第26話 フェイスレスは共に戦う


 二人がそれぞれ車のドアを開けて外に出ると、固唾を飲んで見守る子供たちと門徒の姿があった。そんな彼らに向かって裕也は先手を打ち、深々と頭を下げた。


「操さんから正式に許可を得ました。僭越ながら皆さんの末席に加えさせて頂きます」

「…」

「それと、数か月前は分を弁えず神邉家を含め退治屋の皆さんの領分を好き勝手に荒らしてしました。その事についてもここにお詫びいたします。すみませんでした」


 フェイスレスの謝罪に周囲はにわかにざわついた。誰もが互いに顔を見合わせて言葉を探す。


しかしそれも操によって締めくくられた。


「異議申し立てなし、ということでよろしいですね?」

「操さまのお眼鏡にかなったのであれば」


 そう進言してきたのは大丸という男だ。神邉を一つの道場とするならば師範代を任されるほどの人物だ。門徒たちの総まとめを任されており、神邉家の重役に劣らないほどの影響力を持つ。


 大丸がまかりなりにもフェイスレスを認めたとなれば自分達も従うほかない、と門徒たちの緊張が一段階弛んだ。


 操はその様を見届けるとニコリと笑う。


「では今日の標的についてフェイスレス氏を交えて再度確認いたします」


 そういうと雰囲気がピンと張り詰めたものへと変わる。気迫は周囲に瞬く間に伝播して、門弟たち全員がその場で姿勢を正す。裕也は歴戦の軍隊のような反応に思わず生唾を飲んだ。


「先ほども車内で申しましたが、とある妖怪退治をあなたに手伝って頂きたいのです」

「OK,Mam.どんな相手なんですか?」

「こちらに資料をまとめております」

「…これは」


 そう言って手渡されたブックタイプのバインダーをめくる。そこには、とある妖怪の名前と特徴、現時点での状況などのデータが丁寧にまとめられていた。


 裕也はその資料の一番上にあった、その妖怪の名を口にする。


ぬえ…?」

「そうです。それが私達の目下の標的です」


 鵺とは、複数の獣が融合した妖怪だと裕也は記憶している。


 用意された資料には鵺と思しき写真があった。虎の身体に犬の手足、猿の頭と蛇の尾を持つ姿が映っていた。そしてその写真の下に鵺の最大の特徴である、世にも不気味な声で鳴き、人を惑わせるとも書いてある。妖怪については聞きかじった知識しかない裕也であっても、鵺の概要くらいは頭に入っていた。それほどにまで知名度のある妖怪であることは間違いない。


 しかし、数枚の紙にはどうにか寄せ集めた直近の目撃報告があるばかりで鵺については裕也でも知っている程度の事しか載ってはいない。やはり得体の知れない妖怪なのだろう。


 操から事の仔細を聞かされると、裕也の中に得体の知れない何かが広がった。それは所謂ところの虫の知らせというものだった。嫌な予感がコールタールのように心臓に粘りついてくるような感覚が徐々に強くなっていく。それは裕也の個人的な感覚なのか、はたまたアシクレイファ粘菌の性能によるものなのかは分からなかった。


 やがて操の話を聞き終えた裕也は平静を装って尋ねた。


「それで僕は何をすれば?」

「露払いと補助をお願いしたいと考えています」

「露払いと補助、というと…?」

「どうやら鵺は妖怪や人間を少数ながら従えていると情報があります。私達神邊一門が鵺に集中できるよう、眷属なった人や妖怪を抑えて、万が一町の人たちに被害が及びそうになった場合は救助に向かってほしいのです」

「なるほど」

「気を悪くしないでくださいね。急な連携は難しいですし、あなたの運動能力はこういった形の方が活かしやすいと思ったので…」

「全く気にしていませんよ。僕は神邊一門と一緒に戦わせて貰うだけで感動してるんですから」


 そう断言すると、操は一安心したようにニコリと微笑んだ。


「では参りましょう」


 裕也は促されるままに黒塗りの車に乗り込んだ。車内はとても快適だったが何よりも嬉しかったのが、さも当たり前のように操が隣にいることだった。


 操と共に妖怪退治へと出向く。


 かつて夢にまで見たシチュエーションが今まさに現実となっている。裕也はその事にひどく感動していた。だからこそ未だに払拭しきれない先程の虫の知らせが煩わしい。


 ◇


 やがて神邊家の一行は、とある廃ホテルの前に辿り着いた。ビジネス街の一等地にありながらもそのホテルは取り壊される様子はなく、ただただ無情に目張りをされ立入禁止と書かれた看板を門番に携えていた。


 この廃ホテルの噂話は裕也も聞いた事がある。それはありふれた話であるが、解体処理をしようとすると決まって事故が起こったりするというもの。今にして思えばここに巣くっているという鵺の仕業なのだろう。


 神邊一門は手慣れた差配と動きでホテルの周りに散らばっていった。たたりもっけの時のように、精鋭が攻め入り他が補助を行うというのが神邊流のスタイルらしい。


 やがて下準備が全て終わったのを見計らった操は、再度Mr.Facelessを見て力強く言った。


「フェイスレスさん。お願いします」

「Yes,mam. 終わったら合図をしますから」


 神邊家を始め、妖怪退治を請け負う家々はそれらが掲げる看板通り妖怪に対しては無類の強さを誇る。しかし人間が相手となると簡単な話ではない。術をかければ耐性のない人間はひとたまりもないし、かと言って肉弾戦で圧倒するには別の訓練が必要になる。


 妖怪に脅されたり、無理矢理操られたり、はたまた様々な理由で「妖怪と共闘する人間」にどう対処するのかは、どの退治人にもついてまわる厄介な課題の一つだった。


 大抵の場合は対人間用に戦闘訓練を重ねた人員を育てるか、外部に委託するかで解決するが前者は手間暇、後者は金銭と連携、安全性など問題点が多い。


 そう言った意味で、Mr.Facelessはかなり貴重な人材であった。


 妖怪を相手にしても素手で戦えるほどの身体能力は人間相手でも有効だろうし、単独で行動を任せられるほどの安定感がある。加えて先のたたりもっけとの戦いで操は彼の心持の変化を垣間見ていた。


 自分の言葉が届いてくれたのだという確信がある。妖怪退治をやめさせようとしていたのは紛れもない事実であり本心だが、あの問答で腐ることなく真摯に自分と向き合ってくれた相手には誠意を示したいという感情も生まれていたのだ。


 そんな思いが視線に乗ったのか、裕也は何となく操を振り返りハンドサインを飛ばした。


 ホテルのドアの前で一つ深呼吸をすると、錆びて埃をかぶったガラス戸を押して中の闇に消えていった。


 一階のエントランスは吹き抜けになっており、とても広々とした印象を持った。だからこそ、人気のない空間の抱える物悲しさが幾重にも折り重なっている様な気になった。月明かりが微妙に差し込んでいるものの、アシクレイファ粘菌の効力がなければまともに動く事すらままならなかっただろう。


 裕也の革靴の下からはアシクレイファ粘菌が抽出されており、足音はなく猫よりも静かなものだ。それでも堂々と正面からやってきた侵入者が気付かれないはずもなく、すぐにあちらこちらの物陰から妖怪や人間が出てきた。

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