第23話 母は笛の音に気を取られる
◇
その翌日、私たちは神邉の一門として妖怪退治に繰り出していた。
今から退治に向かう妖怪は「たたりもっけ」という。単純なレベルで言えば滅するのは容易い。何なら私一人ででも十分に対処可能だ。
けれども、今回はとある事情から退治ではなく封印する必要性があった。
だから四人の子どもを引き連れ、門弟らに人払いと万が一の補助を命じて現場に馳せ参じている。大事には至らないとは思うけど、末の双子の姉妹の千昭と冬千佳は始めて連携タイプの術を実践で扱うことになるのが懸念点か。
家で稽古を見る限りは問題ないレベルだったが、現場では何が起こるかまるで予想がつかない。心配し過ぎで丁度いい。
家族に何かあれば裕也さんに顔向けできないから。
私は覚悟を新たに、件の妖怪が住みついている建設中のビルの上を睨む。周辺の明かりや安全灯に照らされたそれはそのビルはどういうわけか不気味に映る。
そのわずかな臆病風を払拭するためにも、私は召集を掛けて今日の流れを再度確認させた。
門弟一同でビルに結界を張り、大きな逃げ場を封じる。そうすれば「たたりもっけ」は上へ逃れる他ないので屋上へ向かうはず。そうして屋上まで追い詰め、その後に子供らが四人で四角く結界を張り、完全に逃げ道を封じた上で私が仕上げをするという流れだ。
千昭と冬千佳は元より、新しく神邉家の退治屋として加わった新人にも場数を踏ませるのに具合がいい。
「何度も言わなくたって分かってるよ…」
「駄目だよ、お兄ちゃん。そういうのを油断っていうんだから」
「そうだよ、お兄ちゃん。私たちは失敗できないんだからね」
母にいつも言われているであろう退治屋として心得を得意気に言う。
その様子を見て悠が更に追い討ちをかけていた。
「夏臣よりしっかりしてるじゃん」
「ちぇっ…」
やがて決行の時刻となる。
神邊一門の門徒たちがビルの周りを取り囲む。街中だったので案の定、野次馬が湧いた。しかし野次馬の中では分を弁えている方だったので、撮影をするような者はいても妨害を働くような輩はいなかった。
まるでマタギの狩猟のような追い込みをかけ、私たちは速やかにビルを上へ上へと登って行く。
やがて門徒を一歩手前の階に残すと私は上いよいよ子供たちを引き連れ屋上へ出る。
するとそこには雲一つない月の夜空が広がっていた。ところが影のできる道理がないのにも拘らず月の光が遮られた。徐に上を見ると車一台分はあろうかという巨大な大梟が羽ばたいていたのである。
その大梟は見えない網に引っ掛かっているように自由な飛行ができないことにいら立ちを感じていた。子供たちが張った結界が大梟の行く手を阻んでいる。
門弟らの結界はうまく機能している。
それを見届けると、事前の打ち合わせ通り子供たちは素早く屋上の四隅に散らばると空に放射していた結界を収縮し始めた。まとわりつく結界は徐々に大梟を操の元に手繰り寄せてくる。あとは煮るなり、焼くなりどうとでもできる。
私は封印用の壺を置くとすぐさま封印の術式を発動させた。
その時の事だった。
私の耳にあの笛の音色が聞こえてきたのだ。
(…気にしてはダメ、今は仕事に集中しないと)
そう自分に言い聞かせる。しかし笛の音色はいつになく私の心をざわつかせる。それだけならいざ知らず笛の音色の中に別のノイズがあることに気が付かされた。
雑音は徐々に解像度を上げていき、誰かが話しているような声に変わっていく…そして最後に、
『会いたい』
と、はっきりとした肉声を私に聞かせた。
その声に私はつい取り乱してしまった。
するとたたりもっけに掛けていた封印術が一気に崩壊してしまう。あまつさえ逃げ場なしと自棄になった大梟が突如として暴れはじめたのだ。羽ばたくことを止め、ほぼ垂直に落下してくる大梟は鋭い爪で私を狙う。咄嗟に反撃の構えを見せたけれど、そのせいで大梟の渾身のフェイントに気が付くのが数秒遅れた。
大梟は操の頭上で急旋回すると、最も霊力の未熟であった末妹の冬千佳を狙い撃ちにした。巨大な羽を広げると大風を起こし屋上から吹き飛ばす算段だ。
「冬千佳ぁ……!」
私は慌てて冬千佳の防護に向かう。他の兄弟たちは動き出しそうになる自分の身体を必死になだめていた。もしも自分たちがこの場を離れれば結界が壊れしまうからだった。
大梟の起こした風自体は結界に阻まれ、冬千佳を吹き飛ばすまでには至っていない。けれどもそれによって屋上の資材が四散して飛んできた。それも結界で防ぐことは出来たはずなのだが、目の前に迫る飛来物に本能的な恐怖心が勝ってしまった冬千佳は反射的に動いてしまったのだ。
途端に冬千佳を守る結界は雲散霧消してしまい、命綱を失った娘の体は埃よりも簡単に屋上の外に投げ出されてしまった。
屋上には冬千佳を呼ぶ、皆の絶叫が響き渡った。それだけでなくすぐ下の階や近隣のビルの屋上で様子を見ていた門徒たちも見る見るうちに絶望の色へと染まっていった。
しかも脅威はそればかりではない。吹き飛ばされた屋上の建設資材は無慈悲に街へと落ちていく。下には結界の基礎を作っている一門のみんなや神邉の妖怪退治を一目見ようと野次馬が集まっている。取り返しのつかない程の被害が出る、と私は全身の血の流れが止まったように急激な寒さに襲われている。
そんな消魂を私は瞬時に払拭する。門徒や身内に何が起ころうとも、優先すべきは目の前の大梟を始末すること。ここでコレを逃がせば、更に大きな被害が出る事になってしまう。今湧き出てくる全ての感情と感覚を押し殺し、私は眼前の敵に集中した。
「三人とも! まずは結界に集中しなさい!!」
ところが。
決意した私は再び驚愕にて開口してしまった。
確かに吹き飛ばされた冬千佳が下から舞い戻ってきたからだ。無論、一人で空を飛んできた訳ではない。
冬千佳はスーツ姿で顔のない男に優しく抱きしめられていた。
◆
◇
まるでロケットのように飛び上がってきたフェイスレスは冬千佳を抱きしめたままに、逃げようとする大梟へと向かい掛かった。彼の足はチューイングガムのように伸びており、その先端には投げ出された屋上の資材が鳥もちのように絡めとられている。
フェイスレスは身体をひねると、その鳥もちをフレイルのように使って大梟へと打ち込んだ。それはべったりと身体に張り付いて身動きができないように封じる。大梟は先程以上の抵抗を見せたものの、そんな抵抗は気に留めることすらなく、フェイスレスの足の力で屋上へと無理矢理に叩きつけられてしまった。
折れたり、壊れたり、弾かれたりと資材が散らばる中によろよろとした大梟だけが残されている。
華麗に着地を決めたフェイスレスは冬千佳を優しく降ろすと無言のままに私を一瞥した。それも束の間、よろめきながらも動き出した大梟にトドメを刺すために構えを取った。
「駄目です」
そんな時、私は両者を隔てるように真ん中に入って彼を止めた。この妖怪は通常のそれとは少々勝手が異なる。単純に退治してはならない理由を掻い摘んで説明し始めた。
「この梟は『たたりもっけ』という妖怪です。空を漂っている子供の霊魂を身体に貯め込む習性があります。無理に退治してしまっては、取り込まれた子供たちの魂も壊してしまいます。それは別の妖怪を呼ぶエサになったり、その子供の霊魂そのものが悪霊化するケースもある…だから退治してはダメなんです」
フェイスレスは「すみません」と短く、小さな声で詫びを入れ構えを解いた。
私は短く頷くと冬千佳に声を飛ばし、子供たち全員に再び結界を張り、封印をする用意を促したのだった。
しかし、少々のダメージが入っているとはいえ相手は妖怪だ。体勢を立て直したたたりもっけは先程と同じように風を起こして神邊家の妨害を計った。
屋上の全てを排斥せんばかりの勢いで強い大風を起こす。冬千佳ばかりでなく、他の子供たちも私も展開しきれていない結界ではカバーできない程の猛攻だった。とはいえども、前とは状況が違い過ぎる。
フェイスレスは微塵も臆することなく、私たちのサポートに徹した。飛散する資材を悉く絡めとり、私と子供たちに危ないと感じさせることすら許しはしない。封印術に神経を注いだ五人の連携と術は見事という他なく、あっさりとたたりもっけを用意した壺へ封じ込めることに成功した。
封印が終わると下の階や周囲のビルにいた門徒たちの感嘆と賞賛の声が、風に交じって微かに屋上まで届いた気がした。
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