第2話
目の前に広がったのは、SF映画で見た未来都市そのものだった。虹色に光るネオンサインが瞬く超高層ビル群。その中心にそびえ立つ、巨大な円形ドームスタジアム。上空には無数のドローンカメラが星屑みたいに舞い、観客席を埋め尽くすアバターたちの熱狂的な歓声が、地鳴りみたいに僕の鼓膜を震わせる。
「これが、アストラル・アリーナ」
思わず呟いた声は、周りの喧騒にかき消されそうだった。VRゴーグル越しに伝わる熱気は、僕が知っているAIブレインバトルの静かな世界とはまるで別物だ。もっと原始的で、衝動的で、圧倒的な「ライブ感」。心臓が、スタジアムの重低音に合わせてドクドクと高鳴り始める。
「すごいでしょ? まるで本当にスタジアムにいるみたいじゃない?」ミオ姉の声が興奮気味に囁く。僕の視界の隅で、彼女の青い鳥のホログラムがくるくる回っている。「今日の試合は、『ALJ スプリングシーズン・プレーオフ』の準決勝。優勝候補の『ヴァルキリー・ストライク』と、ダークホース、『ノヴァ・ダイナスティ』の育成チームの一戦よ。そして、そのエースが」
ミオ姉が言葉を切った瞬間、スタジアム中央の巨大スクリーンに選手たちが映し出された。屈強な戦士風アバター、サイバーパンクなガンスリンガー。その中で、僕の目を釘付けにしたのは、ミオ姉が指し示した小柄なプレイヤーだった。
「あの子よ! 『Kokemusuiwa』! スプリングシーズンのシンデレラガールなの!」
黒と淡いピンクのスタイリッシュな戦闘服。顔はバイザーで隠れて表情は分からないけれど、華奢な身体には張り詰めた緊張感と強い意志が感じられる。隣には、黒豹みたいなシャープなAIバディ、『カブト』が静かに佇んでいる。
「さあ、両チーム、アリーナ中央へ! 世紀の一戦の火蓋が切って落とされます!」アナウンサーの絶叫と共に、スタジアムの照明が明滅し、重低音のBGMが鳴り響く。
試合開始のブザー。
次の瞬間、視界は目まぐるしいアクションで埋め尽くされた。プレイヤーたちが三次元空間を飛び交い、壁を蹴り、宙を舞い、目にも止まらぬ速さで銃弾を撃ち合う。レーザーが交錯し、爆発の閃光が視界を白く染める。
「うわっ!?」あまりの速さに目が追いつかない。一手一手考えるAIブレインバトルとは違いすぎる。
「やっぱり、動きが速すぎて目で追えない。こんなの、僕には無理だ」
弱音を吐くと、ミオ姉が優しく声をかける。
「大丈夫よ、翔太。最初はみんなそう。でも、よく見て。ただ撃ち合ってるわけじゃない。ちゃんと戦術があるんだから」
ミオ姉は、まるでベテラン解説者みたいにポイントを教えてくれる。
「ほら! 今の敵の動き、Kokemusuiwa選手は完全に読み切ってたわ! あの位置にトラップを仕掛けて誘い込むなんて、大胆!」
「あそこであのアルティメットスキルを使うなんて! 普通なら温存する場面よ! でも、おかげで敵の陣形が一気に崩れた!」
ミオ姉の言葉を頼りに、必死で画面に食らいつく。最初は光と音の洪水だった戦いが、徐々に高速で展開される三次元チェス盤のように見え始めた。キャラクターたちの動き一つひとつに意味があり、AIバディとの連携が戦況を変えていく。
そして、その中でもKokemusuiwaとカブトの動きは、明らかに異質だった。
他のペアが、AIからの情報や提案を受けて動いているのに対し、彼女たちは、まるで言葉を介さずに、一つの意識で動いているみたいだ。滑らかで、予測不可能。
その瞬間は、試合中盤、Kokemusuiwaのチームが絶体絶命のピンチに陥った時に訪れた。
三人の敵に完全に包囲され、退路も断たれた。観客席からも悲鳴が上がる。
「ダメか!」
僕がそう思った瞬間。
Kokemusuiwaのアバターが、ふわりと宙を舞った。いや、舞ったというより、まるで重力から解き放たれたように、予測不能な軌道で敵の集中砲火を回避し始めたのだ。人間の反射神経だけでは不可能な動き。カブトの黒い影が、彼女の動きに完璧にシンクロし、時には盾となり、時には見えない糸で導いているかのようだ。
まるで、二つの魂が共鳴し、一つの美しい旋律を奏でながら戦場を舞っている。
そして、ほんの一瞬の隙。
Kokemusuiwaは、踊るような回避から一転、カウンターの閃光を放った。それは、敵チームのエースプレイヤーの懐に、吸い込まれるように突き刺さる。
一撃。たった一撃で、戦況は覆った。
スタジアムが、割れんばかりの歓声とどよめきに包まれる。
「信じられない」
僕は、VRゴーグルを装着していることすら忘れ、呆然と呟いていた。
「あれは、本当に人間とAIのコンビなのか? まるで、彼女の思考とカブトの予測が、完全に一つになっているみたいだ」
「これが『カブト・レゾナンス』の片鱗なのよ、翔太」
ミオ姉の声も、心なしか震えている。
試合はその後も激闘が続いたが、最終的にはKokemusuiwaのチームが劇的な逆転勝利を収めた。スタジアムの熱狂は最高潮に達し、「Kokemusuiwa! Kokemusuiwa!」というコールが嵐のように鳴り響く。
勝利者インタビュー。
ヘルメット(バイザー)を取ったKokemusuiwaの素顔が、一瞬だけスクリーンに映る。色素の薄い、大きな瞳。まだ幼さの残る、しかし強い意志を秘めた表情に、僕はなぜか目を奪われた。
けれど、彼女は勝利の興奮を微塵も見せず、インタビュアーの質問にも、ただ静かに、短い言葉で答えるだけだった。
「チームと、そして、カブトのおかげです」
その声は、鈴の音のように涼やかで、どこか儚げだ。彼女の首元には、小さなアクセサリーが光っている。確か、ファンコミュニティで誰かが「苔桃のモチーフじゃないか」と騒いでいたものだ。
インタビューの途中、敗北した相手チームのリーダーが悔しさを滲ませながらもKokemusuiwaに握手を求めた。彼女は応じ、何か短い言葉を交わす。相手プレイヤーは驚いた顔をしたが、すぐに深々と頭を下げた。勝敗を超えた、アスリート同士の敬意に満ちた光景だった。
「すごいな」
僕は、知らず知らずのうちに呟いていた。強さだけじゃない。彼女の立ち振る舞いには、孤高の気高さと、言葉にするのが難しい、深い「何か」が感じられた。
「翔太、今の彼女の言葉、読唇術AIで解析したわよ。『あなたの魂の輝きは、本物です。次の戦場では、必ず私を超えて』ですって。相手をリスペクトする姿勢、素敵ね」
ミオ姉の報告を聞きながら、僕はスクリーンに映るKokemusuiwaの姿を追った。
大歓声に包まれながらも、彼女はどこか、その喧騒から一人だけ切り離されたように静かに佇んでいる。その姿は、圧倒的な強さと裏腹に、なぜかとても孤独に見えた。
「あの人、あんなに強いのに、なんだかすごく寂しそうだ」
僕の口から、ふとそんな言葉が漏れた。
「え? どうしてそう思うの?」ミオ姉が不思議そうに尋ねる。
「分からない。でも、ただ、そう感じたんだ。あんなにたくさんのファンに囲まれているのに、彼女だけが、まるで違う世界にいるみたいに」
VRゴーグルを外すと、現実の部屋の静けさが心に染みた。窓の外はすっかり夜の闇だ。
頭の中では、まだアストラル・アリーナの熱狂と、Kokemusuiwaの鮮烈なプレイが渦巻いている。AIの最適解から逸脱しながらも、それが究極の選択となる瞬間。人間の直感とAIの論理が奇跡のように融合した時の息をのむような美しさ。
「面白い。これが、ミオ姉の言っていた『相棒感』、AIとの真の連携っていうものなのかもしれない」
僕の心には、新しい知的好奇心の炎が灯っていた。それは、単なる戦術分析を超えた、Kokemusuiwaという一人のプレイヤーと、その特異なAIバディ「カブト」への強い興味だった。
「気になるなら、Kokemusuiwaのファンコミュニティ、覗いてみる? 彼女の情報とか、ファン同士の考察とか、色々交換できるわよ」
ミオ姉が、僕の心の変化を敏感に察知して提案してくる。
僕は、無言で頷いた。
今夜の衝撃的な観戦は僕の日常に、そして僕のAIに対する見方に間違いなく大きな波紋を投げかけていた。そして、その波紋の中心には、黒とピンクの戦闘服に身を包んだ孤独な天才少女の姿があった。
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