(29)ユカ先輩とカナ先輩
高校までより長い夏休みが終わって、姉のアズサはまた大学に通い始めた。高校の二年先輩にあたる女子学生はユカ、アパートの隣室の一年上の学生はカナといい、アズサはすぐに二人と仲良くなった。大学でも、時間が合えば、よく三人で学生食堂の昼食を食べた。ユカはアズサと同じ社会学部の三年生だったので、大学の勉強でも大変に世話になっている。
「ユカさん、どうして大津からこの大学に来はったんですか?」
アズサが尋ねたことがあった。ユカは、
「うーん、ウチ、やっぱり住む環境を変えたかったんかな。かといって、東京や大阪やと、ちょっとベタやん。大都会はコワいし、よう住まん」
と笑いながら答える。その考えに至った経緯はアズサとは異なっているだろうが、地元の景色と違うところに住んでみたい、という考えは同じだったことに妙に安心した。
一年上のカナは、この大学の英文科に通っているが、山梨県内の出身だった。自宅から通おうと思えば通えなくはなかったものの、アズサと同じ、大学のそばのアパートに住んでいる。
「アタシ、高校が結構家から遠かったんで、大学は歩いて行けるところがいいなって思ってて、で、この大学のそばのアパートが一番安かったんだ」
と、入学する大学の場所で住むアパートを決めるのではなく、住むアパートの家賃で行く大学を決めたことを白状しながら明るく笑った。
秋口になると、三年生のユカは、就職活動を本格的に始めるようになった。社会学を勉強しているので、文系的な就職先を探すのは当然のようだったが、中でも地理に興味があるらしく、結局、地図や測量関連の会社を志望していた。とはいえ、「大都会は怖い」と思っているので、都心の会社にはあまり関心がなく、東京西部、多摩地域の中堅企業をいくつも回っていた。そのため、ユカは大学の授業の前後に東京に行くことが多く、大学でも、お約束の黒い就活スーツに白いブラウス、横わけポニーテール姿でアズサと会うことが多くなった。ユカはアズサと会うと、
「やっぱりここから東京は遠いわ。都心はもう無理。甲武国境を越えたところがウチの着地点かも」
と、さすが地理好きのような用語を入れて話していた。アズサは、ヨウスケに巨椋池の話をしたように、一応地理は好きな方であったが、就職先として技術系企業を選択肢に入れる気にはならなかった。高校三年間、文芸部にいたこともあり、どちらかというと文章を取り扱うことに興味を持っていた。いや、それより、さっそうとした就活スーツの先輩を見て、
「ユカさんみたいにきれいなポニーテールにするには、まだウチの髪の毛は足らんなぁ」
と、のんびり屋全開の感想が先に出る。それを正直にユカに告げると、
「あと二年もあれば、就活のときはアズサも十分ロングやん」
あまりに当然の回答を言われて、アズサはふと、「自分は目先のことだけ考えて生きてきたのか?」と、妙な不安感にとらわれた。
この大学に入学することを決めたのも、もとはと言えば、Kポップの聖地の東京の新大久保に行きたい、という話から、たまたま自分の名づけの元になった特急に乗せられ、初めて近くで見た富士山に魅入られて決めたようなものだ。その時の心の動きも、弟のヨウスケの「大阪湾まで流れる」という、よく分からない想像の話から生まれている。
大学以前に、卒業した高校に志望校を決めたのも、自宅から電車で一本で行けるという理由が大きかった。自宅から歩いて行ける県立高校もあったが、アズサにはやや難しいところだった。電車で一本で行けるところには別の県立高もあるが、こちらは県内一の難関校なので、アズサはさっさと、その難関校より二駅先で降りる、入試の易しい高校に決めた。
「ウチ、流されて行った先の駅で学校を決めるんかな?」
確かに今の大学も、初めて乗った電車で通りかかった駅の駅名標を見て決めたも同然であった。この分だと二年後の就活でも同じことになるかもしれない。どこかの町に流れて行く想像をして、その町の駅のそばの会社に就職するのか。するとここで、もう一つの考えがアズサの心に浮かんだ。
「え、でもそれで割とうまくいくんちゃう、ウチ」
高校では、文芸部に入って文章の面白さがだいぶ分かってきた。アイやリナという親友もできた。大学も、毎日眼前に雄大な姿を見せる富士山を仰ぎながら勉強している。入学したときから、ユカやカナという先輩にも恵まれた。
「ま、ええやん」
やはり、生まれつきののんびり屋なのだろう、自分のことなのか、そうでないのかよく分からないようなまとめ方をして、アズサは、二年後にはユカのようなきれいなロングになっているといい、というような手つきで、自分のボブヘアの毛足を触った。
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