(8)旅行計画
京都に行くにも京阪電車を利用するヨウスケは、割合と乗り物が好きだ。父にバスの予約をしろと言われてもまんざらでない様子だった。早速、自分のスマートホンでバスを探す。ヨウスケは画面を見ながら父に尋ねる。
「往復ともバスなん?」
「せやな。おまえたちは若いから大丈夫やろ。オレは腰をいわせるやろな」
苦笑いしながら父が答える。
「お姉ちゃんはそれでええん?」
「うん、別にええよ。新大久保でグッズ買って、焼肉食べたらええやん。ウチ、行きも帰りも寝ていくわ」
ヨウスケは、姉が全く乗り物に関心ないことが容易に分かった。そうであれば、自分はバスの窓側、姉は通路側の席にすればいい。ヨウスケは乗り物の車窓から景色を見るのが好きだった。
「お姉ちゃん、東京行ったら、あずさに乗らんの?」
ヨウスケが姉に唐突に尋ねる。姉はアズサという名前であった。この名前は、姉が生まれた時に両親が相談して決めたもので、姉本人も気に入っている。しかし、その決め方自体は姉本人は嬉しいと思うより、ちょっと変わった名づけであった。
姉が生まれた日、父は、出張で山梨県にいた。仕事を終え、大津に戻るためにJR中央線の特急あずさに乗って新宿経由で東京駅に向かう時に、ガラケーのメールに、娘が生まれた知らせが入ったのである。実際の出産予定日は一週間ほど先だったので、父は安心して山梨出張に行っていた。もちろん出産のときは立ち合おうと思っていたのだが、留守番をしていた母は急に産気づいて、父の出張中に娘を生んだのだった。
父は、相当なのんびり屋で、娘が生まれるまで名づけをはっきりとは決めていなかった。急な出産の知らせで、嬉しい驚きを感じたその時、乗っていた特急の車内放送で、「この列車は特急あずさ、新宿行きです」という声が聞こえた。その時に、「あ、あずさか。ええな」と、父は娘の名前を決めてしまったのである。帰宅後、産院に向かい、父子対面を果たし、数日後、母子が家に戻ると、ようやく夫婦で娘の名前を考えるようになり、そのときに、父が「アズサはどうや?」と提案した。その名前を母も気に入り、めでたく娘の名前は「アズサ」になったのだが、その由来が母に知れたのは、出生届を出した後だった。
なので、母はいまでも、「お父さんは、アズサが生まれた時に乗ってた特急の名前から名前を付けたんよ」と娘に話して、娘と一緒に「お父さんはそういう人やから」と父親いじりの肴にしたりする。もっとも、アズサという名前は、両親も本人も気に入っているので、ちなんだものが特急の名前でも特に気になってはいない。あくまで父親とのコミュニケーションの材料としているだけのようだ。
この話はもちろんヨウスケも知っていて、だから姉には、東京に行ったら新宿から特急あずさに乗ってみたらどうだと水を向けたのだが、姉は全然のってこない。
「なんで東京に行ったのに、わざわざ山梨行きの特急に乗らなあかんの?」
と至極当たり前な返答をする。
「特急あずさは新宿発や。新大久保なら新宿は隣やん」
「新宿が隣でも山梨に用はない」
「特急乗ったら、ホームで電車と一緒に写真撮ったるから」
「いらんて」
このやりとりを聞いていた父は、
「そうか、アズサは特急あずさに乗ったことなかったな」
と、この機会に、名づけの元となった列車に娘を乗せてやりたくなった。
「お父さん、いらんて。ウチ、コリアンタウンに行きたいだけや」
姉は少々の拒絶はしたものの、父の心の中には、ヨウスケが言ったように、娘を名づけの列車に会わせてやりたい気がしていた。
「余計なことゆうてから」
姉はヨウスケをちらとにらんだように思えたが、ヨウスケはもう自分のスマートホンでバスの予約を進めていた。
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