二ノ二・変えてしまうヒト、変えられてしまう人

 壯須の元を訪ねた、その後。小杉編集長に言いつけられた中華街での用件は、雄憲への交渉の他にもう一つあった。

 行きとは別の角を曲がると、雰囲気の全く違う別の道へ出る。胡散臭いパワーストーン屋もない、所狭しと立ち並ぶビルもない、もう少しゆとりのある通りだ。

 目的の占い処には下手な客引きもおらず、むしろ客が外まで行列を作っているくらいだった。中華街で今一番人気の占い師がここにいるらしい。

 取材もルポもとにかく数をこなせ、というのが小杉の新人教育の方針で、志羊も千本ノックか百人組手かというほどに、占いだの心霊スポットだのあちこち行かされているのだった。

 志羊はもともと、オカルトなんて理屈で説明できるもの、超常なんてデタラメ、霊感なんてハッタリ、という持論で生きている――最近少しばかり、揺らぎ気味ではあるが――。占いも当然信じてはいない。わざわざお金と時間を使って人の言葉に惑わされに行くなんて、仕事でもなければ絶対にしたくないのだ。しかし小杉がなぜか、自分には無関係な雄憲の件に協力的になってくれているので、嫌とはいえなかった。

 客の回転は意外と早く、二十分も並ぶと志羊に順番が回ってきた。

 入り口に薄いカーテンのかかった、真四角の部屋に通される。出迎えた占い師の印象は、こう言ってはなんだが、だ。四十代にも五十代にも見えるボブヘアの女性。にこやかで愛想が良い。

「どうぞどうぞ座って。保科です。手短に済ませるわね」

「えっ?」

「このあとお仕事に戻るんでしょう?」

 どうしてそれを。と思ったのが、顔に出てしまっていることに気付いて、志羊ははっと頭を振った。こういうところが騙されやすい原因なのだ。テーブルを挟んで、保科ほしなと名乗った占い師の前に座る。

 待ち時間の間に簡単なヒアリングシートを書かされていた。といっても、名前、生年月日、血液型などの基本情報程度のものだ。漢字がごちゃごちゃと当て嵌められた八角形の図を出した保科は、志羊に尋ねた。

「録音は? 大丈夫?」

「え」

「録る方結構多いんですよ、後で聞き返したいからって」

「あ……そうですね、失礼します」

 スマホの録音アプリを起動させる。驚いた。記事にするわけではなく取材の練習なのでいちいち名乗っていないのに、雑誌記者であることがバレたのかと思ってしまった。

「写真は? 撮る?」

「いいんですか?」

「ええ、文字起こしの時に漢字わからないでしょう?」

 再びぎくりとして、保科の顔を見る。これはどういう意味で言っているのだろう。彼女はにこ、と微笑むだけだ。読めない。

 保科はそのまま図を志羊に見せながら説明を始めた。生年月日から計算するようだが、字面も組み合わせも全く頭に入ってこない。あなたの星はこれ、と言われたものを覚えるだけで精一杯だ。確かにこれは写真を撮らせてもらった方がいいだろう。

「見て欲しいのは今? それとも未来?」

「今でお願いします」

「わかりました。仕事運と……恋愛運ね」

 ヒアリングシートには記入していない情報だ。比較がしやすいので、どこの占いに行ってもその二つを見てもらうことにしている。彼女がそんなことを知るはずはないのだが。

「まず、仕事はねえ。うーん、ちょっと停滞中かしら。やりたいことできてないでしょう」

「そうですね、確かに……」

「満足してないでしょう。つまらないわけじゃないけど。でもなんか意外と評価されちゃって、びっくりしてる」

 希望の部署に行けずに不本意な仕事をさせられているものの、なぜか妙に面白がられている、まさに今の志羊の状況だ。しかしこのくらいなら、言われてみれば当て嵌まっているような気がしてくるだけ、と言えなくもない。

「やりたい仕事はね、今後必ずできますよ。今がその時じゃないだけ」

「そうなんだ……」

 それだけ告げると、「さ、次」とばかりにその話題を終わらせてしまった。〝今〟を見てほしいと言ってしまったから、これ以上は教えてくれないのか。せっかくなら〝未来〟を見てもらうんだった、と少し後悔する。

「恋愛というか、相手との関係の話ね、これは。最近知り合った……」

 保科は目を細めて志羊を眺めながら、「知り合った存在、がいるでしょ」と聞いた。おかしな聞き方をするが、性別を限定しないためだろうか。占いの力が本当ならそのくらいわかるだろうに、と少し胡乱に思う。

 そう言われて真っ先に頭に思い浮かべたのは、中華服に長髪に、狐が化けた猫のような笑みを浮かべる、あの男の顔だった。さっき会ったばかりだからだろうか。ご丁寧に膝の上の毛玉を撫でているところまで想像してしまったのが癪で、慌てて脳裏からかき消す。

 志羊が好ましく思うのは頼り甲斐があって少しお堅めの、どちらかというと雄憲に近いタイプだ。しかし人を自分の好みに当て嵌めて是非を判断するのも品がない気がするので、浮かんでしまったイメージを蜃気楼のように漠然とさせておく。

「そのヒトねえ、悪い人ではないんだけど……ちょっと難しいわね」

「えっ、難しいというのは……」

「ああ、いえいえ、違うわよ。扱いがというか、まあ、すごく変わった人……みたいなニュアンスだから。性格は案外単純だと思う」

「単純……?」

「そして、多分、彼には自覚がないのだけれど……他人を無理やり変えてしまう影響力を持っているヒトよ」

 言っていることがどれも、いまいちピンとこない。壯須に当て嵌まっているのは、『変わった人』のところくらいだ。

「……関わらない方がいいってことですか?」

「ううん。それはあなたが望むかどうかね」

「私が?」

 変えられてもいいと思っているか。あるいは、変えられたいと思っているか。

 一体なにを変えるというのだろう。確かに最近は仕事への意識が変わったり、珍事件に巻き込まれるようになったり、良いことも悪いことも変化しているような気はするが。

 首を傾げて考え込んでしまってから、ぶんぶんと首を振る。だから、どうして壯須で考えてしまっているのだ。違うんだって、と振り払って、残ったのは『あなたが望むかどうか』という保科の言葉だった。志羊が望んでいるというのだろうか。まさか。

 これもバーナム効果、と、自分に言い聞かせた。



 そして、数日後。

 壯須を通してではあるが、雄憲に取材協力の許可をもらうことはできた。これで取材がうまくいけば、来来季発行の本誌で志羊の担当コーナーができるかもしれない。配属されて二冊目でもう担当を持つなんて、なかなか評価されているのではないか――編集部のメンバーが社員三人と委託ライター三人だけという極少数精鋭であることを一旦置いておけば、だが。つまり極度の人手不足なのだ。

 志羊は三度みたび、岩端商店を訪ねていた。今度こそ雄憲と直接コンタクトを取らせてもらうのだ。企画草案を元にもう少し詳しい相談をしてから改めて編集部へ呼んで、さらに細かいところを詰めていく作業が必要だった。

 一仕事あるからちょっと待ってね、と壯須が言うので、店内を眺めながら待っていた。彼が仕事しているところを見たのは知り合ってから初めてである。仕入れたパワーストーンの仕分けをしているようで、ちまちまと作業している姿が妙に似合っている。数日前は少し体調が悪そうだったが、もうすっかり回復しているようだった。

 軒先はよくある土産物、奥に進むほど珍しい商品が置かれている店内だが、よく見るととあるモチーフがやけに多いことに気付いたのは、この時ようやくだった。

 緑色の石で模った、牡丹の花。ペンダントトップやイヤリング、小さな掛け鏡やペーパーウェイトにも、そのモチーフが多いのだ。

 美しい石だった。深い緑色に、滲んだような縞模様。森の中に湖があったとしたら、その水面はこんな波紋を描いているのだろうか。眺めているだけでうっとりと穏やかな気持ちになるような、そんな色をしている。

 志羊はまだ天然石には詳しくないが、店内に置かれた解説には、『マラカイト』と記されている。効能はストレスや痛みの緩和、心身の健康、らしい。

「あの、これって……」

 壯須の趣味なのか、牡丹の彫刻も彼がしたものなのだろうか。それを尋ねようとした、その時だった。

 店の入り口に誰かが現れる。無言なのにすぐに気付けたのは、その存在感のおかげだ。

「あれ、雄憲。家で待っててよかったんだよ」

「……」

 壯須を待って二人で雄憲の家へ向かうつもりだったのだが、また齟齬があったのだろうか。そう思ったが、彼はなにも言わずに自身の隣に顔を向けた。志羊も壯須も、身を乗り出してそちらを見る。

「……周さん?」

 あのお騒がせ中華屋店主が、また不安そうな表情を浮かべて、そこに立っていた。よく見ると、金本もそばにいる。

「どしたの。今度は調理器具丸ごと消えた?」

 軽口を叩いた壯須だが、なんだか様子が違う。先日は仕掛け人側だった金本までが、神妙な顔をしているのだ。

「歩いてたら、会った」

 雄憲がようやく口を開く。壯須の元へ行こうと家を出たら道端でばったり顔を合わせたが、なにかあったようなので連れてきた、ということらしい。言葉が足りないので、六割は志羊の憶測だ。

 周が青い顔で、「小鈴が……いなくなった」と告げた。すぐに意味が入ってこなくて、しばらく考えてから、「え?」と聞き返す。

「小鈴がいなくなったよ」

 途方に暮れたように、周は繰り返した。小鈴は彼の元で働くアルバイトの少女だ。小柄でかわいらしく、しっかり者の女の子。本人か家族は中国籍なのだろう、片言の日本語を話していた。

 その彼女が、いなくなったとは。顔を見合わせる二人に、金本が続ける。

「今日、無断欠勤したんです。一年も働いててこんなこと今までなかったのに……」

「下宿にデンワしたよ。そしたら、昨日帰って来なかったって」

「下宿? ご家族は……」

「中国。小鈴、学校通いに来てる。ニホンゴの学校」

 家族を故郷に残して、一人で語学留学に来ていたということだろうか。というより、留学ビザで日本に働きに来ているのだろう。よくあることではある。

「スマホは先週壊して、まだ直してなくて……」

「まさか、なにか事件に巻き込まれたんじゃ……? ど、どうしよう」

 狼狽える志羊だったが、隣の男は冷静だった。「家出じゃないの」と短く言う。

「周さんがまた怒らせるようなことしたんでしょ? それでバイト行くの嫌になっちゃったんだよ、きっと」

「わ、ワタシなにも……そんな……いやぁ……」

「まさか昨日のアレとアレで……?」

 周がサッと顔を逸らす。怒らせるようなことはしたのだ。しかも金本の口振りでは、一つではないらしい。

「落ち着いたら自分から帰ってくるかもしれないよ。一応警察に捜索願は出して、様子見しかないね」

「えっ……それだけですか!?」

 志羊は彼のチャイナシャツの袖を掴んだ。警察に届けてあとは待つ、なんて、誰でもできるアドバイスだ。周も金本も、雄憲だって、きっとそれ以上にできることがあるなら助言がほしいと、ここへ来たはずなのに。

 しかし壯須はそっと志羊の手を外しただけだった。

「それだけだよ、今できることは」

「もうちょっと調べたりとか……」

「そうは言っても、手掛かりがなさすぎるからねえ。心当たりもないから僕のところに来たんでしょ?」

 周も金本も、俯くように頷く。仕事上の仲ならプライベートなことはそれほどわからなくても仕方がない。志羊だって休みの日になにをしているか、上司や先輩にはわざわざ話さないし、逆に彼らのことだってなにも知らない。

「ご近所さんに声だけかけとくよ。小鈴のことなら皆知ってると思うし」

「お願いします。なにかわかったらすぐ連絡ください」

 二人は動揺もおさまらない様子で帰って行ったが、志羊は壯須の対応に、あまり納得していなかった。

 彼なら、もっとできることがあるのではないのか。なにも知らない相手のことだって、壯須ならある程度はわかるはずだ。初対面の志羊の趣味まで見抜いたように。

で探してあげないんですか?」

「僕のなんて信じてないんじゃなかった?」

 壯須は志羊を見下ろして、ひく、と眉を上げる。長い首をもたげるようにして目線を合わせてくれることも多いのに、たまにだけ見せるこういう冷めた表情に、志羊は怯んでしまうのだ。目を逸らしてしまわないように、む、と口をへの字に曲げる。

なら信じてないですよ。それは壯須さんに限った話じゃないです。占いって要は統計学と心理学的な話術でしょう」

「ほう、言い切るじゃん」

「経験則です。オカルト記者ならとにかく数こなせって言われて、色々見てもらってるんですよ、最近」

「えー、他の占い師のところ行ってるの? 僕というものがありながら……」

「あなたに占ってもらった覚えないですけどっ」

 それどころか、未だ彼がまともに占いをしているところを見たことがない。パワーストーン屋として働いてるところは見ているので、結局どちらが本業なのか。

「保科先生って、今一番人気の方のところ行って来たんですけど」

「ああ、大通の」

「最近知り合った人がいるでしょうって言われたんですよ」

「へえ……えっ、僕?」

「影響力が強いって言うから、じゃあ関わらない方がいいんですか? って聞いたんです。そしたら好きにしたらいい、みたいな感じで。そんなこと言ったらなにもかも『好きにしたらいい』じゃないですか? その判断が難しいから占いに行くのに」

「うーん、あのね、まずそういうの本人に話すもんじゃないと思うよ」

「しかもそのあと別の占いに行ったら、最近全く出会いがないでしょ? とか、今年出会った人と添い遂げるかもとか……全員言うこと違うし大ハズレだし」

 オーラを見るだとか言うタイプの占い師は特に、志羊の現状すら見抜けなかった。それならまだ壯須がやってみせたような会話術や統計学の方がいくらも信用できる。しかしもうそれは占術ではなく行動科学の話で、つまるところ要するに、結局占いなんて信じられない、ということになるのだ。

 その結論を述べると、壯須はむずむずと微妙な苦笑いを浮かべていた。「志羊ちゃんって変な子だよね」なんて言われる。それはどう考えても壯須の方だというのに。

 もう一人の〝すごく変な人〟が、大きな体を潜り込ませるようにして店の奥へと入って来ていた。そういえば、雄憲のところへ壯須に連れて行ってもらうつもりだったのだ。道を覚えられたらという目論見もあったが、そちらは外れてしまった。

「で、そんな世間話をしに来たわけじゃないでしょ」

「違いますっ。早速除霊企画のお話です」

 志羊はカウンターの上に、こと、とスマホを置いた。

「編集部に読者の方から連絡があったんです。よくある検証依頼……この場所にので行ってみてください、というものだったんですが」

「へえ、メール?」

「いえ、TikTokのコメントです」

「わ〜時代」

 志羊のスマホを、二人が覗き込む。表示しているのはそのコメントではなく、地図アプリだ。赤いピンが立っている。周囲には石川町、山手町という見慣れた町名。

「ここ、ちょうどこの近くなので、一ヶ所目にはちょうどいいんじゃないでしょうか」

 背中を丸めたまま、二人が志羊の顔を見る。なにこれ、という顔だ。

 練習がてらの占い館はいくつも行ったし、開運グッズの店や身近なパワースポットの取材には行ったことがある。

 しかし心霊スポットの検証取材を一人で任されるのは、これが初めてだった。雄憲がいるとはいえ、もう一人で行かせても問題ないと、小杉はそう判断したのだ。自覚するくらいには張り切っている。

 志羊は二人の顔を見ながら、言った。

「心霊アパートです!」


(続く)

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