ、乱れた呼吸を整えようと、定まらない視点で天井を見つめた。

「疲れた?」

 彼の普段はへの字に曲がっている口の端は、楽しそうに上へと湾曲している。

「大丈夫です……」

 私の口をついた言葉は強がりだった。ここでダメだと言ったら、これより先には進めない。まだ奥は、彼を求めてうねり、早く彼の大きく熱を持った快楽の棒を飲み込み、身体だけではなく心まで満たされたいと懇願している。

「じゃ、まだ大丈夫そうだね」

 彼の手が私の秘部に再び伸びた。もうドロドロで、グズグズで、滑るなんてものじゃないほど濡れそぼったその穴に、深爪に切られた太い中指が、探るようにゆっくりと奥へと押し込まれた。

「痛かったら言って」

 彼の中指が、私でさえ知らなかった中の腹側の、柔らかいところを押した。

「あっ……」

 膀胱を内側から無理やり押されて、強制的に失禁するような感覚に近い、何かが脊椎を伝って一気に身体を駆け巡った。ただ、その感覚は不快感ではなく、間違いなく快楽を孕んでいる。漏らしてしまうのではないかという羞恥心の混ざった、得も言えぬ快楽。

 そのまま彼の指が、何度もそこをトントンと押す。そのたびに内側から、自分の何かが暴かれて、押し出されて、我慢できなくなる。

「あっ……あっ……。だめ、だめ。それ、だめ」

「だめ?」

 壁を反響して返ってくる声は、自分でさえ嫌がっていない声色だ。

「本当にダメならやめるけど、どうする?」

 指を止めて、掠れた低い声で彼が私に問う。彼は意地悪だ。そしてその意地悪が、今は最高にスパイスに感じてしまっている。本当はこういう風に私は抱かれたかったのだと認識させられて、恥ずかしくて、たまらなくなって、それでいて気持ちがいい。自分から負けにいっているのではない。自分から演じて服従しにいっているのでもない。彼は私よりも、一枚も二枚も上手で、それを彼自身も知っていて、それがたまらない。

「やめないで……」

「うん」

 彼はまた、私の中の指を、優しいリズムで動かし始めた。けして狂うことのないそのテンポに、せき止められていた泉がゆっくりと押し出されて、シーツを濡らしていく。

「あっ、ああっ」

 男の手が、不意に少しだけ強くなった。たった二、三回だけ強くなった指に、私は目を見開いた。先ほどまでとは全然違う、これを続けたら、何かが出てしまう。

「続けていい?」

「そ、それはだめ……でちゃう」

「でちゃう?」

 本心は、せき止められている何かを出してしまいたい。それも思い切り。

 でも怖い。自分の人としての何かが剝がされて、ただ快楽を追いかけるだけの獣になってしまう気がした。

「やだ……」

 駄々っ子のように言った私の言葉とは裏腹に、彼の手はこの行為が始まってから初めて私の制止の言葉を無視して動き続けた。未知の快楽に怯えているだけで、本当は期待していることを、私よりも彼のほうが知っているようだった。

「あっ、ああ、ああああっ! だめ、だめ、だめ、だめ!」

 半ば悲鳴のような声を上げながら、枕を両手でしっかりとつかんだ。足の間から、沢山の液体が噴き出る感覚がする。

「ああっ……あっ……」

 全身から力が抜けて、多幸感を纏った倦怠感に襲われる。頭に妙な霧がまとわりついて、ぐったりと力なく、秘部さえさらけ出したまま横たわった。無理やり失禁してしまったような恥ずかしさと、妙な達成感と、イってしまった感覚がごちゃ混ぜになって、隠れてしまいたかった。

 彼の手がベッドボードの小箱に伸びた。私の頭の横に手をついて、片手でコンドームを取り、口で封を切って、大きくなったソレにはめているのが、ぼんやりとした視界に映った。

 彼が私の片方の脚にまたがり、そのままずっと願っていた怒張を押し当てた。

 そのまま、ゆっくりと大きなそれを奥まで押し込める。

「んあっ……」

「んっ……」

 彼は小さく息を吐くと、そのまま最奥を押し上げるように腰をグラインドさせていく。

「あっ……あっ……」

 私の片足を抱え込み、腰を突き出すように何度も何度も、奥に向かって彼は腰を振った。

 もうこれ以上は入らない。そう思うよりももっと奥を目指して押し当てられる彼の熱棒は、彼を受け入れたいとずっと望んでいた奥に優しく押し込んでは、離れて、また押し込む。全身に、もう受け止められないほどの快楽があふれかえって、真っ白な頭で彼の身体へと手を伸ばす。

「あっ……きもちい……きもちいい……」

 彼は太ももから手を放し、その手に指を絡めると、優しく握って自分の頬へとあてた。今、セックスをしているのは自分だと、私に刻み込むように。

「うつ伏せ」

 怒張を引き抜いた彼が、余裕の無い声で言った。

 私は彼に従い、最後の力を振り絞るように身体をひっくり返し、柔らかくお尻を突き出して、彼を誘い込むように脚を開いた。

 再び彼の怒張が押し込まれて、背中から彼の重みと体温が広がった。

 彼の身体が、大切なものを隠すように私を包み込んで、彼の逞しい腕が、私の首に絡みついた。

 何度も押し付けられる腰と、縋るように絡みつく腕と、全てを預けるような彼の重みで、苦しいやら気持ちがいいやら、何がなんだかわからない。苦しい事さえも気持ちがいいのかもしれない。夢中で、何も考えられなくなって、いつから自分が絶頂しているのかさえも、曖昧になって、彼の身体に私の身体が吸い付いて、半ば溶けてしまっているようにさえ感じる。

 彼の唇が、私の首筋に何度も押し当てられる。執着のようなその口づけに、反応できないまま、もうこれ以上は無いと思っていた熱情も、絶頂も、毎秒更新されていく。

 ここに居るのは、ただ身体をむさぼりあうだけの獣だ。

 ここにあるのは、たった二つのお互いを求めあうだけの魂だ。

「んっ……出る……」

 彼が小さく呟いた。

 ずっと一定だった彼の腰が、自分のためだけの速い動きに変わった。その衝撃に、私は彼の腕に自分の手を重ね、ぎゅっと掴んだ。

 私の中で、彼の脈動を感じた。薄い隔たり越しに、自分の液体を奥に押し込むように数回、彼のソレが動いて、そして抜かれた。

「はあ……」

 額に汗の球を浮かべた彼が、私の横にゴロンと寝転がった。

 彼の手が、私のまだ熱を持った肩の輪郭を確かめるように撫でた』



 気が付けば、部屋の家具が薄く光に照らされて輪郭が見えている時間だった。

 ひどい熱に浮かされたまま、たたきつけるように私は書きなぐっていたのだった。

 瞬きさえないがしろにするほど集中して打ち込んでいたようで、目が痛い。化粧をしたまま何時間もたって乾燥した肌が、ガサガサと不快感を伝えてくる。汗をかいてそのままにしていた頭がべたついて痒い。

 そして何よりも、体のいたるところが疲労を訴えていて、泥が絡みついたように重い。

 固まってしまった身体を一気に伸ばして、私は気力だけでフラフラと風呂場へと向かった。

 

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